外の風に

大学の開学10周年、短期大学部の閉学、独立行政法人化などなど、周囲にあることすべてが節目を感じさせてやまない。この中にあって大学院環境科学研究科は前期課程と後期課程の全てをこの彦根キャンパスで学習した、いわば「自前の課程博士」第一号が生まれる運びとなり、その公開審査会に出席してある種の感慨があったが、緊張した面持ちで語る発表者を眼にして別の想いも胸をよぎった。本誌前号で研究のマンネリ化への懸念に及ぶことを述べたが、それに通じることでもある。

こうして後に続く世代に私たちは先を拓く姿を見せることができているのか、がそれである。

先端的な研究のあり方には、従来の研究分野の先端を拓くものがある一方で、複合的な共同研究による新しい知見の獲得が他方にあることは知られている通りである。私たちが取り組んでいる環境問題こそは後者のアプローチが必須のものと言えるが、問題解決型を旗印にしていればそれはなおさらのことである。ここで考えるべきは、そうした姿勢が現在の県立大学に、そしてまた環境科学部に実感できるだけのものがあるのか否かであるがどうだろうか。学部の段階から研究科への段階に進むに際して、いわば横断する形で進学する学生がいるが、そうしたタイプの問題意識の持ち方なり関心の掘り下げ方なりを背景にした研究の進捗状況を眼にしていると、却って私たちの姿勢が問われていることを感じるのである。

先の平成16年度21世紀COEプログラムの募集に対しては環境科学部が中心となった内容「環境共生システムの社会実験的研究」で応募したが、選に漏れたその後の流れがどうも積極的ではないように思えてならない。COEプログラムとしては成立しなかったとしても、新しさ、これまでにはない研究意義の開発、こうしたものに大学の組織だけに限ることなく外部リソースとの連携をも含めて、積極的に挑む姿勢はこれまで以上に必要なのではないか。たとえ規模では小さくても、そうした姿勢の共有を意識し続けること、実践し続けることが次の10年間の課題のように思われるのである。

そうなりにくい原因はどこにあるのかを改めて問うときに、行き着く先の一つは個々の教員が独立性という名のカーテンの中に位置していることである。他流試合に挑むと言うといかにもだが、外にでること、外の風に当たって自らを見直す努力を欠いては後に続く世代にとっての導きにもならず、厳しさを会得させることも難しいのではないか。学部のあり方をめぐる議論が今ひとつ活発にならないことにも、このカーテンの存在が作用しているように思えるのである。私たちはカーテンを遮るものとして見ているのだろうか、それとも守るものと見ているのだろうか。

環境科学部長・環境科学研究科長

土屋正春