幻想の枠組みを忘却すること

岡田哲史

環境計画学科

環境・建築デザイン専攻

建築学の分野にあって、私は建築デザインを専門としているが、この学問は、大学における研究教育と社会における実践とが直結する、まさに実学である。大学で研究に明け暮れて頭デッカチになったところで建築デザインができるようになるわけではないし、さりとて、デザイン馬鹿になって闇雲にかたちばかりを追っかけていても息が長く続くわけでもない。

建築デザインが実学である以上、実社会の現実を弁えることが大切になってくるが、実社会を弁えるとは、究極的には「人」についてあきらかにすることである。建築家は、所詮、人がいて、この世に生かされているにすぎない。結局のところ、人のために、建築家としての自分がどれだけお役に立てるか。私にとって、その問いかけの繰り返しが日々の営みになっている。

そうした問いかけの繰り返しは、新たな試みの繰り返しでもある。建築ひとつとっても、それを計画する土地が変われば人も変わり、それをとりまく環境も条件も変わる。それゆえ、そこにあるべき建築の姿をめぐっておこなう試行錯誤は毎回異なり、尽きることがない。建築家としての一番の愉しみは、こうした試行錯誤によって生まれる新たな試みを建築の実践に反映させることである。幸いにも、それを一緒に享受してくださる人々に恵まれて仕事をやらせていただいているが、その実践によってもたらされた成果がひとたび世界の眼に留まると、活動の場が一気に国際的な拡がりをもちはじめる。たとえば、海外の研究教育機関から招聘されて教育的な活動にあたることもあれば、まちづくりに関する企画づくりから施設の設計にいたるまで、実際のプロジェクトへの参画を要請されることもある。

一般に、建築デザインは文化的表象のひとつといわれる。それを考えれば、私が海外で行っている活動は国際文化交流である。もっぱら、欧米のアカデミアから講演や短期集中講義を依頼されることが多く、私が持参する話題をもとに、大学の教員や学生、さらにはその土地の建築家たちと議論する。日本で活動する建築家が、日本という土壌で、今という時代に、何を感受し、何を考え、それを建築という媒体でどのように表現しようとしたか。異文化を背景にもつ建築家に対する彼らの関心は、多かれ少なかれ、そこにあるにちがいない。私自身、海外で講演を頼まれるようになってしばらく、そんなふうに考え、構えてもいた。

しかし数年前、ひとつ大事なことに気づかされた。それは、彼らが私に対して一番に求めているものは「日本」という国ではないということ。ましてや日本の「文化」でもない、ということである。彼らと話をしていると、「日本」は議論のなかから忘却されている、いや捨象されているのである。

彼らの文化交流の目的は、「日本」に重心があるのではなく、「あなた」という個人にある。もっといえば、「あなた」にとって、「今、この場所に、なぜ、このデザインなのか」を私のなかから引き出すこと。それこそが彼らが私と交流しようとする目的の本質なのである。

よくよく考えてみれば、そもそも国家やその国の文化について、一個人が大上段に構えて論じることなどできるわけがない。国家というものは、所詮、幻想の枠組みにすぎず、たまたまそこに所属する個人は、その幻想に感染して、文字どおり“不思議な”帰属意識を植えつけられているにすぎない。彼らと交流しているうちに、私は、そんなふうに思う自分に気づかされたのである。

彼らは、私との交流をとおして、私のつくる建築から滲み出るなにかを感じ取ろうとしている。そのなにかが、私がおそらくはひどく感染しているにちがいない日本という国の何かなのか、はたまた私がこれまで感動してきた風景の数々なのか。実はそれは、建築のつくり手である私には知りえないもの、つまりは他者から仄めかされてはじめて気づくようなものなのだ。

その気づかされた「なにか」は、ともすれば私を駄目にする。なぜなら、その「なにか」は、またしても頼りない幻想の枠組みを私のなかに植えつけてしまうからである。幻想の枠組みは、決まって私を不自由にする。だから私はいつも、その「なにか」を自分のなかから追い払いたいと思っているが、それは意識すると余計に私のなかに根を下ろすため、忙しさにかまけて忘却の状態をひたすら先送りするしかないと踏んでいる。その「なにか」を自分の個性とか取柄であるなどと易々ということだけは慎みたいと思う一心で、である。

ともあれ、海外の人々との交流は、私がどんな幻想にどれほど感染しているかを気づかせてくれるという意味で、とても有意義に思う。そのためにも、私はひたすら、建築をとおして新たな試みを愉しみつづけるしかないのである。