水産と環境

伴修平

環境生態学科

水圏環境大講座

はじめに

 昨年5月に赴任して9ヶ月が過ぎようとしています。永く水産学部に籍を置いておりました関係上、私にとって環境学との接点といえば、水産学でありプランクトン生態学でした。ですからこれまでに関わってきた環境問題といっても、「富栄養化」や「環境ホルモン」といった広く一般生活に影響を与える話題ではなく、「漁業が生態系におよぼす影響」といった普段の生活からはちょっと馴染みの薄いものでした(これが環境問題と呼べるのかもちょっと自信がありませんが・・・)。

 湖における魚類生産というのは結局のところ一次生産に依存しますから、いわゆる水の澄んだきれいな湖よりは濁った汚い湖の方が高い漁獲量が期待できます。しかし景観的には透明度の高い湖が好まれるので、「漁業」と「観光」は常に対立する宿命を持っているといえます。また、漁業は捕ることによって漁獲対象生物に大きな影響を与えると考えられがちですが、仔稚魚の人為的な孵化放流もまた生態系に与える影響は大きいのです。しかし、放流による環境への影響評価はほとんど行われていないのが現状です。

 ここでは、私が北海道の湖沼(渡島大沼と洞爺湖)で行った研究を例に、人工孵化放流が湖沼生態系に及ぼす影響についてご紹介したいと思います。

 渡島大沼は函館近郊の駒ヶ岳山麓に位置し、比較的浅い湖で(最大水深は12m)、リンや窒素含量から中栄養湖といわれています。一方、洞爺湖は岸からすぐに深くなっており、最大水深は179mあります。湖水中の窒素量は大沼の1/3、リンは1/10以下で、いわゆる貧栄養湖に分類されます。このように両湖はまったく異なる物理・化学的性状を持つにもかかわらず、そこに住むミジンコ達の生活は、魚類の放流によって同様の影響を受けているのです。


渡島大沼の場合

 渡島大沼では4月中旬に氷が溶けて水温が上昇し始め、植物プランクトンが増加すると、これに伴ってまずケブカヒゲナガケンミジンコが急激に増加し、少し遅れてゾウミジンコが増加してきます。これらの個体数はすべて6月初旬に最大となりますが、6月の中旬から下旬にかけて急激に減少してしまいます。

 植物プランクトンは5月下旬にピークを示した後、6月初旬には減少傾向に転じます。ミジンコ達の産卵数を調べると、植物プランクトンの減少に伴って減少することが分かりました。これは餌不足によってミジンコ達の増殖が抑えられることを示し、また飢餓による死亡の可能性も暗示します。7月以降には再び植物プランクトンが増加し産卵数が回復するにも関わらず、ミジンコ達の個体数は6月の1/2から1/4程度にしかなりません。

 渡島大沼では5月初旬にワカサギの人工孵化放流が行われています。ワカサギの消化管内容物を調べると、5月下旬から11月までの期間、常にケブカヒゲナガケンミジンコとゾウミジンコを食べていることが分かります。ミジンコ達の出生率と死亡率を計算すると、いずれも5月までは死亡率が極めて低いのに対して、6月以降は常に出生率を上回る高い死亡のあることが分かりました。おそらく6月に見られたミジンコ達の急激な減少は、餌不足とワカサギによる捕食の相乗効果として説明できるでしょう。また、夏以降に個体数が伸び悩むのは、ワカサギによる恒常的な捕食のためと考えることができます。

 一方、ワカサギの成長を調べてみると、5-7月の期間は一様に高い成長速度を示すのに対して、8月以降は極めて低い値となります。これは大沼でのワカサギの成長が周年を通して動物プランクトンのみに依存しているためであり、動物プランクトン量の減少する夏期に成長が停滞することを示しています。また成長に応じて利用可能なより大きな餌(ユスリカの幼虫など)が少ないことも要因の一つといえるでしょう。

 このように、ミジンコの個体数はワカサギによって大きく制限されており、ワカサギもまた動物プランクトンの充分とはいえない生産力のために大きく成長することができないのです。あるいは春の潤沢な動物プランクトン量によって、夏期の動物プランクトン量で養い得る数以上のワカサギが生き残ってしまうことが災いしていると考えることもできます。


洞爺湖の場合

 洞爺湖では、毎年5-6月にワカサギとヒメマスの人工孵化放流が行われています。湖水は、5月下旬から昇温し初め、6月から11月にかけて成層構造を示します。表面水温は20℃以上になることもありますが30m以深は周年を通して5℃以下です。植物プランクトン量の指標であるクロロフィルa量はせいぜい1-1.5 μg l-1ときわめて低く、季節変化もほとんどありません。動物プランクトン現存量は、毎年大きな季節変動を示し、春から夏にかけて増加します。年変動も大きく、1992から1993年まで4 g dry-wt. m-2 を上回ったのに対して、1994年以降は1.5 g dry-wt. m-2 を下回りました。動物プランクトン現存量の高かった1992から1993年には、ケンミジンコとハリナガミジンコおよびカワリゾウミジンコの3種が現存量の99%以上を占めましたが、ハリナガミジンコとケンミジンコはそれぞれ1994年および1995年以降ほとんど出現しなくなり、1996年にはカワリゾウミジンコも減少し、替わってそれまで出現しなかったゾウミジンコが増加したのです。

 これら動物プランクトンの出生率と死亡率を計算すると、1992から1993年と1994年以降で出生率に差は見られず、1994年以降の低い現存量が出生率を上回る死亡に依存していたことが分かりました。産卵数やクロロフィルa量が1994年以前と以後で大きく違わないこと、ハリナガミジンコ、ケンミジンコ、カワリゾウミジンコと体サイズの大きい種から順に出現しなくなったことから、1994年以降に見られた動物プランクトンの高い死亡は捕食者の増加によるものと考えられました。

 一方、主な捕食者であるヒメマスとワカサギの漁獲量は1992から1993年にはそれぞれ8-10トンと25トンであったものが、1994年には2.5トンと5トンにまで減少しており、動物プランクトン現存量と極めて良い正の相関を示しました。しかし、ここで注意しなければならないのは、漁獲量は必ずしも魚類の現存量を表しているわけではないと云うことです。洞爺湖ではヒメマスもワカサギも刺し網で決められたサイズ以上のものを漁獲しています。即ち、1994年以降に見られた動物プランクトンの高い死亡の原因は漁獲サイズに満たない小型魚の増加にあり、漁獲量の減少は動物プランクトン現存量の低下による成長不良が原因と考えられました。

おわりに

 以上見てきたように、渡島大沼と洞爺湖はそれぞれ異なる物理・化学的性状を持つにもかかわらず、そこに住むミジンコ達の個体数は共に人為的に放流されるプランクトン食魚類によって強く制御されていました。過剰放流による負のフィードバックとしての魚類の成長悪化は、どちらの湖でも人為的に行われているこれら魚類の放流量が根本的に過剰である可能性を示唆しています。大沼でも洞爺湖でも漁獲不振が問題視されていますが、実は過剰放流が原因であろうということは、ここで見てきたように生物間相互作用を詳しく解析することによって初めて明らかにすることができるのです。環境を保全あるいは改善するには、自然の静的状態だけでなく動的関係について熟知すること、即ち、何がどれだけあるのかだけでなく、何と何がどのように関係しあっているのかを知ることこそ重要なのだと常々考える次第です。