私の環境学

大田 啓一

環境生態学科

私はこの20年、地球表層の物質循環に関する研究を行ってきた。その中には、森林から大気への揮発性炭化水素の発散、大気エアロゾルの輸送、水中溶存有機物の解析、堆積物による環境解読などが含まれる。ここ6、7年は、河川によって湖沼や沿岸海洋に運ばれた有機物が、水中から除かれていく仕組みを明らかにするための観測と実験を行っている。そのなかで「太陽は偉大である」「ものには両面がある」「何事もほどほどがよい」ことを感じとってきた。

地球環境と太陽光

われわれの生活にとって、またそれを成り立たせている地球環境にとって、太陽光がどれほど大事であるかはいまさらいうまでもないことだろうが、地球表層へ供給される3種類のエネルギー(太陽光、地熱、潮汐)のうち、太陽光エネルギーが全体の99.9%(2.7x1024 J/年)を占めていることを知れば、その事情が納得できる。われわれが日頃ふんだんに使っている化石燃料は、もとを糺せば太陽光が育てた陸上と水中の生物に由来するものであるから、太陽光エネルギーの中に含まれてしまう。化石燃料を燃やしてつくる電気も無論、太陽光エネルギーに含まれる。

太陽光エネルギーの最も大きな働きは、陸と海を暖めることである。その熱は大気の運動と水循環のエネルギーに変換される。大気と水の運動は、地表の化学物質の移動を受け持っている。波長400−700nm の太陽光(可視光)は植物に吸収され、光合成のエネルギーとして利用される。動物の命も、昆虫の命も、バクテリアの命もこの光合成に依存しており、われわれが物を見られるのもこの光があればこそである。それほどに太陽光は偉大なのである。

可視光より波長の短い紫外光(地表に届くのは280-400nm)は、厄介物として認識されている。実際、大気中では酸性雨の原因物質を作りだし、また光化学スモッグを引き起し、地表では生物を傷つける。幸い、上空25kmを中心に分布しているオゾン層が、今のところ、紫外光のほとんどを吸収・カットしてくれてはいる。だが、そのオゾン層が壊されかけており、徐々にではあるが、地表に届く紫外光が増加しそうである。では、紫外光はわれわれの生活、あるいは地球環境にとってマイナスの面ばかりかというと、決してそうではないのである。ここに地球環境の素過程がもつ二面性を見ることができる。


地球環境素過程の二面性

地表に届く紫外光は化学物質の結合を切断する力があって、大気中のオゾンから原子状酸素を切り出し、水蒸気と反応させて、OHラジカル(水酸ラジカル)やさらには過酸化水素を生じる。これらの化学種は酸化能力に大変富んでいて、大気中のNOxやSOxを酸化して、硝酸や硫酸を生み出す。これらとその塩類が酸性雨の原因物質であるために、世界的な酸性雨被害の拡大のなかで、OHラジカルや過酸化水素は迷惑者として扱われている。

しかし、地球環境保全の上でこれら化学種、特にOHラジカルは極めて重要な役割を果たしているのである。大気中の温室効果ガスであるメタンは、OHラジカルによってnのみ分解され、また大気中の汚染物質の多くがOHラジカルによって分解・除去されている。もしOHラジカルが働かなければ、大気中の環境悪化成分の濃度はもっと急速に増加しているはずである。一般には嫌われる紫外光が、別の局面では、環境保全の手助けをしている事実を見落としてはならない。

水中に射し込む紫外光も両面の働きをする。強い紫外光は、勿論、生物傷害を引き起こし、実験によると、植物プランクトンのタンパクや脂質の生産を阻害する。しかし、紫外光が持つ分子切断能力や酸化性化学種の生成能力が、湖沼や沿岸海洋の汚染を抑えていることもしだいに明らかになりつつある。

私は何年か前に、人工衛星から観測された沿岸海洋のカラー画像を見て、新鮮な驚きを覚えたたことがある。その写真は波長443nmで撮られたもので、河川によって陸から沿岸海洋に運ばれた腐植物質(土壌成分の一つ)が海に広がっている様子をとらえていた。腐植物質は岸近くで濃度が高く、沖合いに行くにしたがって薄くなり、200kmを超えるとついには消滅してしまう。腐植物質は世界中の川から、毎分毎刻、運び出されており、海洋はとっくに腐植物質だらけになってもいいはずである。が、実際にはそうなっていない。沿岸200km以内に、なにか効率のいい除去機構が働いていることが覗える。

その機構として、沿岸の海水中で太陽光が腐植物質を光化学分解する可能性を考え、これを確かめようとして、ここ6、7年観測を中心とした研究を行ってきた。結論を言えば、紫外光と波長の短い可視光の一部が、陸上から運ばれる腐植物質や汚染物質を水中光化学反応によって分解し、取り除いていることは事実である。自然の浄化作用として、この光化学的物質除去は、湖沼においても働いているであろうと考えられる。


環境の限界

水中光化学の研究において残されている大きな問題は、光化学的物質除去の速さと規模(フラックス)を正確に見積もることである。その上に立って、この除去機構の有効限界を知る必要がある。有効限界は、腐植物質の流入量に対する上限であり、水中で確保されるべき太陽光強度《照度》の下限(汚濁度の上限)を示す指標でもある。

腐植物質流出量が土地利用の変化によってどんどん増えれば、やがて有効限界を超え、腐植物質とこれに取り込まれた有機汚染物質は外洋汚染を引き起こすことになろう。逆方向を考えると、腐植物質ゼロの河川水はない。これは、河川水やそのもとになる地下水が土壌と接しているためであり、またゼロではかえって困ることがある。腐植物質は、水中の植物プランクトンが希求している微量な金属類を身につけて運んでいるからである。ゼロでは困る。過剰でも困る。ほどほどがよいのである。しかしそれではあいまいなので、科学的に十分な根拠のある線引きが必要となる。そのためには、もう少し精度の高い観測とモデルの扱いが要る。これをどう実現するかを今、あれこれ考えているところである。

 線引きの問題は、先に登場したメタンや一連の温室効果ガスについてはもっと深刻である。気候変動と、原因物質としての温室効果ガスとの因果関係を、定量的に評価できるほどには、今日なお科学が成長していないからである。政治的な線引きは別にして、科学的な線引きができるまでに、急いで科学レベルを引き上げねばならない。それが、ジョン・ハート著の「地球はいつまで我慢できるか」に答えることでもある。