「ソウギョバスターズ」〜京都大覚寺庭園復元計画〜

河原 司

環境計画学科環境・建築デザイン専攻3回生

 京都大覚寺の境内に周囲にあるおよそ1kmの大沢池は嵯峨天皇が中国の洞底湖を模して離宮を造営したと言われている日本最古の林泉である。大覚寺の庭園を構成する大きな要素であるが、同時に農業用水のため池としての役割を担っていた。また生け花の発祥の地であり、「滝の音は絶えて久しくなれぬれどなこそ流れてなお聞こえけれ」という歌で知られている名古曽の滝を有していた。大沢池では、嵯峨天皇の時代から現代まで、水面に映る月の姿を愛でて楽しむ月見の行事「観月の夕べ」が行われている。周辺部にハスやスイレンが繁茂し、花が美しい色を水面に添え、月の映る水面と呼応してそれは美しい情景であったと伝えられている。

 その水草が一面を覆ってしまうと月を映す空間がなくなってしまうため、人為的に分布範囲を管理していた。しかし労働力確保の困難さから、水草の管理が難しくなり、省力化しようと「草を食べる魚=ソウギョ」が移入された。適度に水草を食べてくれることを目論んで移入されたのだが、その結果は放たれて僅か数年で、池の一切の水草が消えた。つまり食べ尽くされたのである。その結果、水質の富栄養化がはじまり、水質も悪化した。同時に周囲の土手が徐々に崩壊し、その原因はソウギョが餓えで土手に生えている樹木の根っこにまでかじり地耐力が弱まった結果ではないかと想像できる。また直接の因果関係は不明だが、周囲の樹木も樹勢が悪くなりはじめていた。このまま放置すると、大沢池をはじめとする池周辺の自然景観がここ十数年で大きく変化し、壊滅的な状況に陥っていくことが十分予想される。

 そこで我ら「ソウギョバスターズ」が結成され、「大沢池の自然景観を修復する」ために立ち上がったのである。我々の活動は池の状況を正確に把握すると共に、「観月の夕べ」を楽しみ、周辺の樹木に活力を取り戻し桜等が咲き乱れ、ハス、スイレン等の水草が繁茂する空間に復活させることを目的としている。

参加者は、松岡先生率いる滋賀県立大学の学生15名と、京都嵯峨芸術大学の学生50名。観光デザイン、建築、ビオトープ計画、造園計画、野生生物管理計画、地域計画、地域資源管理計画、測量、大型淡水魚釣り等、各分野の専門家からなる多数のボランティアスタッフである。

 2001年8月に初の大規模な現地調査を行った。「大沢池の利用とその変遷に関する社会調査」「水深調査」「テレメータによるソウギョ行動調査・生息数の推定計算」「樹木活力調査・土壌調査」についてである。この調査により次々と新しい事実が明らかになった。ソウギョを池に移入せざるを得なかった社会的背景の変化。池の管理が複数の団体に渡っているそれぞれのジレンマ。これまでほとんど知られていなかったソウギョの生態、池内での行動範囲、個体の数と年齢、大きさなど。推定でしかなかった池底の断面・ヘドロの厚み。これはソウギョ進入防止用のネットの設計・制作に非常に重要な情報である。

 池周辺に植わる618本の樹木全ての樹種(50種)の特定とそれぞれの活力度及び土壌の評価。これにより、樹勢が悪くなっているのは、ソウギョだけのせいではなく、観光や散歩の多くの来訪者の踏圧によって、土が堅くなり樹木にとって辛い生息環境になっていたことがわかった。

 各項目において、専門家スタッフが指揮をとり、学生が補佐をする形態をとった。学生たちは専門家スタッフから作業の進め方や判断の基準を吸収し、中盤以降はそれぞれが自分の判断で調査を進めることができるまでになった。私自身の目から見ても、皆、本当に一生懸命に調査をしていた。調査そのものにやりがいを感じていたし大きな成果が得られるであろうことをそれぞれが実感していたからであると思う。今回の調査は、大沢池の現状を明らかにする面でも、我々が社会で活躍しておられる専門家の方々から様々なノウハウを吸収し学習できたという面でも、大成功だったと思う。

 今年度は3年計画のうちの2年目として、より具体性をもったかたちに進めていく。次回活動は2002年2月中旬。この時には、昨年の8月に収集したデータを元に、具体的な修景計画への実験を始める。池の一部のエリアにハスを試植し根付き方、ソウギョの食い付き方、修景後の景観シミュレーション等、様々な視点から検討する予定である。

※ソウギョバスターズでは参加者を募集しています。興味をお持ちの方は、ウェブサイト (http://www.f2d.net/sb/)をご覧になるか、環境科学部・松岡研究室までお問い合わせ下さい。