環境・建築デザイン専攻この一年

環境計画学科長 専攻主任 

奥貫隆

1はじめに

 環境科学としての建築、ランドスケープをいかに位置づけるか、教員一人ひとりが基本的課題として受け止め、試行錯誤を重ねてきた。開学以来8年を経過して、この間の成果を共有する一方、専門領域の狭間で欠落していた部分をチェックし、新たな建築教育プログラムを構築するために、内井先生を中心に6月からほぼ毎週建築デザイン専攻でミーティングを重ねてきた。

 環境職能論、環境造形論、環境設計論をはじめとする環境と建築の新たな接点を、教員それぞれの研究、計画、設計活動から体得した真理として学生に伝えることができているか。環境創造の原点として重きを置いている設計演習カリキュラム(イメージ表現法、設計基礎演習、設計演習?、?、?、環境建築デザイン演習)が、目標とするレベルを達成できているか。さらには、4年間或いは6年間の教育によって学生が修得した知識や技術が社会の求めに応じたものとなっているか、などについて討論を重ねてきた。

 新たな建築家像を模索し、環境文化創造の担い手となる人材をどのように育て社会に送り出していくかが論議の焦点であった。環境科学としての建築の間口の広さと、プロフェッションとしての専門性の深さの両立、そのために、研究、教育、実務の多様な経歴を持つ建築教員の連携のあり方は、など広範多岐に及んだ。引き続き議論していくことを確認して、夏期休暇直前のミーティングを7月29日に終えた。そして、その5日後に、私たちは、内井昭蔵先生の訃報を聞くことになる。


2内井昭蔵先生のご逝去

 内井昭蔵先生は、平成14年8月3日午前9時53分、金沢市で開催された日本建築学会シンポジウムに出席する途上、心不全のため急逝された。先生を中心に、学部、大学院に係る建築教育、研究のあり方を議論していた矢先であっただけに、突然の訃報に、絶句した。大学はもちろん、学会、建築界への衝撃が広がる一方で、先生を失った私たちの喪失感は日増しに大きなものとなっていった。

 内井先生は、平成4年4月から平成7年3月まで、滋賀県立大学開設準備委員会委員として大学設立に係わり、環境科学部に環境・建築デザイン専攻を配置、環境学としての建築及びランドスケープ教育、研究を全国に先駆けて実現する礎を築かれた。環境と人々の暮らしの調和を目指した「健康な建築」を理念として、これからの社会が求める建築職能の育成を実践しようとするもので、都市及び地域計画、建築計画、建築意匠、環境設備、安全防災、ランドスケープなど環境学としての統合的建築教育プログラムの立案及び教員スタッフの構成にあたった。

 大学建設においては、マスターアーキテクトとして琵琶湖の湖岸に調和した美しいキャンパス計画の実現に貢献された。さらに、大学開設後は、評議員、環境科学部環境計画学科学科長として大学運営、学部運営に係わり、環境科学部における建築デザイン教育の確立に対して取り組んでこられた。


3追悼の会及び追悼展の開催

 平成14年9月12日に開催した臨時建築会議で、内井先生追悼の会及び追悼展の開催について最初の討議を行った。その後数回の議論の末、10月3日の建築会議で、追悼の会の企画案を決定した。10月10日の教員会議・教授会で、西川幸治、小池恒男、沖野教郎、高谷好一、深見茂、藤田きみゑ、谷村純一諸先生の連名による「内井昭蔵先生追悼の会委員会」を提案し、部局長会議において、その実施が決定された。

 一方、内井先生を偲ぶ学生グループ「uchiism55」が自発的に組織され、追悼の会及び追悼展の会場設計及び展示企画が10月22日からスタートした。磯部孝文、井上洋一、三木雄野、松岡淳君を中心に約80名の学生が参画し、柴田いづみ教授をはじめとする建築教員の協力のもとに企画は実行に移された。

 11月30日(土)14:00から交流センターホールにおいて開催した追悼の会は、学内外から約500名近い参加を得て、終了した。滋賀県立大学学長西川幸治先生、滋賀県知事國松善次氏、日本建築学会長仙田満先生、参列者を代表して滋賀県立大学運営協議会会長梅原猛先生に追悼の言葉を頂戴した。教え子代表として第一期生の西川聡君が恩師へのお別れの挨拶をした。

 追悼展は、交流センターホワイエを会場として11月26日(火)から12月5日(木)の10日間にわたって開催した。一辺 8mのコンパネフレームが展示空間を仕切り、内なる内井昭蔵先生と外なる先生の作品を題材に、足跡を偲んだ。追悼の会及び追悼展のコンセプト、展示、ポスター、制作、解体の一切を学生達が担当した。失敗が許されない、そして誰一人体験したことのない恩師を追悼するための展示計画、意匠考案に、多くの不安や葛藤があったであろう。創造することがいかに多大なエネルギーを必要とするか、合意形成を図りながら目標に向かって邁進することの難しさ、限られた時間と費用。それを彼らは克服し、立派に仕事をやり遂げた。学生達の実行力に敬意を表すると共に彼らの気力と体力が羨ましく思えた。内井先生は、私たちの前から忽然と姿を消された。しかし、先生の滋賀県立大学環境・建築デザイン専攻にかけられた想いは彼らの中に息づいている。デザイン教育とはそういうものであることを私たちは、学生達から学んだように思う。


4教員の去就

 平成7年4月大学創立とともに赴任された林昭男教授が、平成15年3月31日をもって退職される。日本の建築界でいち早く環境と建築の根元的な関わりに注目し、サスティナブルデザインへの取り組みを提唱してきた。環境・建築デザイン専攻の一つの顔として林先生には、滋賀県のみならず国内外で活躍いただいた。そうした活動の成果が、「地球環境・建築憲章」の制定(2000年6月)に結びついている。今後も、新日本建築家協会(JIA)をはじめ、公的な立場で日本の建築界をリードしていただくことを願っている。

 また、ランドスケープデザイン担当の三谷徹助教授が、平成15年4月1日から千葉大学に移られる。平成11年度には、日本造園学会賞(設計作品部門)を受賞するなど、我が国を代表するランドスケープアーキテクトの一人として、教育と実践の両面から高い評価を受けている三谷先生の新任地における活躍を祈る。

 一方、この4月1日付で陶器浩一助教授(41)、岡田哲史助教授(40)がそれぞれ着任する。若い二人の教員の参画により、建築デザインの教育研究に新たな活力が生まれることを期待したい。

5卒業研究、卒業制作

 平成14年度卒業研究、卒業制作に着手した学生総数は、50名であった。そのうち、通年で卒業研究に取り組んだ学生は18名、前期卒業論文、後期卒業制作を選択した学生は32名であった。卒業研究論文発表会を、平成15年2月12日交流センターホールで開催した。最優秀論文賞には、柿木義広君の 「彦根市16地区における相対的防災計画と狭隘道路問題を中心とした防災対策について」 を選んだ。また、卒業制作作品展を、同じく交流センターホワイエで平成15年2月12日から2月15日の4日間開催した。最優秀作品賞には、角真央さんの 「relocatable toilet (災害用移設可能公衆トイレ)」 を選んだ。

6学生の活動

 学生に対する専門教育は、一級建築士の資格取得に対応する基礎教育に係る部分と、建築計画・意匠に係る実技トレーニングのバランスが大切である。その上で、ゼミ単位或いは自発的グループによる創造的取り組みとして、学外のコンペティションへの参加がある。

今年度は、「大阪駅北地区国際コンセプトコンペ」、「International Student Design Competition 'HOUSING FOR THE POOR'」(2等入選)、「Ames Landmark Challenge Process」、「GEOCENTER MONS KLINT/DENMARK」などの国際コンペや、日本建築学会主催の「外国人の住めるまち」、新建築社主催の「畑のレストラン」などの国内コンペにゼミ単位或いは学生グループで参加し、感性を磨く機会を得た。

 また、学生有志で参加している「京都コミュティデザインリーグ」では、県立大学が「リーグ賞」を受賞したほか、「ランドスケープ6大学展02」に5作品を出展するなど、建築デザイン学生の対外的活動が、定着しつつあることを評価したい。

7おわりに

 国公立大学、私立大学を問わず、時代の流れを読み、魅力ある教育、研究方針のもとに地域社会と連携し、目に見えた成果を上げていくことがもとめられる時代である。21世紀COEプログラムへの全学的な取り組みや学部の将来に対して、学科・専攻レベルの議論が日常化されて良いであろう。こだわりを排除した風通しの良い意見交換を重ねる中から合意を形成し、ゆるやかであるが確実な変容を重ねて、学科・学部・研究科の顔づくりを進めていきたいと考える。

 平成13年度の環境・建築デザイン専攻主任に続き、平成14年度は、環境計画学科長として建築デザインの教育、研究、組織、人事、予算等の学務に係わってきた。この一年間は、予期しなかった事を含め対処すべきことがらが少なくなかった。昨年4月からこの3月までの12ヶ月間に開催した建築会議及び建築教授懇談会は36回に及んだ。ともかくこの任を果たせたのは、建築デザイン教員各位の協力以外の何物でもない。特に、判断に迷う重要な問題に関して相談申し上げ、助言をいただいた藤原悌三教授並びに小池恒男学部長に対して感謝の意を表したい。