奥山の樹、里山の花

環境生態学科

陸圏生態大講座

荻野和彦

 今年、2003年には本学の五期目の卒業生を送り出すことになる。1999年に初めての卒業生が出た年の入学生である。このクラスはたまたま学年担任をおおせつかっていたので、ずっと、かれらの動向は気になっていた。入学生の中には事情があって、卒業できない人が何人かいることが残念である。無事に卒業にこぎつけてくれることを願わずにはいられない。

 わたしのところには四人の学生が卒論のための研究を希望してきた。荒木希和子さん、垣下允宏君、宮本洋司君、森下裕美子さんである。

 荒木さんは早くから花をつける草本の生態をやりたいと言っていた。金糞岳の登山道沿いにカタクリの群生するのが見られるというと、強く心が動いたらしい。ほとんど直ちに「カタクリ」をやりたいと応じた。カタクリだけではなく、森林の中には高木も低木もある。それらと林床の草本植生の関係、資源獲得と利用、資源配分という見方が必要だろうということを示唆した。ところが近さんが京大の河野さんがカタクリのことは何もかもやっていて、もう手を出す余地はないのじゃないかと言った。野間さんも渋い顔をする。吉と出るか凶と出るか、いちど河野昭一先生にじかに尋ねてみたらと勧めて、野間さんに骨を折ってもらった。荒木さんは意気揚々と帰ってきた。三月、マキノ町のカタクリが咲いた。四月、雪の金糞岳で雪解けの観察が始まった。林内微環境の観測、高木、低木層、林床植生の緻密な観察が始まった。あっという間にカタクリの季節は過ぎてしまった。地下ですごすカタクリを掘り出し、栽培し、カタクリの生き方を解き明かし、花を咲かせるようになるまで、なぜ6年もの年月がかかるのか。カタクリの一生をモデル化してしまった。

 垣下允宏君はなかなかテーマが決まらなかった。前の年の12月に朽木村のコナラ林で始めていた樹液流速測定を見分しても、それを卒論のテーマにするとは言わなかった。結局そのテーマは宮本君がやることになった。なんどもなんども議論した挙句、五月になって、京大の渡辺先生の竹林の話を聞いて「電気ショックに打たれたような思い」をしたと言う。竹林をやることが決まってから、すばらしい働き振りだった。近江町に調査地を見つけてきた。渡辺先生が若いころ、竹の地下茎を掘り上げて見事な標本をつくったことを話したら、負けてはいられないと、10メートル四方の竹やぶを掘りあげてデータにしてしまった。人々が農業を専業としていた時代、竹薮はしっかり管理されていた。管理が放棄されてから竹林は年に数メートルの速度で広がって、面積は7倍にもなってしまった。竹林が暴れていると言う。

 宮本君は辛抱強く朽木のコナラ林に通った。落雷で電源が落ちて、データが結束になったと泣きべそをかきながら、修復法を覚えてしまった。年間の蒸散速度から、流域からの流出量を試算したら、琵琶湖の水収支として上げられている値とオーダがあっていた。森林の水源涵養機能解析の基本を身につけてしまった。

 森下さんは樹木の無機化学分析がしたいといった。博士課程の竹田さんと相談して、多量元素とされるN, P, K, Ca, Mgなどの梢端部付近での挙動を調べると言う。金糞岳のブナ林でブナなどの高木4樹種の梢端を葉、0-3年枝に分け、さらに枝は木部と樹皮に分け、春、夏、秋の季節変化を追いかけた。N, P, Kが春に梢端に集積し、秋に回収されること、Caは回収されずに落葉とともに排出されることを見つけ出した。

 環境科学部が追求してきたマルティ・ディシプリナリな思考法を身につけた学生がでてきた。フィールドワーク、人間学などのカリキュラムの成果が実り始めたことを強く感じさせるのである。