トポフィリアと環境創造

環境計画学科 環境・建築デザイン専攻

環境意匠大講座

奥貫 隆

□新たな環境の創造

 平成13年度から愛知県の県営広域公園構想プロジェクトに係わっている。かつては、三河湾の入江であった一帯が、江戸時代の矢作川治水工事によって内湖化した地区である。現在は、碧海湾へ注ぐ河川が開削されているため、海水と淡水が入りまじった汽水湖を形成している。約60haの水面を中心にほぼ同面積の農地を公園化し、120ha規模の広域公園として整備する事業である。

 汽水湖の周辺には、「日本デンマーク」と称された、広大な水田景観が広がる。圃場整備によって往時の面影とは異なるものの、約120年前の明治13年(1880年)に完成した「明治用水」によって、水田、畑、畜産など多角的農業生産基盤を整備し、碧海台地の集落と共に安定した地域風土を形成してきた地域である。汽水湖は、「北浦池」、「蓮如池」などとも呼ばれていたが、地域に言い伝えられる「竜灯伝説」に由来して、現在は「油が淵」と呼ばれる。ほかに、「ゆり姫伝説」や「東端城址」にまつわる言い伝え、蓮如上人ゆかりの「応仁寺」ほか多数の社寺が存在し、碧海の歴史を現代に色濃く伝える地域である。

 油が淵の水面風景、周囲に広がる田園風景、台地上の集落や緑地が一帯となって形成するランドスケープは、明治、江戸時代より遥か昔にさかのぼり、遠い時間を埋め込んだ存在として、今、私たちの目の前にある。計画地及び周辺地区のフィールドワークを重ねながら、私の脳裏には、「TOPOPHILIA」(トポフィリア)という言葉が浮かんだ。アメリカ在住の地理学者イーフー・トゥアンが1961年に発表した論文のタイトルとして用いたTOPOPHILIAは、ギリシャ語で、場所を意味するtoposと愛を意味するphiliaを連結した造語で、「場所への愛」あるいは「自然への愛」と訳されている。イーフー・トゥアン自身の表現によれば、“トポフィリアとは、人々と場所或いは環境との間の、情緒的な結びつきのことであり、概念としては曖昧であるが、個人的な経験としては生き生きとした具体的なものである。”(*1)とされる。

 水面と農地と人間の営みが創出する新しい公園の風景を、私は思い浮かべた。「水と生き物とひと」が共存しつつ、地域固有の環境、景観価値を高めていく公園像をどのように描き、提案していくか。基本コンセプトは、思案の結果、「ひとと自然のふれあい〈TOPOPHILIA〉を創造する5つの杜・水の杜、いのちの杜、恵みの杜、花の杜、いこいの杜」とした。さらに、これらの空間は、公園事業として短期間に造成、整備するものではなく、自然の変容や地域の人々の意識の変革にあわせて、ゆるやかに、時間をかけて作り上げていくことに意味があることを強調した。

 振り返ってみれば、1980年代以降、私たちは自然再生型河川整備手法を学ぶためにドイツのミュンヘンやカールスルーエを訪問し、新しい川と生き物とひとの関わり方について、事例視察を重ねてきた。また、田園地域の歴史遺産や産業遺産を生かした地域づくりを体験するために、フランスのヴァンデ地方やガスコミユ地方を訪ね、伝統と産業とアミューズメントが融合したエコミュージアムを空間体験してきた。そうした情報は、十分すぎるほど私たちの手元にある。これから求められることは、私たちが、日本固有の歴史、文化、自然を生かした地域創造を実践してみせることである。そのことに成功すれば、逆に欧米の彼らが、日本の地域づくり、河川整備、公園整備を視察に訪れるときがくるであろう。

 広域公園計画は、基本構想から基本計画の段階に入っている。お決まりのように地元市町村の意見をヒアリングし、各種の要望を取り入れ、最終的には、委員会の審議を経て、計画案が決まろうとしている。こうしたプロセスを経る中で、ともすると地域の固有色が薄められ、結果的に「普通の公園」づくりに終わってしまうことが懸念されるが、ここでは「TOPOPILIA」の概念を公園計画の底流に据え、地域の固有性を空間化しようと試みているところである。

 河岸から望む四季の朝日、夕日。岸辺の葦原を揺らす一陣の風が、川面にさざ波をわきたてサウンドスケープの世界へ誘う。遥か対岸の台地上には、室町時代、応仁2年に蓮如上人が比叡山衆徒の迫害をさけて当地に建立したとされる応仁寺の瓦屋根が見渡せる。水面に目を転じると、汽水域に棲むボラがそこかしこで跳ね、緩やかな波紋が広がる。上流の矢作川に向かっては、広大な水田景観が広がり、春の水張りから田植え、そして黄金色の収穫の時まで、四季の田園風景を創出する。これら自然の風景や立ち現れる現象を、「油が淵八景」として設定し、公園づくりのベースとする発想である。

 こうした立地をいかす公園構想づくりは、地元の人々にとって、100年の大計に匹敵する大事業であるはずだ。県営の公園事業ともなれば少なく見ても建設には10年を要するであろう。そして、開設後の環境、景観は、平成時代に創造した地域の新しい風景として継承される。「油が淵八景」の実現に向けて、環境を創ることの意味を、行政や地元の人々と考えていきたい。

□社会活動

 彦根市景観アドバイザーを引き受けて、3年になる。彦根市に立地する県立大学であるから、当然の職務であると考え、市域の様々な調査や環境づくりの提言を行ってきた。

 彦根緑のまちづくり委員会に始まり、彦根景観マップ編集、彦根市域中山道環境景観調査、彦根城内道路景観照明、彦根城内サイン施設計画、彦根市シティーゲートデザイン、城町ポケットパークデザインなどに係わった。また、私の担当ではないが、彦根市景観条例にもとづく都市景観形成重点地区の指定(平成14年10月1日)による彦根城郭を中心とする町並み形成の方向性が示されたことは特筆に値するものであり、関心を持って見守っていきたい。

 環境計画、景観計画とは行政と市民の連携のもとに、私たち専門家が参画しながら時間をかけて創り上げていくものであるとの感を深くしている。

□審議会等

 平成14年度現在、滋賀県において係わっている審議会等は、以下の通りである。

*1「トポフィリア−人間と環境」イーフー・トゥアン著、pp20, 小野有五・阿部一共訳、せりか書房1992.1