方法の開発を

この夏にストックホルムを拠点としてスウェーデンでかなりの人と会った。ストックルム水週間を利用してのことだが、考えさせられたことを記しておきたい。

 水週間の国際シンポジウムは連日かなりの人で混雑したが、私が参加した河川管理をめぐる第2分科会ではほんの数年前にヒートしていたテーマである「ステイクホルダー」は影を潜めていたのが印象的であった。とりわけ社会科学の方面では新しい概念の活用が新地平を開拓することがあるもので、このステイクホルダーがきわめて多用されたのも従来から乗り上げていた関係利害の調整をめぐる議論に新しい切り口が見出せるのではないかという期待があったためである。実際に当時のある国際会議ではこの用語がそれこそ3分に一度は飛び交ったのだが、司会者自身が後で私の質問に答えて言うには「正直に言うと、この言葉の正確な意味は私にも分からない」とのことであった。要するに言葉が便利に使われすぎて、実は議論が空転していたのであり、現在ではこの言葉の使われ方はかなり限定されてきている。限定されてきた結果、問題に切り込むのに有利な道具となっているのかというと、そうでもないのが実状であると言えよう。

 では、この言葉に代わりこの会場で飛び交っていた言葉は何かというと、「water users' associasion」なのである。ステイクホルダーに代わり、この概念は水利用者がそれぞれの立場にあること、それを超えて連携すること、連携できること、を包含している。ただし会場ではこの概念を用いることで何がどこまで明らかにできるのかについて明確に提示されていた訳ではない。水をめぐる権利は誰にあるのか、という問題は深刻化の一途を辿りつつある。利用者をグループ化するとなると、その相手は誰になるのか。ステイクホルダーよりもこの概念の方がより規模の大きな問題構造を明らかにすることには適切に機能するのではないか、という点では多くの人の意見は一致していた。

 ここに記したのはいわば問題へのアプローチ、攻め方、の変化の一例とも言えようが、どうも環境学にあって欠けているのは方法の開発なのではないかという思いを久しく抱いている。共同研究の必要性が声高に叫ばれているが、「共通のテーマ」を設定した後はそれと関係する一連の個別分野の研究が成果として残されることが多い。問題の複雑さと対峙するには研究方法の開発それ自体を研究する体勢と努力とを欠くわけには行かない。たぶん、問題の立て方からの再検討が必要になるのだろう。

環境科学部長・環境科学研究科長

土屋正春