私の環境学

村上修一

環境計画学科

環境・建築デザイン専攻

筆者は、現代のランドスケープ・デザインを考える際、先人に学ぶことを心がけてきた。特に、近代社会の進展とともに芸術の諸領域で創造性を発揮したモダニストの理論と実践に着目してきた。

著作や空間作品の質と量、および後世への影響の大きさを考慮してガレット・エクボ(1910-2000)に注目したい。1937年グロピウスらより欧州モダニズムの洗礼を受け、旧様式が主流を占めるランドスケープ・デザインの状況を問題視したエクボは、その後12年間で16件余の雑誌投稿をとおして、時代にふさわしいデザインとは何か、独自の論を展開した。また、アメリカ西海岸における戦後の住宅増設を追風に実践を本格化させ、それらの成果を「Landscape for Living」(1950年)として集成した。その後、実践・著述・教育の各方面で近代ランドスケープの牽引役を果たした。

筆者は既に、1)モダニズム展開の原動力となった社会認識と問題意識、2)独自の空間理論の構築、3)近代の空間成果の共有と独自性、という観点からエクボの理論と実践の検証を行った。その作業をとおして実感するのは、あらたな可能性を過去の事象から抽出できる創造的な感性が失われたという意味で、現代の我々がモダニズムに無関心であることこそが問題ではないかということだ。ここで、モダニスト・エクボの理論と実践から、ランドスケープ・デザインの今後の展開可能性を抽出してみたい。

■ランドスケープとデザインの再定義

20世紀に様々な専門領域が分化していったことをふまえると、ランドスケープを特定種の空間として明確に規定しデザインの対象としたのはモダニストではないかと予想してしまう。ところがエクボは「ランドスケープとは我々をとりまく環境であり、どこにいようと見たり感じたりする全てを含む」と、万物が対象たり得ることを示している。実践において対象の枠がどこまで広がっていたか別途検証が必要なものの、サイトプランニング(1942年)や環境デザイン(1966年)のように際領域的な新しい職能の提案を度々行ったことも、対象を包括的にとらえる姿勢に則している。

一方、デザインを「問題の解決方法の探索に始まり、有意な形態や表現の創造に終わる」こととして定義し、創造的なデザインには、諸事象およびそれらの相互関係を読み解き問題を抽出する科学者の眼力と、問題解決に有意な前例なき形態を創造する芸術家の感性の両方が必要とする。分析を伴ってはいるが前例を踏襲するデザインや、分析を伴わず根拠の無いデザインでは創造性が失われると。

エクボによる定義とくらべ、現代ではランドスケープが極めて狭小で限定的にとらえられているのではないだろうか。また、エクボのいうデザインの創造性がないがしろにされているのではないだろうか。諸事象の相互作用をとおして現れるランドスケープという原論的定義に立ち戻り、緻密な分析と自由かつ大胆な統合の双方かねそなえたプロセスとしてランドスケープ・デザインをとらえ直すべきであることをエクボは示唆する。無限の可能性の中から次世代に向けてどのような鉱脈を発見するか、それは我々しだいというわけだ。

■複雑系の時空間体験デザイン

無限の可能性の中から、具体的な方向をひとつ見てみよう。「ランドスケープはひとつの連続した時空間体験」と述べるように、エクボにとってランドスケープ・デザインの本質的な課題は、時空間体験の質を豊かにすることだった。この理念の具現化を意図して当初取り組んだのは、限られた敷地の中に多様な空間を共存させ、かつ、自由に動き回れる連続性を確保することだった。相反する多領域性と連続性の両立のために、ドゥースブルクの絵画「ロシアダンスのリズム」やミースの「煉瓦田園住宅」平面図に見られる直交線の幾何学を植物の配置に応用し、「free rectangularity」という形態を生み出した。この形態のそなわる1938〜40年の空間作品を分析すると、ロウとスラツキーが近代絵画や建築に指摘した二形式の透過性を要因として、同時多重に空間が認識可能である曖昧性が特徴として浮上する。領域間の自由な動線透過が、デスティル幾何学を継承する列植によって確保され、キュビスム絵画の画面上で積層する断片要素のように相互貫入する、多様な領域間の移動体験が可能である。さらに、領域の各直交線は植物種によってコード化され、種別による形態変化やふるまいの違いが顕在化する。つまり、空間および時間の両軸で体験が複雑化するように仕組まれている。

このようにエクボの視線が芸術や建築に向けられていたのは、近代の空間成果を抽出し応用するためであった。その応用をとおして、さらに独自の形態として複雑化の方向へと進化させたのが「free rectangularity」であったといえる。

芸術のモダニズムによる空間の探究には、単純化と複雑化の両方向が認められるが、今日注目すべき成果は複雑化の方である。モダニズムの展開期に、エクボはランドスケープの原論的定義に立ち戻ることで、その成果をより複雑な方向へ変換したといえる。エクボの空間思考が示唆するのは、機能的合理主義にもとづく均質な空間ではなく、時空間体験の質を豊かにする複雑な空間であり、複雑系のデザインへの序章ではないだろうか?

1937年に始まったエクボのモダニズム展開は、1960年代の著作まで明確にたどることができる。この生粋のモダニストの著作から、空間をめぐる研究やデザインについて新たな可能性を読みとることができるのは興味深い。逆に現代の我々は、希少なモダニストの行間から、現代社会に必要とされる可能性を丹念に読み出していく責務を担っているのだ。