「突然」の環境問題
丸尾雅啓
環境生態学科
1月11日に海洋観測から戻った私の前に突然環境問題があらわれる。共同通信の船内ニュースで知ってはいたが事態がこのように深刻だとは思っていなかった。1月18日午前6時20分、新品のゴム長と耐油手袋、使い古しの雨合羽をナップサックに詰め込み、南彦根駅へ。作業が続くと食いはぐれもありうるのでカロリーメイトと熱い紅茶を用意した。集まった学生は18名。彼らの自発的な動きに私が巻き込まれた(興味があったので入らせてもらった)のである。南彦根から各停で芦原温泉までは150分。南今庄から乗客は増える一方であるが何故か高校生ばかり、殆ど満員の列車が福井駅で私たちだけに戻った時、今日がセンター試験初日であることを思い出した。8時45分、芦原温泉駅の改札口を出たところに無情の看板。
『本日の油回収作業は荒天のため中止です』
そりゃない、と思うのはこちらの都合(あとでHPにアクセスしてみたら7:30に中止が決まっていた)。行けば出来ることがあるかもしれないのでバスで現地へ。10時2分安島下車。バス停から数百メートル行くと海岸に降りる道があった。降りたところですぐに目に入ったのが、裏返しになったまま座礁した例の船首部分である。映像で見るよりもずっと海岸に近くせいぜい200m程しか離れていない。大きな波が来るとまだ動いているように見える(現実に12m移動)。すぐ目の前にありながら、重油を回収できない地元の人々はもどかしいだろう。この海岸にボランティア本部があるが、要はテントの集合体で、ボランティア登録受付(保険加入)、宿泊斡旋、炊き出し、更衣室がある。本部だけに人が集まったとしたら身動きも取れないであろう(当日は土曜日で、ボランティア登録者は1300人を数えた)。現場にいる人はボランティアと自衛隊、報道陣。すべて雨合羽に長靴手袋、そしてマスクの出で立ちで一種異様である。実行部隊の受付は6カ所あり作業は各々独自に行っている。
当日は波が高く、堤防沿いの道路を車が走って、自主的に油回収をするボランティア、地元民を退去させていた。せめて降りるだけでも降りようと思ったのだが丁重に制止される。堤防沿いの道を歩きながら、周囲の状況を観察したが、防波堤、テトラポッドなどが黒く着色しており、道路は回収したドラム缶などから垂れた重油が延びてぎらぎらしている。ドラム缶の一部は重油が入ったままで、覗いてみると殆ど真っ黒の重油(エマルジョン?)が入っていた。今回流出したものはC重油で、粘性と比重が高く、海上に散布された場合拡散面積が広いうえに水と混ざってムース状になりやすい。いったんムースを形成すると大量の水を含んで体積は5倍に膨れる。つまり回収された重油の80%は実は海水ということになる。ムースになると粘性、付着性ともにまし、容易には除去できなくなる。一部はそのままオイルボールになって沈降、一部は海岸に打ち上げられて石に付着、沿岸域の水産業にとってはかなりの打撃となるのだろう。今回見たのはまさにその状況であり、本部より少し離れた海岸の石が黒茶色に染まり、鈍く光っていた。近づいてみると思ったよりも油の層は厚く、触れるとべっとりと厚みを持ったまま手に付く。船の煙突の匂いがする。
結局、回収作業は中止、解散。学生は自主的に周辺の海岸の状況を観察。自ら行動を起こしただけあって関心が高く、興味深げに観察していた。残った者はガードレールの清掃、回収に用いた柄杓、バケツの洗浄など周辺及び用具の清掃にあたった。どれも重油が大量に付着し普通に洗っても全く落ちない。ガードレールの清掃には界面活性剤が登場。布に付けて必死に拭くボランティアの姿が翌日の紙面に掲載されたが、30人必要なところに100人が清掃に当たる人あまり状態。バケツ、柄杓の洗浄も50人のところに100人。灯油を入れたバットの中で重油をこすり落とし(新聞に出ていた目やのどの不調というのは重油だけではなくこの灯油にあり、私自身も目が痛んだ)、残りをウエスで拭くのであるが、人数が多く説明が徹底しないうえ、不慣れなために殆ど汚れたままウエスを持った人に渡す者、ふき取る必要もないほど自分で洗いきる者とあって非能率な状態に陥る。炊き出しも善意が有り余って、来た人に余分に配っており、阪神大震災の救援物資に似た状況が出来つつある。神戸のボランティア組織も地元と協力しているのだが、当日は全体の統率が取れず、折角のマンパワーを生かすことが出来ない様子であった。来た以上は何かをせずに入られない気持ちと、来てもらった以上何かしてもらおうというリーダー達の気持ちがこの事態を生んでしまうようだ。自分自身もこの状況下で何かしたいと思って残ったのであるが、むしろ必要な時のために「自主的に帰る」べきではなかったか。この日は休日を利用して来た人が多く、平日には再び人不足になるのだろう。また震災の時のように、マスメディアへの登場回数が減ると関心が薄れ、ボランティアが激減する可能性がある。継続してアピールせねば、ボランティア熱はすぐに醒めるかもしれない。ただ、ボランティアに行くということだけが本当に評価されるべきなのかという疑問は常にあり、本来その人が為すべきことは何かという個々の判断が求められる。
自分自身を振り返ってみても、私の専門は分析化学であり、人為的影響のない場合の自然環境の物質循環を解析するのが研究目的である。重油、原油の知識もないため今回の問題に直接触れられないもどかしさは確かにある。また自身で可能なものは無機成分のみであり、複雑な重油の有機成分の分析、影響の推測などはお手上げで一人では解析、解決できない問題である。世間で期待される、イメージされる環境科学というのはこのような環境汚染が中心のように思われる。しかしその基盤となるのは元来の自然な状態での物質循環及び生態系であり、自然な状態でどのように環境が変化していくかを知らなければ、ある因子がその系に取り込まれたときその本来の影響を見誤る可能性が大きい。現実に環境問題といわれているもののなかにもその事例がみられる。自然な状態からのずれがどれだけ起きるのか、正確に把握するためには、多方面からの協力による総合的解析が求められることになる。深い専門的知識とそれを統合できる広い視野を両立させるのは楽ではない。今後も今回のような生活環境に影響する現象が生じたときに、自分がとるべき行動は何なのか? 出来ることは? 環境科学部としてなすべきことは? 常に問い続けることが今の課題である。本当は「突然」ではないはずなのである。
参考文献 平野敏行編「海の環境科学」