"MURA-YASHI"Project|むらやしプロジェクト

概要

「むらやし」とは、信仰・慣習・祭り・生業などの記憶媒体を指す造語です。正史などの「大きな歴史」には残りにくい、人々の小さな記憶の集積である「村の野史」を由来としています。

地元民による自律的な集落を目指し、中央集権的な地方経営の外にある地方分権の姿を実現することを目的とします。そのために、東アジア各地の集落に入り込み、地元の人々と共にその場所に潜在する特有の魅力を再発見します。それらを空間化させる広義な設計を行い、また、各集落がその過程で得た人・物・技術などを交換することによって文化的・経済的に連携して自律した集落運営を行うための「むらやしネットワーク」を構築します。

第三回沖縄合宿 2023/5/2 - 5/8


published on May 2 ,2023

□Day1 5/2

 
前回の「むらやしプロジェクト」で行った遊具作成から約7ヶ月経過し、与那へ再び訪れた。今回の目的は5/4 (木)・5/5(金)に与那のグラウンドにて開催される『よなこどもまつり』において、子供たちが遊具ユアギマ―を遊べるようにお披露目するのが目的である。

与那に到着し、遊具ユアギマ―の様子を確認しに行くと、マーニーの葉で葺いた草屋根は、萎れてしまい、色が緑から茶色に変化していた。7カ月間、沖縄の台風や大雨などの災害に対抗してきたことが見て取れた。ただしユアギマ―の主要な柱は力強く耐え忍んでおり、遊具自体の安定感は顕在であった。中心のシンメイ鍋には、水たまりができており、オタマジャクシが生息していた。7カ月間で遊具を中心とする生態系の一端が垣間見えた。

また与那で一番変化していたのは共同売店である。今年の4月から事実上は経営困難のため閉店していたのだ。以前来た時の夜に体験した、共同売店前の飲み会の賑わいはなくなっており、与那の中心にすきまができたように感じた。与那区長の大城さんは共同売店の経済的な利益を生む形でリニューアルオープンするための準備期間だと語っており、われわれも協力して与那の中心を取り戻すことに取り組まなければならないと感じた。

修士一年 村上龍紀 2023.5.2

published on May 3 ,2023

□Day2 5/3

 
 遊具ユアギマ―を「よなこどもまつり」の主要な遊び場としてお披露目するために、水路と泥遊びができるビオトープを施工することを目標に作業を開始した。作業工程としては、①水路部分の表面の芝生はがし、②水が流れる所とビオトープ部分の掘削、③掘削部分の形に添ったビニールシートの切り出し、④石と芝生によるビニールシートの固定、であった。

 早朝から水路の掘削作業を進め、昼頃からビニールシートの切り出しと設置、ビオトープの拡大掘削を行った。今回は学生2人のみが訪れていたので、基本的に2人で作業をしていたが、とても間に合うことができそうにない状態であった。しかしその様子を見た与那の方々が積極的に協力して頂き、何とかお披露目することができる形にまで仕上げることができた。与那の方々のユイマールを実際に感じ、コミュニティの強さを改めて感じさせられた。

また本土から来ていた似顔絵士の方が看板を急遽デザインすることになったが、我々これまでの活動や製作した遊具ユアギマ―の平面図を見て、インスピレーションがわき、与那にしかないデザインを提案して頂いた。

 明日から始まる「よなこどもまつり」で子供たちがどのように遊具で遊んでくれるのか楽しみである。

修士一年 村上龍紀 2023.5.3

published on May 4 ,2023

□Day3 5/4

 
「よなこどもまつり」1日目。遊具ユアギマ―を本当に楽しんで遊んでくれるのか、使いこなしてくれるのか不安だった。そのため前日に、事前に製作していたユアギマーの遊び方をまとめた冊子を用意し、来場のこどもたちに配った。

 しかし不安は開始すぐになくなるほど、多くの子供たちが自分たちで遊び方を発明しながら遊んでいる様子を見ることができた。特に中心のシンメイ鍋の空間に子どもたちは集まって、水を貯めて、水を流すという遊びを何度も繰り返し行っていた。今回は水道の水をホースで引っ張り、屋根部分から滝のように流すデザインにしていたが、ホースを自分で持って、水を掛け合ったりする様子も見ることができた。これまで遊具ユアギマ―は遊び方があまり分からないから、使っている様子が少ないと聞いていたが、今回水を流すだけで、多くの人々を引き付けることができた。

 また水を貯める、流すという振る舞いが遊びになっているだけでなく、自分が流した水が水路やビオトープなど他の場所にいる子どもたちにアクティビティを与えるという一連の流れ・つながりを全員で楽しんでいるように思えた。

 水が持つ求心力を改めて感じさせられ、また水に流れがあることで、人々を楽しませることができることに気づけた。

修士一年 村上龍紀 2023.5.4

published on May 5 ,2023

□Day4 5/5

 
「よなこどもまつり」2日目。前日にユアギマ―で遊んでくれていた与那の子供たちもまた来てくれていて、飽きることなく水を使った様々な遊びが展開していた。泥遊びをした子供たちはある程度泥まみれになると、下の与那川に走っていき汚れを落としながら、川で遊んでいたりした。遊具ユアギマ―がキッカケとなって、与那の豊かな自然が遊ぶ場所として認識されたのはうれしかった。

またユアギマ―は遊びだけに使われていなたわけではなく、大人たちが座ってご飯を食べたり、休憩したり、雨を凌いだりと様々な利用を見ることができた。そこには遊具という機能を超えた与那の中心施設としての一端が見えたのではないかと考える。

 無事にけが人を出すことはなく終えることができた「よなこどもまつり」では、遊具ユアギマ―のポテンシャルを与那の方々だけでなく、来場してくれた人々にも周知することができたと感じている。またユアギマ―によって、周囲の豊かな自然空間が遊びの空間として再認識させることができたことから、一つの建築が集落の見方を変えることができる力を持っていると改めて分かった。

修士一年 村上龍紀 2023.5.5

published on May 6 ,2023

□Day5 5/6

 
 昼までは、与那の子どもに集落を案内してもらい、植生調査を行った。川沿いや海沿いに生えている植物をを主に調査し、塩害に強いツタ植物を記録・採集した。以前から塩害に強い植物として、ハマヒルガオを与那の方々に教えていただいていたが、実際に自生している所を確認することができた。もし恒久的にメンテナンスが不要な草屋根を実現しようとすると、このハマヒルガオを屋根上まで伝わせて藤棚のような手法で施工できないかと考えている。

 午後は、与那区長の大城さんが昔公務員時代に担当していた奥集落の川沿いの親水公園に連れて行って頂き、大城さんが目指す与那のむらづくりのビジョンを教えていただいた。今後の展開として、遊具ユアギマ―を中心とした自然公園の建設を目標に活動していきたいという方針が、この奥集落が一つのモデルになっていることが分かり、大変参考になる調査となった。

  また奥集落には文化や歴史を伝える博物館が存在し、沖縄のやんばるの暮らしがどのようなインフラによって成り立っていたのかなど、詳しく知ることができた。

修士一年 村上龍紀 2023.5.6

published on May 7 ,2023

□Day6 5/7

 
 前回行うことができていなかった遊具ユアギマ―の高さ方向の実測調査や、与那川の堤防の高さ関係、集落の排水を担う配水管の位置と径の測定を行った。

遊具ユアギマ―は集落内にある6つのカーに次ぐ第7のカーというコンセプトで計画した建築物である。しかし、現在は水源が水道で、山からの伏流水や小川の水が流れてきているわけではない。第7のカーとして自立させるには、水源の確保が必要であり、集落内を巡るカーからの水が持続的に途切れることなく流れてきて初めて完成すると考えている。将来的に遊具ユアギマ―は集落内の水の循環の一部となり、生態系を持った建築となることを目指している。

また本日の沖縄タイムスで5/4(木)・5/5(金)に実施された『与那こどもまつり』が記事として取り上げられていた。 内容としては『与那こどもまつり』全体に関することだったが、「ユアギマー」で遊ぶ子どもたちの風景を大きな見出しの写真として採用していただいた。 取材していただいた記者の方の迅速な対応あってこそ、このようにリアルタイムに近い形で与那の方々や多くの方がに共有することができた。感謝申し上げたい。

修士一年 村上龍紀 2023.5.7

published on May 8 ,2023

□Day7 5/8

 
今回の訪問の最終日である。早朝からハマヒルガオをいくつか採集に行き、次回製作する予定の屋根のモックアップとして、ハマヒルガオを既存の柱と漁網に絡ませた。次回までにどのくらい成長するかや、塩害に対して有効な特性を持っているか実験によって明らかにすることが目的である。

今回の活動も与那の方々に多くの事を助けていただいたことで成功させることができた。 人一人の力では、建築はできないことを実感するともに、如何に建築空間に余白や余地を残すことが大事であるかを理解した。

遊具ユアギマ―は人々を引き付けることができる力を持っていると今回で実感できたため、今後はこの建築を如何に持続的に生きた建築とできるか、より効果をデザインによって強めることができるかに設計で挑戦していきたい。

修士一年 村上龍紀 2023.5.8

第二回沖縄合宿 2022/8/26 - 9/5


published on September 9 ,2022

□Day11 9/5

 
今日はワークショップ最終日であり、完成に向けて最終仕上げを行った。日中は屋根掛けと芝生はり、シンメイ鍋の設置を行い、夕方から神女の方に安全祈願の儀式をとりおこなっていただいた。屋根掛けは強風の中、アンカーボルトをもちいてロープにテンションを張って仮止めをし、そこからロープで縛った後に柱と固定し、アンカーボルトを外す。小梁の役割を果たすロープを真ん中に通し、滑車でピン接合を作り出すことでロープにトラスを生み出し、テンションをかける。

これらの作業は前日に屋根を人力で持ち上げ、どれだけの力が必要なのかを体感することで、仮で想定していた柱と金具が本当に屋根の荷重に耐えられるのかイメージすることにつながった。
屋根に使用するロープは、津波さんやしんきさんから漁業で使用していたものを頂き、足りない分は地元のホームセンターで購入した。購入したロープは新品できれいすぎるために、遊具を構成する他の素材からういてしまうため、敷地の泥をしみこませて、意匠的になじむように工夫した。

神女による儀式では、神女の方の祈りが終わったのちに、私たち学生が、どういう思いをこめてユアギマーを作ったのかを思い浮かべながら、その思いを神に念じた。神女の方からはユアギマーが与那川対岸にあるユアギムイと海に対して対照的に建っていることは非常によいことだと神のお告げを頂いたと言っていただいた。
儀式前日にシンメイ鍋の夢をみられ、それぞれの柱に泡盛をかけてまわる儀式の際に、シンメイ鍋をみつけて、「ここにおられたのですね。」とおっしゃっていた。
その後、それぞれの柱に各々が思いを込めて泡盛をかけてまわり、儀式を終えた。

よんなー館に戻り、食堂や宿泊部屋の片付けをし、撤収作業をしたのち、大久保さんに与那から那覇空港まで送っていただき、沖縄をあとにした。

今回の11日間の与那滞在を経て、改めて与那に住む方々の温かさと力強い生き方を感じ、これからもユアギマーを与那の方々とともに育て、与那の魅力を引き出していく活動に関わっていきたいと強く思った。

修士二年 岡田大志 2022.9.5























published on September 9 ,2022

□Day10 9/4

今日は台風11号の接近による強風と雨のため、室内で行うことのできるマァニでの屋根編み作業のみを行った。
事前に一部学生が大城こときさんから教えていただいた編み方を、先生や他学生に教えながら屋根の制作を行った。教えあうことで技術のアウトプットによる習得と各々が理解度を深めることが出来たのではないかと思う。

ロープにマァニの屋根を固定し終わると、実際に3点を人力で引っ張ってみて、どれほどのテンションをかければ見栄えが良くなるか、実際にロープを固定する金具にかかる力がどれほどのものになるか、等を体感した。ここから、明日の屋根掛けが、現状の設計で成り立つのかを考え直し、屋根のかけ方をアップデートした。
8月30日の日誌にも記したが、やはり設計し図面を作成すれど、使う素材実物に触れることでその計画の成り立たないところが明確に見えてくるため、設計段階の図面はしっかり完成したものでないといけない半面、あくまで仮の図面であり、現場で設計が変わりうることは建築を作るうえで普通のことのように考えるようになった。ただし、設計変更が起こるからには、現場で建築を作る人たちが図面を見てたてる段取りを変更することにもつながるため、綿密で丁寧なやりとりをしなければ、いい建築はできないだろうと感じた。

よんなー館での夕飯は本日最終日であったため、津波さんが潜ってとった伊勢海老を味噌汁にしてご馳走してくださった。他にもゴーヤチャンプルや天ぷら、ソーキ肉などを料理し、大城さんは魚の刺身を振る舞ってくださった。また、スモモをつけた泡盛をいただき、今まで食べたことのないような豪華な食事を振る舞っていただいた。
今回のワークショップを振り返って各自がはなし、大城さんやこときさん、津波さんからも今回の感想をいただき、おいしい料理とともに夜遅くまでゆんたくを楽しんだ。
明日は最終日、好天を望みながら、最後までやりきる決意を胸に、眠りについた。

修士二年 岡田大志 2022.9.4


















published on September 9 ,2022

□Day9 9/3

 本日、午前は丸太カット作業、屋根の高さ決め作業、屋根素材となるマァニ編み作業を三班に分かれて行った。
現場は大雨の中、穴の場所を確定して周辺材を埋込む作業、敷地外縁部の芝生をはがして遊具内に移植する作業などを行った。材が増えることで全体に野生感が増し、当初の幾何学的な計画から暴れ出しながらも、全体として調停されているような感覚を覚えた。カットに関しても斜めに刃を入れるなど、詳細に野生を感じ取れる部分を感じた。芝生を遊具内に移植することで遊具性を保ち、建築でありながら遊具である、絶妙な駆け引きをしているように感じた。沖縄の伝統民芸であるマァニを編んだ屋根は細部に知性を感じ、早く屋根を掛けたいと感じた。

 午後からは、マァニ編み作業、漁網の調整作業を分担して行った。マァニを編む作業は実際にやってみると奥が深く、慣れが必要だと感じた。
 夕方からは、名護にある古我知地区の豊年祭の見学をさせていただいた。豊年祭は老若男女が各役割で参加できる様々な種類の演武で成り立っており、三味線や太鼓による民俗音楽の心地よさと演舞に魅了された。大城さんから、豊年祭に選ばれることは名誉なことで、それぞれにあこがれている役があると聞き、祭が村全体に浸透し、村を挙げて盛り上げているんだと強く感じた。神様に感謝する儀式を村全体で作り上げる文化が、今後も続いてほしいと感じた。

修士二年 黒木一輝 2022.9.3

published on September 9 ,2022

□Day8 9/2

建て込みが始まり4日目。段々と廃材の不定形な木材を組み合わせたスパイラルが浮かび上がってきた。屋根を当初から計画していたが、できればヨンナー館のこときさんが普段から作っている草編みの構造を活かしたものにしたかった。現地の方に相談してみると、植物の名前はマァニで川沿いなどの与那の周辺によく生えていることが分かった。マァニを集めて編み込みのスタディを行った。二枚の葉で編み込み最後に茎同士を束ねると、下から見るとヴォールトのような構造体になった。これを基本一単位として設計し、円弧状に配置することでスパイラルに無理なく屋根をかけることができそうだ。

昼頃からは集落調査に参加した。前回来た時にリサーチしていた与那の水の流れをおさらいし、正しい情報を教えていただいた。カーは6つあるが、そのうち中心部にあるアナガ―と5班のクラサガ―が伏流水から湧いている湧水で、それ以外のカーは山の水源→沢→カーの順に流れてきていることが分かった。またそれぞれのカーは独立しており、固有の水源をもっていることが分かった。3班のシーラーガ―、5班のクラサガ―は元々浜に面していたと言われ、集落が徐々に埋め立てられ拡張されていたことが分かった。また古い住宅の玄関口は道路レベルが下がっているのが不思議に思っていたが、暗渠化する前の川が道路の下に隠れており、過去のGLから高い位置に現在の道路レベルがあることが分かった。
また集落には藩が存在し、班ごとに独立したカーを持っていた。そのためコミュニティは半ごとで形成されているため、与那は班が寄り集まった国のような構造をしていた。元はシーラ―ガ―のあたりから人が住み始めたとされるが、徐々に埋め立てられ現在の形になった。

このように与那という集落は水に沿って発展してきており、自然の地形、水源の位置、川の位置、水路の位置が集落発生の大きな起源をもつとともに、合理的に都市計画された美しい構造をしていることが分かった。

修士一年 村上龍紀 2022.9.2















published on September 9 ,2022

□Day7 9/1

 本日は朝から山川さんによる琉球の木造建築を主としたレクチャーをして頂き、その後与那集落内にある古民家を実際に案内して頂いた。レクチャーでは家屋の部材ごとに用いられる樹種の違いとその特性や戦前戦後における流通材の変遷、また、塩分を多く含んだ海岸の砂を敷き詰めた沖縄ならではの白蟻など防虫の工夫など様々なお話を伺った。
 実際に拝見させて頂いた古民家を見てまず初めに興味深かった点としては客人を招き入れる部屋に仏壇が設えられていたことであり、沖縄の祖先への崇拝の念が見てとれた。さらに沖縄の強い日射を防ぐために大きく迫り出した庇(雨端)の下には一周、縁側が外壁外側に回らされた非常に開かれたつくりであり、客人はこの縁側に腰掛けて住人と語らったのだという。本土でいう土間(ニワ)に面した敷台のような役割だろうか。そのほかには柱頭柱脚に金物を極力用いないほぞ差しによる加工や、石場建て工法など本土の伝統工法と似通った物もいくつか見られた。お忙しい中、大変貴重な機会をいただき、山川さんには心より感謝を申し上げます。

 午後からは遊具製作現場にて引き続き、加工場と建て込み場2班に別れた作業を行った。先日に課題として浮き彫りになった螺旋の幾何学生の無意識的な恣意性を意識し直し、掘立柱の切断箇所や遊具の高さなどを丸太材の特性や先生たちと対話を行いながら決定していった。結果想定より長めに残したものや切断せずに本来の形状を尊重したものなどが残り、野生的で猛々しい遊具全体の形が見えてきた。河川沿いに建てられたひどく劣化した鉄柵部分も丸太による強固な柵として遊具のデザインの一部として組み込むこととした。
 午後に到着した屋根材となる魚網や漁縄も検討を進めていく所存である。

修士二年 山田啓真 2022.9.1

published on September 9 ,2022

□Day6 8/31

本日は丸太建込作業、丸太サンダー作業を二班に別れて行った。現場はスパイラルの中心部分が現れ、自分達が作ろうとしている空間がより明確になってきた。その分、先生たちのご指摘である、螺旋の幾何学性の強さに気付き、危機感を覚えた。

 午後からは、神女さんのお話を聞いた。沖縄の方のヒノカミとそこから派生する海の神、山の神、川の神の考え方、与那に点在する拝所の役割、木、水にも命があること、それらを感じとって語り継ぐノロ・ユタ・カミンチュの存在など、本土にいる間はあまり意識しない自然への崇拝と、祖先への崇拝を強く感じた。
普段、大地から享受しているもの、天から享受しているものを意識的に捉えていることが、沖縄の人の感性に繋がっているということを理解できた。また、頭ではある程度理解しているつもりでも、なかなか身体的に咀嚼できない部分もあり、今回のお話を本土に帰っても考え続けることが重要だと感じた。

修士二年 黒木一輝 2022.8.31

published on September 9 ,2022

□Day5 8/30

今日は先日に引き続き柱の掘っ建て作業を行いつつ、森林組合に追加の丸太材をもらいに行き、サンダー、塗装作業を行った。前日の夜に組んだ段取りと現場での動きとはやはり合わない部分が出てきたことで、段取りの変更が生じた。
主要柱材はGLから1000mm埋めるのに対して、その両端に立つ柱はGLから400mm埋めるという設計では、昨夜自分で組んだ段取りでは螺旋の先端から順番に柱を指していくというものであったが、深く埋める柱を後にして、浅い柱から埋めるのでは、土を戻して固定する際に柱を埋める深さ分が埋まってしまうため、効率が悪くなってしまう。効率や安全性を考えるのであれば、深く埋める柱から先にたて、荒板などで補強して固めたうえで両脇の柱をうめて固定するのが妥当である。これも、大城さんや現地でユンボを操縦してくださった職人さんからアドバイスをいただきながら学ぶことが出来た。
実際に設計だけしても、現場での経験がない以上建築を立てることが出来ないなと感じたことに加え、設計物を実現させるためには職人さんとの綿密なやりとりが必要不可欠なのだということを体感した。



修士二年 岡田大志 2022.8.30

published on September 9 ,2022

□Day4 8/29

 今日は朝から与那集落にある森林組合に赴き、今回実際に遊具へ利用させていただく丸太材の見繕いと森林組合にお勤めの山城氏から与那の林業についてのレクチャーをいただいた。コンクリートやモルタルが主流の建材となり、かつてと比較すると木材の利用が減少しているという背景を持ちながらも、広葉樹が多く不定形な木材を最大限活用することを模索した組合の方針は沖縄の中で最も木材を排出していたというかつての国頭村としての力強さを彷彿とさせた。

 遊具に利用する丸太材だが、事前に写真で拝見していたものとは太さや大きさ、劣化具合など、イメージしていたものと実物のものとでは様々な点で大きく異なっていた。これにより想定していた設計や段取り、必要部材数など大きく変更する必要が生じた。現地での丸太材の選定は基本的に劣化具合と材全長から概算で行い、現地の方々からご指導いただいた樹種の特性などを考慮した上で確保することができるものから逆算して設計図面への反映をおこない、現地での丸太材の配置や高さの決定はそれぞれの持つ野生的感覚を最大限議論した上で進めていく運びとなった。

 午後には皮剥ぎ、サンダー(やすりがけ)、防腐塗装が完了した丸太材の建て込みを開始した。工法は与那川上流で収集した石と現場を掘削したことにより発生した土といった現地の素材のみを用いて建材を固める掘立式だが、過去のプロジェクトである程度の経験があったとはいえ、直径が50cm以上、長さが3m以上もある丸太材では勝手が異なり、困難を極めた。まず初めに掘削した穴に石を敷き詰め、その上に丸太を立て、石と土で埋め返すことを想定していたが、スパイラル状に連続する丸太材の特性上、完全に埋め戻し、1本ずつ自立させることが不可能であったため、丸太材を固定するために石を楔のようにゴムハンマーで打ち込み、丸太を自立させる方法へと急遽変更した。結果的に本日は合計4本の丸太材をスパイラル最外円周部に建てることができた。

 今後は丸太材加工含めた全体の作業と共に、建て込み場における作業の進め方や工法など、全ての面において臨機応変に取り組んでいく必要があるだろう。

修士二年 山田啓真 2022.8.28

published on September 9 ,2022

□Day3 8/28

今日は建設工事を始めるときの安全祈願の儀式「ティンダティ」をしてから柱位置の穴掘り工事を行った。「ティンダティ」は敷地の中央と真東をつなぐ軸線上に座して祈り、米、塩、酒(泡盛)を3回、3滴ずつ縄張りの四隅にまく行為である。
建築行為における儀式に初めて参加し、この土地に建築を作ることの重大さを再認識しつつ、与那の方々に愛される建築にしたいと改めて心から思うことが出来た。
穴掘り作業では地面から昔の海岸の擁壁の一部やコンクリートブロックが出てきたことにより、現在の敷地のかたちと照らし合わせて、土地の変遷のようなものを垣間見ることが出来た。発掘したコンクリートブロックを掘立柱の束石に再利用するなどし、できる限り現地でとれるものを利用するよう心掛けた。
ビオトープは位置のみ決まっており、具体的な形状は図面で決めていなかったため、敷地の状況を肌身で感じることで、現地で議論して決定した。
 今日の作業ではあらゆる場面から現場での気づきが設計を変え、よりよい空間が出来上がっていく感覚がした。設計と施工の行き来の重要性を感じ、今回の設計物が野生的な作品へと進化していくように感じられた。

昼からの作業では川沿いのアダンの木を撤去も行なった。アダンの葉はとげがついており、一般的には厄介者扱いをされている植物である。アダンを撤去したことにより、敷地から川の対岸までの視界が開け、川をとおる風が敷地に吹き込むようになった。回収したアダンの木からは数えきれない程のオカヤドカリが出てきた。アダンの木は我々人間にとっては危険で厄介な植物であるが、オカヤドカリやカニにとっては絶好の居住場所であったようだ。
なんの知識もなしに撤去してしまったが、本当に撤去する必要があるのか、何か活用方法は無いのか、などを考えたうえで撤去すべきだったと反省しなければいけないなと、ヤドカリに対して罪悪感を感じた。

夕飯は津波さんが自給自足で栽培されているシブイ(冬瓜)や空芯菜、ピーマンなどの野菜を提供いただき、料理を振る舞っていただいた。第一回の与那滞在時に教えていただいたカキシブイを実際に調理したり、シブイ汁、シブイのおひたし、ピーマンと空心菜の炒め物、などを津波さんに教えていただきながら調理した。
食後には大城さんが知り合いの方からもらったスターフルーツを出していただいた。スターフルーツは渋めで薄味の梨のような味がした。

ユンボの操作や材の提供だけではなく、このような夕飯の時間までもが遊具の建設工事にエネルギーをくれて、与那の方々と過ごす時間が遊具の一部になっていくように感じ、なんとしてもいいものをみんなで完成させたいと感じた。

 夜の食事後に大城さんにシンメイ鍋を見せていただいた。シンメイ鍋は沖縄でのみつくられているもので、大人数で食事をするための3尺ほどの大きさの鍋である。設計段階で、スウェイルのトップに来る水貯めを与那にあるものを利用しようと考えていたため、シンメイ鍋の存在を知ったことは設計の進展につながった。この鍋ともう一回り小さい鍋、ボールなど、あるものを準備し、それぞれで雨が降った時の音のスタディを行った。そこから一番響きのいい大きさのものを選定した。
このスタディも、出来上がった時のイメージをより具体的なモノにし、よりよい空間になることが想像できた。頭で考えるのではなく、五感で感じることがいかに大切かを改めて考えさせられた日であった。明日からも意識しようと思う。

修士二年 岡田大志 2022.8.28













published on September 9 ,2022

□Day1,2 8/26,27

むらやし初日は名護から大城さんに送り迎えをしていただき、与那に到着した。
車中での話では、遊具の敷地であるグラウンドでは今後湖岸に面して外からも賑わいが見えるため、遊具の一部をステージ的に使いたいという要望を頂いた。
また屋根に関しては、植物で編んだ屋根か紫陽花が自制しているので、紫陽花で覆うのはどうかとご提案頂いた。
またビオトープの機能として魚釣りができるようにしたいと要望を頂いた。
釣りが趣味の子供がいることと、与那で貴重な魚や生物を育てている方が琉球メダカ、闘魚、琉球ブナを提供頂けることがわかった。

1日目は現場にテントを立てることから始まった。
日除けと突然のスコールに対応するためのものである。墨出しは木の杭と木平板を購入し、位置決めを行った。津波さんが昔測量をされていたこともありトラバースを貸して頂き、指導のもと測量と水平出し、水糸張りを行った。  午後からは辺土名高校の環境科にビオトープを高校に作成した先生の見学、質問する会を頂いた。ここの話合いで分かったことは、元々高校では粘土や自然素材のみでビオトープが作られていたが、沖縄の気候では乾涸びてしまったり、防水シートに植物の根が突き破ってしまい、水が漏れたことがあった。そのため現在はモルタルで下を固めて、一定の水位からは少なくならないように設計されていた。モルタルの上には土や石を乗せて、植物を植えて魚や生物が育つ環境が作られていた。サギなどの鳥も度々訪れたり、琉球ブナやドショウなどが複数匹今でも池の中で暮らしていた。  僕らからはもし自然素材で作るとすると、粘土性の土を突き固めないといけないが、どこで土を入手できるのかという質問を行ったところ、粘土性の赤土は希少で、陶芸家も探し回っているほどということがわかった。防水シートだけでの施工も過去の経験から難しそうであるが、他の先生の中には田んぼの近く自然素材のみでビオトープを作っていた方がいることを教えてもらい、ビオトープを計画通りに施工するにはリサーチが足りていないことが分かった。  また大城さんの要望であったビオトープの釣り堀化をするためには最低深さ50am程度必要であるため、モルタルを使わずどこまで水をためられるのか見当が必要である。一度ビオトープに関しては防水シートと石でモックアップ程度に制作して敷地の水捌けなどを確認したいと考えている。
修士一年 村上龍紀 2022.4.28

published on September 9 ,2022

第一回沖縄合宿 2022/4/26 - 4/30


published on May 4 ,2022

□Day5 4/30

・成果物発表会

・AM8:30~10:45 リサーチプレゼン@よんなー館  
本日4月30日、計5日間の現地活動の集大成として現地で行ったリサーチ内容を収集し与那集落の住人の方に対してプレゼンテーションを行った。今回、本集落で調査したチブヤーウイ(ウタキ)、カー、村墓、屋号、石敢當などの関係性から見出した生活に信仰が浸透している集落構造だけでなく、滞在期間、毎晩のように共に食事を囲みながらお聞かせいただいた、彼らがこの与那で暮らし、何を思うのかという話を私たちなりにまとめたものをお伝えした。

  この私たちの拙いプレゼンテーションに対して、「これまで暮らしてきた与那の魅力を自慢できるということがわかって嬉しい」という声をいただいた。5日間この集落で過ごしただけでもわかるほどに彼らは自分達の暮らしと、生まれ育った与那という土地に誇りを持っていた。都市化され、何不自由なく暮らしている私たちにとって彼らの暮らしは「この土地で生きる」ことを再考するには十分すぎるほどであった。

この与那集落において大切なことは目先の利益や発展ではなく、今現在まで紡がれてきた人と人のつながりを長い将来を見据えてこれからも継続していくことであろう。内地の人間である私たちをまるでこの集落の一員のように温かく迎えてくださった住人の皆さんと彼らが暮らす与那集落を見てそう感じた。

私たちまれびとの役目は「今失われつつある各地の村落の誇り」を丁寧に調査・記録し、紡いでいくことではないだろうか。

今回私たちがこの与那という集落とそこに暮らす人々に出会えたことは恵まれた偶然であったが、今後はこの与那という場所を基にして都市化が進む今の日本における集落や村落の価値を考えていきたい。

・13:30~15:30 現地調査@首里城、玉陵
 与那集落を後にし、火災被害を受け、復興へと向かう首里城を訪れた。その被害は酷く、広大な土地だけが残ったその場所はいかに首里城が荘厳であったかを思わせた。無事復興・再建することを祈ります。

・16:00~17:00 「風の間」訪問、解散
 沖縄合宿の最後に芦澤先生が設計した「風の間」を訪れた。沖縄の高温多湿な気候と伝統的な住宅形式を残しながらモダン的に読み解いた素晴らしい建築であった。

 1F床下の基礎の面積を最低限に抑え、開放的で高床に設定された設計からは南北に向けて外部からの風が吹き抜け、沖縄の暑さを感じないほどに心地よい空間であった。早稲田の学生たちと別れた後、ありがたくも私たちは宿泊させていただいたがこれまでの疲れもたたり、夜は正真正銘の爆睡であった。

 敷地東側にある墓を崇めるように考えられた設計は沖島に根強く残っている先祖崇拝の意識なども色濃く残し、外部からの視線や沖縄の強い日射を遮るため設けられた植物による緑のスクリーンは沖縄の住宅に見られる生命力あふれる植栽と馴染んでいた。

修士二年 山田啓真 2022.4.30

published on May 4 ,2022

□Day4 4/29

本日は朝7時から村墓や拝所等、与那集落の信仰空間の実測を行い、その後、集落で狩猟や畑をやっておられる津波さんに同行させていただき、実際に現地の生活を体験した。

朝ごはんの後、集落から林道を車で20分ほど走らせたところにある、津波さんの畑に連れていってもらった。
畑ではトマトやきゅうり、キャベツや冬瓜等、他にも様々な野菜が自休自足のために栽培されており、その中で今日の夜にみんなで食べるためのキャベツと島らっきょうを収穫した。 収穫後は津波さんの家のガレージで野菜を一つ一つ洗い、夜に振る舞う猪汁やつまみに向けて下処理を行ったり、猪汁用の肉のアク抜きや、腕肉をバーベキュー用に処理した。

昼からは猪汁の火の番をしており、あく抜きや味噌での味調整、野菜を入れたりなど猪汁を完成まで調理した。

自分以外のメンバーは当初の調査予定であった大宜味村の喜如嘉集落の小学校や陶芸屋、滝などを調査してまわっており、自分だけが時間をふんだんに使って肉や野菜の仕込みから調理を行なった。その中で、普段、考えることもないであろう、「食べる」という目的を達成するために時間をかけることへの意義を少し見出したような気がする。

現代社会で私たちは食べ物の多くを外注している。フードマイレージという言葉もあるが、もっと小さなスケールで考えると、海外産や国内産は関係なしに私たちは、安全安心が保証された食べ物を他者から購入し、食している。
しかし、ここ、国頭村与那集落では自分たちで食べる野菜は山で栽培し、卵を産めなくなったニワトリをト殺したり、猪を罠で捕まえたりすることで肉を獲得し、川でウナギやテナガエビ、海岸でカメノテ等の海鮮類を捕るなど、やんばるの大自然から様々な恵みを分け与えてもらうことで生活を成り立たせていた。

そこには、食材と真摯に向き合うことで生活の美しさや時間のおおらかさのようなものがあり、日常では体験しえない豊かさを感じることができた。普段の生活を考えなおす機会になった。

夕方から夜にかけてのバーベキューでは、三線の演奏を披露していただいたり、マーニ(クロツグヤシ)やアダンの葉を使った伝統民芸や集落の昔の話などを教えて頂いた。現在コロナ禍や人口減少などの様々なことが重なり、下の世代にこういった技術を引き継ぐことが出来ないということを集落の方々も嘆いておられ、実際私たちにそういった技術を快く、熱心に教えてくださった。
なんとかして与那で受け継がれている様々な伝統を後世に残していく機会を作ることはできないだろうか。
今後、むらやしプロジェクトとして集落に関わるうえで考えていきたいと思う。

修士二年 岡田大志 2022.4.29

published on May 4 ,2022

□Day3 4/28

本日4月28日、むらやし沖縄合同プロジェクト3日目となった。

初日の夕食にて、与那の前区長である宮城忠信さんから、今日、沖縄の日本復帰50周年の記念式典があることを教えていただいた。そこで昼頃から記念式典に参加する学生と長澤社長の農地整備をする学生に分かれて、それぞれ役割分担することになった。

この日は朝6時から活動した。

与那の方の話を聞いたり、集落の説明が書かれているパンフレットを見た限り、カーと呼ばれる湧水が湧いている拝所や石敢當呼ばれる魔除けの石碑、家の方位や家の位置、地勢、戸主の職業の名前から名付けられた屋号の札が集落内に点在しているようだったので、全員で集落を歩いてみることにした。

最初に集落内に6箇所あるカーを目指して散策した。カーはコンクリート塀で囲われ、少し庇がかけられて、その中で湧水が湧いていた。集落の中心には祭祀に使われる神聖なカーが置かれ、それを囲むように各共同体が生活用水(洗濯、水浴び、飲水)として使う5つのカーが配置されていた。このカーの奥には山水が流れたてくる小川や水路が見え、木々が生い茂る森の入口のような場所としてデザインされており、生活と信仰が合わさった独特の空間であった。また住人の方にお話を聞くと、カーは生まれた時から場所やデザインは変わっていないことを教えて頂き、集落の構造、基盤となる不変のものであることが分かった。

この集落の構造があることで住人は集落の歴史文化を常に感じることができ、共同体としての誇りを産んでいると感じた。

朝食後は長澤社長の元で農地整備に引き続き参加させて頂いた。自ら率先して動くという理念が何かを変えるキッカケになることにつながると長澤社長に教えて頂き、リーダーとしての姿勢を学ばさせて頂いた。

昼食後は沖縄の日本復帰50周年の記念式典に参加した。記念行進では沖縄の様々な地域から集まった人々が行進しながら、復帰を祝いながら世界情勢が激しく移り変わっている現在の平和を願っていた。沖縄の日本復帰前、国境だった与論町と沖縄の間の北緯27度線の海上では、当時返還を求めて沖縄と本土の双方の船が集まり集会を開いていた。その名残で大きな篝火を焚きあって、海で隔てられながらも一つの共同体であることを表現する行事が残っていた。デモンストレーション活動に初めて参加して、人々の強い重いや意識を直に体験できた貴重な体験だった。

記念式典後は大石林山という国立公園を見学した。遠い昔の集落の跡や御嶽、拝所の役割を担っていた御願ガジュマル、隆起した珊瑚の岩が乱立した場所などを散策した。一部の道はデッキやベンチが付け足されていて、本来の山の姿とは違う景色の所があり残念だったが、与那の住人に聞くとガジュマルの根やサンゴの石垣が観光客によって傷つかないようにするための配慮であることが分かり、沖縄の人たちは本当に自然に対して敬意を持って生きているんだというように感じることができた。またサンゴの岩の穴には植物が共存する様に生きており、自然な形での植物と物質の共存した形態を見ることができ、建築のインスピレーションが湧いた。

内地では体験することができないことを体験して、普段の生活と対比的に見ることができ、自分の価値観がどこにあるのかを考えさせられる1日だった。

修士一年 村上龍紀 2022.4.28

published on May 4 ,2022

□Day1 4/26-27

・長澤社長のPJ紹介

本日4月26日、むらやしプロジェクトのキックオフの日となった。

事前に自分たちがむらやしプロジェクトで選定した大宜味村での気になることや、残っている伝統などを調べ、早稲田大学と滋賀県立大学の生徒たちによる数回にわたるミーティングを繰り返し、情報をできるだけ深めていた。
今回がその深めた情報をもとに初めて現場に赴く日であった。

今回のリサーチなどを通してキーパーソンとなる人物が株式会社Reスタート沖縄の代表取締役の長澤会長である。この人は主に農産物の生産や・流通・農家民泊・農家レストランなど多岐にわたって「食」を発信し続けている人である。この長澤会長にお世話になり、4泊5日の長旅をする予定である。

長澤会長に自身が所有しているさまざまな場所を案内していただいた。
ハイビスカス畑では、油粕などの肥料を使い、きちんと手入れされた原色の美しい赤色のハイビスカスが並んでいた。
バナナ畑では、実際に育てているバナナを食べさしていただいたり、木を実際に切ったり、農場の神木を拝見さしていただいたりと現地でしかわからない貴重な体験をさしていただいた。

宿に着いた時には、長澤会長の事業の企画や今後の展望、自信が大切だと思っていることなど話してくださった。道の駅などでは、販売するためだけに手数料が15%も発生したり、コンビニで手軽に買うことができるインスタント食材が流通してることなどが理由に農家の人たちは私たちが思うよりもずっと危機的状況にあることを教わった。そこで長澤会長は、一口30,000円の会費を払うことによって一年のその都度旬である食材の配達するサービスを提案していた。そこには長澤会長だけではなく、賛同する農家なども対象にするつもりであると仰っていた。

自身が美味しいと思った場所で自ら農作を行うことに対して、とても積極的であると感心したとともに、農家に対して自分ができることでよりよくしていこうと思ったのもとても素晴らしいことであると思った。この4泊5日の旅を通して、私たち若い力で良い提案をし、長澤会長とともにできる範囲で農業について何かしらの力になりたいと思った。明日は、そのため農業の現場に出向く予定である。そこでまた気づいた点などをまとめて提案をしていこうと思う。

修士一年  岸本武丸 2022.4.26

沖島合宿


published on May 4 ,2022

4/26-27

・初回顔合わせミーティング 沖島

今日は滋賀県立大学と早稲田大学のむらやしメンバーで初の顔合わせミーティングを行った。
日本で唯一である、淡水湖に浮かぶ有人島、沖島町にて各々の研究室で行なっている活動を紹介しあい、芦澤研究室がインテリア設計に携わった「水の精」にて琵琶湖の淡水魚料理を振る舞っていただいた。
今後、むらやしプロジェクトを進めていくうえで、両研究室を理解し合うための有意義な時間となった。