ヨシの機能を開発する

重点研究「水生植物の水質浄化機能の開発とその利用技術」を終えるにあたって

長谷川博

生物資源管理学科

環境科学部生物資源管理学科の役割のひとつは、環境問題を考慮した農業生産のあり方を考えるだけでなく、これまで農学で培われてきた知識、技術をわれわれの身の回りの生物に適用し、よりよい人間生活が可能となる環境を作り出すことである。筆者の専門は植物育種学、すなわち植物の品種改良に関わる科学であるが、その対象は農作物に限らず、野生の植物や菌類を含めることもある。現在、低肥栽培に適した作物育種の基礎研究として植物の栄養イオン吸収に関わる生理学・遺伝学を研究するとともに、ヨシやオオカナダモを用いて水質改善、土壌汚染の修復に有効な遺伝子を探索している。

ファイトレメディエーションは植物の機能を利用して、土壌、水中あるいは大気中の環境汚染物質を取き、無害化する手法である。物理化学的手法に比べて効率では劣り、しかも長時間を要するのが難点であるが、あらたな環境問題を引き起こす危険性が少ないこと、植物群落が周囲の気象に良い影響を与え、また景観的にも優れた効果を持つことから、注目されている。ただし、その実用化に向けて、しっかりとした基礎研究の裏付けが必要である。ファイトレメディエーションの基礎・実用化研究は環境科学部が取り組むべき重要な分野であろう。

ヨシは温帯から亜寒帯の静かな水辺や湿地に自生する植物で、水質改善に有用な植物として宣伝されている。たしかに、ヨシ群落を有する池からの排水では水質の改善が見られるが、それははたしてヨシの機能なのか、ヨシ以外の植物、藻類、微生物の働きの方が大きいのではないかという疑問がある。一方、ヨシの植栽が各地で行われているが、ヨシ群落の成長が順調でない所もある。栽植現場の土木工学的な問題点もあるが、ヨシがどのようにして大きな群落を形成しているのかという基礎知識がなく、ただ漫然とヨシが植えられていることにも原因がある。ヨシは水生植物という点が強調されているが、湖沼の水辺に生える植物で、浸水条件にも乾燥条件にも耐える植物であるという点が忘れられている。

以上のような観点に立って、平成14〜16年度に助成を受けた滋賀県立大学特別研究費(重点研究)を申請するに当たり、水質浄化能機能が高いヨシの育成とヨシ群落の形成過程を明らかにするという2本柱のプロジェクトを立案した。研究は長谷川が中心となり、植物の地下部に詳しい泉助手、ヨシ群落の育成に関しては農業土木的な観点と地形学的な観点からの考察が必要であり、それぞれの専門家である矢部教授と倉茂助教授、さらにイネ科植物の分類と病害に詳しい但見教授の総計6名で行った。研究テーマのほとんどを長谷川が指導する大学院生と卒業研究の4回生が分担したほか、一部は環境フィールドワーク?のなかで調査を行った。結果の概要は以下の通りである。

1.水質浄化機能の高いヨシを探して

植物は根から窒素、リン、カリウムなどの栄養イオンを根の表皮細胞の細胞膜にあるイオントランスポーター、イオンチャネルと呼ばれるタンパク質を介して吸収している。これらタンパク質の遺伝子がイオン吸収遺伝子であり、その機能を強化すれば富栄養化物質の吸収が増大するヨシの育成が可能と考えられる。

守山市の琵琶湖岸のヨシから得られた種子を繁殖させて育成した2つのクローン(無性的に繁殖した生物の集団)について、ヨシの茎の節から植物体が無性的に繁殖できることを利用して、多くの小さなヨシ幼植物を育成し、各々の硝酸吸収速度を測定した。その結果、2クローン間で吸収速度が約4.5倍異なっていること、硝酸吸収遺伝子に若干の塩基配列の差異があることを認めた。このような遺伝子の変異が硝酸吸収速度とどのように結びついているかは分子生物学的基礎研究が必要であるが、いずれにせよ硝酸吸収速度が大きいヨシは窒素除去に有望な遺伝資源であることは確実である。なお、滋賀県農業総合センターは農水省の地域バイテク研究助成をうけて、遺伝子組換え法による高窒素吸収ヨシの開発にとりくみ、イネのグルタミン合成酵素遺伝子をヨシに組換えることにより、高アンモニア態窒素ヨシの育成に成功している。

窒素の吸収能力について遺伝的改良の可能性が明らかになったので、さらにリンや重金属をよく吸収し、蓄積するヨシを探索し、育成する方向で研究を発展させることにした。リンの吸収や輸送に関与する遺伝子はかなり複雑であると予想されるで、植物がリンを蓄積するフィチンという物質を大量に作らせるヨシの作出を試みている。また、ヨシのカドミウム吸収・蓄積能を予備的に調べたところ、ファイトレメディエーションに利用しうるだけのカドミウムが吸収され、根から茎葉部へ移行していることが明らかになった。現在、湖沼や湿地土壌に蓄積した重金属除去に対するヨシの有効性を確かめるとともに、高カドミウム吸収ヨシの育成を目指している。

なお、人為改良されたヨシを環境中に植えることには慎重論もあろうが、管理された群落で用いることと、花粉や種子が拡散しないヨシを育成することなどを徹底することにより遺伝子拡散は防がれるので、この問題はクリアできると考えている。ことに後者は雄性不稔植物の作出という、植物の品種改良ではもっとも基本的な技術の適用である。

2.ヨシの群落の成立に関する考察(十勝のヨシ群落調査から)

FW?の実地調査で西の湖のヨシ群落などを調査した帰路のバス中で、倉茂先生から「北海道のわが国で唯一と思われる自然堤防上にヨシがある。そのヨシは周辺の湿地の群落から来たものか、上流から流されてきたものかわかりませんか?」という質問を受けた。即座に「最近のDNAマーカーなどを使えば可能ですと答えたのが十勝でヨシを調査する直接のきっかけになった。

ところで、ヨシは地下茎を伸ばして広がっていく。そのため、大きなヨシの群落(筆者は昨年洞庭湖岸のヨシ群落をみて唖然とした)でも比較的少数のクローン(すなわち、ひとつの苗からでたヨシ)で構成されていることが知られている。大きなヨシ群落でもはじめは多くの種子、あるいは漂着した地下茎の節から出た多くのヨシ苗から出発しているはずであり、それらが互いに競争しあって、その地の環境に適した個体が大きなクローンを形成するに至ったのではないか。そのような仮説をたてた。それを検証できればヨシ群落の育成にあたり、ヨシ苗の選定から群落の管理までの有用な情報が得られるはずである。そのためには、自然に形成された地形にみられるヨシ群落を調査する必要がある。

北海道十勝の太平洋に注ぐ当縁川は琵琶湖に流入する河川程度の規模の河川であり、下流に自然堤防が形成され、その周辺に潟湖が埋まった広い湿地が広がっている。ヨシは上流部の湿った土地から、下流の湿地まで広く流域に分布している。面白いことにヨシの生育には不適と思われる乾いた自然堤防上にも細々と生きているヨシがある。この下流の湿地でヨシを採取し、その遺伝子を調べて湿地の微地形と対照させると、地形に変化に対応するようにいくつかのクローンに分かれていることに気がついた。当縁川流域のヨシを彦根に持ち帰り増殖させ、異なる水環境で育てたところ、湿地のヨシは乾燥状態では非常に育ちにくいことが明らかになった。このようなことから、その地にもっとも適応したヨシが大きなクローンを形成していることは確実とみられ、今後は採取地点の環境とその場所のヨシの形態・機能を関連づける作業が必要になってくる。なお、調査地は2003年9月の津波により塩分を含んだ水が侵入した可能性がある。少なくともその地にも津波が侵入し数ヶ月にわたって冠水した状態が続いた。このような環境変化が調査地のヨシ群落にどのような影響を与えているのか、引き続き調査を行いたいと考えている。また、自然堤防上のヨシの一部は当縁川のある支流の特定の場所のヨシと遺伝学的にきわめて関連深いことがわかった。直接の証拠を得るためにはさらにDNA鑑定を行う必要があるが、最初の倉茂先生の質問には80%程度の回答が出せたと思っている。

2004年夏、小中の湖干拓地の一角にあるヨシの栽植地(栽植工事1年後)を調査した。そこでは種子から育てたヨシ苗が植えられており、狭い範囲内にさまざまな形態のヨシが育っていた。ヨシがどのように競争し、生き残って大きなクローンを形成していくのかを明らかにするための、絶好の調査地を得ることができた。十勝での調査結果と合わせれば、ヨシ群落の成立過程がより明白な形で明らかになり、ヨシ群落育成の指針を作ることも可能となろう。もっともこれを作成するためには、水理学や土木工学の専門家の理解と協力が必須である。

以上の他に実際のヨシ群落がどのように管理され、そこにはどのような問題があるのかを彦根市曽根沼のヨシ群落をフィールドとして調査した。曽根沼では夏になるとヨシが枯れ始めるのが観察されたが、それが富栄養化あるいは酸素不足といった水質の悪化と関係しているのかは現段階では不明である。水辺のヨシが夏に公園管理者により刈り取られ、群落の継続観察が不可能になった場所があった。ヨシ群落へのゴミ不法投棄対策のためなのか、成長しすぎたヨシが景観を悪くするためかは不明であるが、ヨシ群落を再生するという政策の一方で、都合が悪ければ除去するという身勝手が見受けられた。残念なことである。

この重点研究は現在では環境修復事業に熱心な企業と環境浄化機能が大きく、かつ植栽予定地の環境に適したヨシ苗を生産する目的の共同研究へと発展しつつある。今後はヨシだけでなくオオカナダモなどの沈水植物なども対象として、ファイトレメディエーションに有用な水生植物の育成を進めていく予定である。研究の詳細は近く発行予定の報告書、あるいはこの研究から生まれた投稿論文を見ていただきたい。なお、この研究の一部を担当した院生から、来年には学位取得者が出る予定である。最後に実際の調査・実験を担当した院生、学生諸君に感謝の意を表したい。