琵琶湖の生き物たちの現状

伴修平

環境生態学科

はじめに

琵琶湖は、表面積670km2、最大水深104mを有する我が国最大の湖であると同時に、その広さと地形の複雑さによって最も豊富な生物相を持つ湖でもある。現在、琵琶湖に生息する生物種は1,000種を上回り、その内訳は、動植物プランクトンが約480種、底生動物が約400種、魚類が約60種、沈水植物が約60種、寄生性動物が約30種、水表生物が約10種である(※1。このうち琵琶湖にしか生息しない、いわゆる固有種は59種にのぼる(変種、亜種を含む)。このように豊富な生物種を持つのは、琵琶湖が長い歴史を有する古代湖の一つだからであり、現在の北湖盆が形成されたのは40万年前と推定され、今より南に位置していたと考えられている古琵琶湖ができたのは400万年前といわれる(※2。

 ここに見られる固有種は、プランクトンで5種、水草で2種、昆虫で12種、魚類で13種、貝類で29種であり、貝類の固有種の割合が最も高いのが特徴的である。固有種には、かつて広い分布圏を持っていたものが、ある特定の地域にだけ生き残ったもの(残存種あるいは遺存種)と、地質学的に近い過去において湖内で分化したものがある。琵琶湖では、ナガタニシ、セタシジミ、オトコタテボシガイ、イケチョウガイ、ビワオオウズムシ、アナンデールヨコエビなどは残存種に含まれ、ビワカワニナ亜属の15種は琵琶湖の環境に適応して種分化した新しい種と考えられている。

 このように長い歴史の中で、その環境に適応して進化してきた生き物たちは、その形態のみならず、それぞれの生活様式、あるいは生物間相互作用においても独自の関係を築いてきた。しかし今日、我々人類による攪乱がこれら生物の存続を脅かしつつある。本小論では、琵琶湖に住む生き物たちを、プランクトン、魚類、底生動物、水生植物に分けて、その現状について概観し、今後の展望について考えたいと思う。

プランクトンの世界

湖における生物の生息場所は、湖底まで光が届く沿岸帯と光が届かない沖帯に大きく区分することができる。つまり、水生植物が繁茂することができる比較的浅いところ(およそ10m以浅)が沿岸帯で、水生植物の繁茂を許さない深さを持つところ(およそ10m以深)が沖帯と言い換えることができる。沿岸帯では、ヨシやガマなどの抽水植物、コウホネやアサザなどの浮葉植物、エビモやコカナダモのような沈水植物が主な一次生産者だが、沖帯ではこれら大型の植物に代わって、単細胞藻類である植物プランクトンが主な一次生産者となる。

琵琶湖北湖のように相対的に沖帯の割合が大きい湖では、植物プランクトンを出発点とする食物網が湖の物質循環を駆動する要となる。 そもそもプランクトンとは、水中を自力で長距離移動できない生物の総称であり、植物プランクトンといっても、珪藻類、緑藻類、黄金色藻類、渦鞭毛藻類、クリプト藻類、ユーグレナ藻類と様々な植物群を内包している。琵琶湖が貧栄養湖だった1960年以前の主要な植物プランクトンは珪藻類によって占められ、ときどき緑藻類が増える程度であった。しかし、1960年以降、湖の富栄養化が顕在化してくると、藍藻(現在は、藍細菌と呼ぶ)が急激に増加し始め、それまで見ることのなかった様々な藻類の急激な増加現象(以後、ブルームと呼ぶ)が頻発するようになる3。大型緑藻のClosterium aciculareやStaurastrum dorsidentiferumのブルームが観察されたのもこの時期で、浄水場の濾過施設に障害を与えたり、繊維会社で洗浄中の布を緑色に染めたりしたほどであった。1969年以降には、珪藻類のSynedra rumpensと藍細菌のPhormidium tenueによるブルームと、それに伴う水道水のカビ臭が社会問題となった。1978年以降には、黄金色藻類のUroglena americanaによる赤潮の発生、1983年以降には、アオコ(藍細菌によるブルーム)の発生がいずれも毎年繰り返されるようになる。さらに、1989〜1990年には、一時的にピコプランクトン(2μm以下の微小プランクトン)のブルームによる透明度の急激な低下が報告されている。

 過去20年間における琵琶湖北湖での植物プランクトンの季節変化を要約すると、冬にはAsterionella formosaやFragilaria crotonensisなど大型の群体を形成する珪藻類が優占し、春にクリプト藻類が増加した後、5〜6月にU. americanaによる赤潮がみられ、夏から秋にかけては、C. aciculareやS. dorsidentiferumなど大型緑藻が優占する。ただし、年や場所による違いも大きく、我々が一昨年(2002年)に北湖最深部付近で行った調査では、周年にわたってC. aciculareとS. dorsidentiferumが優占し、U. americanaの赤潮は見られなかった。細胞容量で指標される植物プランクトン現存量は、北湖北端の今津沖最深部付近に比べ、北湖南端に位置する和邇沖の方が2〜3倍高い傾向にある。また、長浜港など汚染負荷の高いところでは、局所的にアオコの発生も見られるようだ。

 その昔、典型的な貧栄養湖といわれた琵琶湖北湖も今は中栄養湖といわれるが、そんな昨今でも春から秋の成層期には、リン不足によって植物プランクトンの増殖は制限されている。これは、比較的深い沖帯を多く含む北湖では、表層水温の上昇に伴う温度成層の発達に伴って湖水が鉛直混合し難くなるため、植物プランクトンの消費した栄養塩が下層から補填されなくなるからだ。北湖が南湖のように急激な富栄養化を遂げない理由の一端もここにある。しかし、この成層期に、植物プランクトンは全く栄養を摂れないかといえばそうではない。植物プランクトン自身によって、あるいは植食者である動物プランクトンによって排泄される窒素やリンを再利用しているからである。最近の研究では、この栄養塩の再利用のされ方が、動物プランクトンの種類組成によって異なることが明らかになってきた。動物プランクトンは、植物プランクトンに比べるとずっと長い寿命を持っているので(といっても、1〜数ヶ月程度)、リンの貯蔵庫としての役割を果たすが、この貯蔵庫の大きさが種類によって異なるというのだ。ミジンコという名で親しまれている枝角類、特にDaphnia属は極めて高いリン要求を示すことが分かっている。これに対して、ケンミジンコとして知られる橈脚類では窒素要求が高く、リン要求はそれほど高くない。この違いは、植物プランクトンにとって利用可能な再生栄養塩の供給量に大きな影響をもたらす。Daphniaが優占する場合、これらはリンを溜め込もうとするため、そしてリン不足の環境であればなおさら、排泄するリンの量は低く抑えられる。

Daphniaはまた、摂食速度においても圧倒的にケンミジンコに勝るため、Daphniaが優占すると、供給される再生栄養塩の低下と捕食による死亡率増加のダブルパンチで、植物プランクトン現存量は急激に低下する。実際に琵琶湖ではどうなっているかというと、動物プランクトンは、ほぼ周年を通して橈脚類であるEodiaptomus japonicusが優占している。春から秋のリン制限を受けている時期にも、ある程度の植物プランクトンバイオマスが維持されているのは、このためかもしれない。そして夏から秋にかけて増えるC. aciculareやS. dorsidentiferumなど大型緑藻が、橈脚類の口の大きさより充分大きく、摂食され難いこともこれに寄与しているに違いない。

 ところで、Daphniaが琵琶湖でそれほど多くならないのはなぜだろうか。ひとつには、プランクトン食魚類による選択的補食が考えられる。琵琶湖沖帯には、コアユ、モロコ、イサザ、ニゴロブナなど多くの動物プランクトン食魚類が生息している。これらはみな、視覚に依存して餌を補足し摂食するので、大きくて目立つものから選択的に摂食する傾向にある。Daphniaは、動物プランクトンの中では大型で目立ちやすく、また動きも鈍いので、これら捕食者の格好の餌食になり易い。実際に、コアユを使った摂餌実験では、コアユは数の多いE. japonicusより数の少ないDaphniaを選択的に食べることが確かめられている(※4。考えられるもうひとつの理由は、餌藻類の量に求めることができるかもしれない。既に述べたように、夏から秋にかけて湖水が成層する間、琵琶湖の植物プランクトンはリン制限下にある。さらにこの時期には、大型の藻類が卓越するため、Daphniaは栄養状態の悪い、そして存在量の少ない小型の藻類を食べるしかない。これは、リン要求の高いDaphniaにとって、あまり良い環境とは言えないのかもしれない。実は、湖底堆積物の柱状試料からプランクトンの遺骸を取り出すことによって、過去にどのくらいDaphniaが生息していたかを推測することができる。それによると、Daphniaはちょうど富栄養化が始まる1960年代以降に増加しており、それ以前はほとんど見られなかったようなのだ(※5。琵琶湖のようにプランクトン食魚類の高い捕食圧の下では、ある程度、栄養塩の負荷があって藻類の生産力が高くなければDaphniaが個体群を維持してゆくことは難しいのかもしれない。

魚類群集構造の変化

 琵琶湖とその流入河川には、71種にのぼる魚種が生息しているが、これは本州に生息する全淡水魚種数の実に半数以上を占める(※6。これらのうち主要な漁獲対象魚種は、コアユ、フナ、モロコ、イサザ、コイ、ビワマスの6種であり、近年は全ての魚種で漁獲量の減少がみられる(※7。特に、フナとイサザは1970年以降急激に減少し、コアユも1990年以降には、それまで増加傾向にあった漁獲量が減少傾向に転じている。この減少傾向は、在来のコイ科魚種で顕著であり、沿岸帯に卓越していた水生植物群落の消失と魚食性外来魚(ブラックバス)の増加に起因するところが大きいと考えられている。主な生息域として沿岸帯を利用している多くのコイ科魚類やフナの仲間だけでなく、沖帯を主な生息域としているコアユやイサザなども産卵は必ず沿岸帯で行う。そして沿岸帯の水生植物群落は、これら魚種にとって産卵場所であり、生まれてきた稚仔魚にとっては、サギやハスあるいはブラックバスなど捕食者から身を隠す「隠れ場所」であり、そして豊富な餌を提供してくれる「餌場」でもあった(※8。1955年以降の高度経済成長期に始まった湖岸開発は、内湖や湖内沿岸を干拓することによって琵琶湖水面の4%に相当する面積を埋め立て、当時280haあったヨシ群落を半分の130haに減少させてしまった。琵琶湖に住む様々な魚種の苗床となっていた水生植物群落の消失は、これら魚種の新規加入量を低下させるに充分であったろう。さらに、ブラックバスなど外来の捕食者が増加したことによって、この傾向は促進されたに違いない。現在見られる漁獲量の減少にこれらがどれほど寄与しているのか今のところ不明のままだが、南湖では定置網漁獲物の8割以上がブルーギルによって占められているのが現状である(※9。早急な解決策が望まれる課題といえる。

 琵琶湖での漁獲量は、過去15年ほどの間、常にコアユによってその50%以上が占められている(※7。コアユの漁獲量が大きいのは、流通単価が高いために漁獲努力量が大きいこと、そして親魚の人口河川への放流や流入河川の産卵場保護などによる増殖事業が行われていることによるが、漁獲量から見ると、コアユは琵琶湖で最も卓越する魚種といえる。この人間によって手厚く保護されている魚種がその他の魚種を圧迫していることはないのだろうか。競争者となるのは、同様に動物プランクトンを餌とするイサザ、ホンモロコ、スゴモロコ、ニゴロブナであり、イサザ以外は全て沖帯の表水層(水温躍層以浅の部分)を同所的に生息場としている。一方、餌である動物プランクトンの分布もこれらと重なっていて、終日表水層中に分布することが知られている(※4。プランクトン食魚類の卓越する多くの湖で、そこに生息する動物プランクトンが、日中は捕食者を避けて暗い深層へ逃避し、夜間浮上して策餌する日周鉛直移動を行うことが知られている。しかし、琵琶湖の動物プランクトンはこの日周鉛直移動を行わず、終日表水層に分布する。これまでの研究では、動物プランクトンにとっての餌が充分ではないために、移動せずに終日策餌していなければならないと説明されてきた(※10。これはDaphniaが増えない理由と良い一致を示す。もし、動物プランクトンが餌によって制限されているのであれば(ボトムアップ効果と呼ぶ)、それらを捕食するコアユなどのプランクトン食魚類の生産もボトムアップに決定されている可能性は高い。それならば、コアユの過保護はその競争者を排除する働きを持っているかもしれない。北海道の湖では、ワカサギの過剰放流によって、ワカサギ自身の漁獲量、あるいは同所的に生息しているヒメマスの漁獲量を減少させる可能性についての報告がある(※11

湖底環境の変化

 琵琶湖北湖の水質は、南湖に比べて比較的良好であり、さらに近年はT-N、T-P、BOD共に減少傾向にある。しかし、湖底に堆積した有機物は湖底付近の溶存酸素量を低下させ、生物相の変化をもたらしているようだ。北湖の水深80?90m付近における年最低溶存酸素量は、1970年以降着実に減少傾向を示しており、1985?1987年には3年連続して2mg/Lを下回り、1987年10月には最も低い0.9mg/Lを記録した12。夏から秋にかけて成層構造が発達すると、湖底に堆積した有機物がバクテリアに分解されることによって湖底付近の酸素が消費され、溶存酸素量が低下する。通常は、この溶存酸素の低下した深層水に、冬期間の全循環と春先の雪解け水によって、再び溶存酸素の豊富な湖水が供給される。ところが、近年は地球温暖化の影響を受け、冬期間にそれほど気温の低下が見られないため、湖水が湖底付近まで完全に均一な水温となるまで充分に冷やされなくなってきた。このため、北湖の最深部付近では湖水が湖底付近まで完全に循環しにくくなってきている。また、周辺の山岳地への降雪量の減少によって、春先の雪解け水の供給量も減少傾向にある。これらが北湖深層部への酸素供給量の低下をもたらしていると考えられている。 この湖底の低酸素化に伴って、1990年頃から、チオプローカ(Thioploca sp.)の増加が認められるようになってきた。チオプローカは、還元環境で硫化水素を使って増殖するイオウ酸化細菌であり、大きな群体を形成することで知られる。通常、細胞が鎖状につながった糸状の群体を形成し(糸状体と呼ぶ)、この糸状体が粘質性の鞘(シースと呼ぶ)に入った集合体として存在する。この粘質性の集合体は、しばしば漁業者の底曳網に付着する厄介者であるが、この漁網に付着するチオプローカのものとみられる粘質性の付着物が確認されるようになったのは1980年代以降だという。現在、この細菌は北湖深底部の泥質底に高密度で分布していることが明らかにされており、北湖底質の還元環境が広い範囲に渡って進行しつつあることを暗示している。低酸素化に伴う同様な変化は、ミミズ類にも見ることができ、1972年以前はそれほど多くなかったイトミミズが1992年以降はそれまでの10倍近くにまで増加していた。イトミミズは、貧酸素耐性が強く、汚濁の進んだ水域で優占することが知られている。また、それまでは有機物の豊富な沿岸域に広く分布していたミズムシ(Asellus hilgendorfi)が、やはり過去10年ほどの間に深底部で繁殖しているのが確かめられている。琵琶湖固有種であるイサザは、夜間温度躍層下部まで浮上して策餌するが、日中は湖底で暮らしている。この一日の半分を湖底上で過ごすイサザも1985年頃から減少傾向にあり、1990年以降はほとんど漁獲されなくなっている。これとは対照的に、アナンデールヨコエビ(Jesogammarus annandalei)は、イサザの減少に伴って増加し始め、1985年以降の現存量はそれ以前の7倍程にも達する勢いである。アナンデールヨコエビもイサザと同様に、日中は湖底泥中に潜っているか、あるいは湖底泥上で生活しているが、夜間は浮上して、やはり温度躍層下部で策餌する。イサザとヨコエビは捕食者と被食者の関係であり、イサザの減少がヨコエビの増加を招いたと推測されているが、イサザの減少が何によってもたらされたのかはこれまでのところ不明である。ただ、上述のように湖底環境の変化した時期と、そこに住む生物相が急激に変化した時期とが重なっていることが、この謎を解く鍵となっていることは間違いなさそうだ。

水位変動の功罪

 琵琶湖の水位については、膳所藩による1721年から幕末までの断続的な記録が残されており、明治以降は現在まで100年以上にわたる継続的な記録が存在する(※13。それによれば、江戸時代の水位は概して高く、干ばつの際にも琵琶湖水位の著しい低下はみられなかったようである。しかし、明治になって瀬田川河床の浚渫と川幅拡張工事が行われ、1905年に南郷洗堰が設置されて琵琶湖水位が人為的にコントロールされるようになってからは、水位の低下が頻発するようになる。近年では、降雨量の減少に伴って、1992年以降、-90cmを超える水位低下が、1994年(-123cm)、1995年(-94cm)、2000年(-97cm)、2002年(-99cm)の4回も生じている(※14。一般に、湖沖帯に生息する魚類やプランクトンにとって、この程度の水位変動はそれほど大きな影響を与えないが、沿岸帯の浅瀬に生息する生物(多くの底生動物や水草)にとっては著しい影響をもたらす可能性がある。自然環境での水位変動に適応して進化してきたこれら浅瀬の生物たちは、それまで経験したことのない大きな環境変化に見舞われることになるからだ。1994年には観測史上最低水位を記録し、2000年もこれに次ぐ低水位を記録したが、この低水位時に琵琶湖研究所が底生動物の調査を行っており、貝類、特に浅瀬に生息する巻貝の仲間に大きな打撃を与えたと報告している(※14,15。

 一方、水生植物群落については、この低水位、特に1994年の渇水が有利に働き、以後の繁殖を促進するきっかけを作ったようである。この傾向は、南湖で顕著に見られ、水生植物群落の面積は1994年に623haであったものが、2000年には2,927haにまで増加した(※16。これは南湖面積の実に52%に相当する。平均水深が4mと浅い南湖は、元来水生植物の生育に適した環境を提供しており、太平洋戦争以前には全域が水生植物で覆われていた。しかし、戦後の経済成長と周辺市町村の市街化によって富栄養化が進行し、水生植物群落は衰退し、代わって植物プランクトンが増加するようになった。植物プランクトンが繁茂するようになると、湖底へ到達する光量が制限されることによって、水生植物群落の成長は抑制され続けてきた。ところが、1994年の異常渇水で、河川からの流入負荷が減少するのに伴って透明度が上昇し、加えて、1mにも及ぶ水位低下が幸いして湖底の光環境が良好になったことで、水生植物の増殖にとって有利な条件が整ったのではないかと考えられている(※16。以後は、この年に生産された大量の種子や繁殖体が次年度の分布拡大に寄与し、これが毎年繰り返されることによって年々分布を拡大していったものと考えられる。

 水生植物群落が繁茂するようになって、南湖の水質は徐々に改善される傾向にあるようだ。透明度も増加し、植物プランクトン量の指標であるクロロフィルa量も減少傾向にある。水生植物、特に沈水植物は植物プランクトンと栄養塩や光をめぐる競争関係にあるため、これらが繁茂することによって植物プランクトンの増殖が抑えられる。また、沈水植物は底泥の巻き上げを抑制し、動物プランクトンの隠れ家を提供する。動物プランクトンが増えれば、さらに植物プランクトンを抑制する方向に働くことになる。こうして、富栄養化に伴って植物プランクトンの優占する湖となっていた南湖が、異常渇水による低水位を引き金として沈水植物群落が優占する湖へと変化しつつあるのが現状といえそうだ。

今後の展望

 富栄養化、湖岸整備による水生植物帯の減少、内湖の干拓、水位の人為的調節、外来魚の増加などがおそらく複合的に作用して、現在、琵琶湖に生息している生き物の存続を脅かしつつあるのだろう。しかし、一方では南湖での水生植物群落の復活のように明るい話題もなくはない。現状把握はある程度できていても、それらの因果関係がまだそれほど良く理解されていないのが今の状態なのだろう。内湖の再生やヨシ原の造成など工学的手法を駆使した早急な環境修復が行われようとしているが、それらをめぐる生き物と環境との相互作用が明らかにならないうちは、同じ過ちを繰り返すことになりかねはしないか、と考えるのは取り越し苦労だろうか。今は、もう少し時間をかけて自然観察を充分に行った上での環境修復が必要なのではないか。例えば、内湖やヨシ原をめぐる生態系にはどのような生物が生息しており、それらはどのような関係を作り出しているのか、そしてそれらは琵琶湖生態系に対してどのような機能を有しているのかが明らかになって初めて、それらがほんとうに水質の浄化に役立っているのか、あるいは魚類の苗床となっているのかどうか、などといったことが判断できる。そうすれば、内湖を再生するときにはどのようなことに注意をしなければならないかも、ヨシ原にはヨシだけを植えて良いのかどうかも比較的容易に考えることができるようになるだろう。ヨシの茂るその沖には浮葉植物が浮かび、そしてその向こうには沈水植物が繁茂し、それらの上を這い回るミジンコを求めて魚の稚仔が泳いでいる。そんな風景があって初めて、水生植物帯が湖の生態系の一部として機能するのではないか、と考えたい。いまこそ、保全生態学的調査を優先した「スロー」な環境復元が望まれるのだと思う。

引用文献

1. 西野麻知子.知ってますかこの湖を-びわ湖を語る50章,67-72 (2001).

2. 琵琶湖自然史研究会.琵琶湖の自然史(1994).

3. 根来健一郎. 琵琶湖の動態, 181-199 (1974).

4. 西野麻知子. 琵琶湖研究所所報 16, 38-48 (1999).

5. Tsugeki, N., et al. Limnology 4, 101-107 (2003).

6. 山本敏哉・遊間正秀. 遺伝 51, 49-54 (1997).

7. 西野麻知子. 琵琶湖研究所所報 14, 30-35 (1997).

8. 平井賢一. 金沢大学教育学部紀要 20, 59-71 (1971).

9. 桑村邦彦. 知ってますかこの湖を-びわ湖を語る50章,141-146 (2001).

10. Kawabata, K. & Nakanishi, M. in Biodiversity: an ecological perspective, 203-213 (1996).

11. 伴 修平等. 陸水学雑誌 58, 83-104 (1997).

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13. 西野麻知子. 琵琶湖研究所所報 4, 26-42 (1986).

14. 西野麻知子. 琵琶湖研究所所報 20, 116-133 (2003).

15. 西野麻知子. 琵琶湖研究所所報 13, 36-39 (1996).

16. 浜端悦治. 琵琶湖研究所所報 20, 134-145 (2003).