内井昭蔵氏を偲んで

環境計画学科 環境・建築デザイン専攻

建築計画大講座

松岡拓公雄

 昨年、8月3日の内井昭蔵教授の急逝が私にとってはこの年の最大のターニングポイントであると同時に、一生記憶に残る出来事になるであろう。内井先生の退官までの間に、様々な引継をする予定であったが、教授への繰り上げ昇格とともに、一気に課題が押し寄せてきた。内井先生から継承すべき事柄の大きさと重要さに、身が引き締まる思いである。学生が夏休みの間に、私は建築家内井昭蔵の作品を“環境建築”という視点でとらえ直し、彼から学んだマインドとスピリットに新たな気持ちで触れたいと思い、自分の気持ちを整理するためにも内井昭蔵氏を偲び供養のつもりで、代表作と呼ばれる建築をいくつか訪ね歩いた。その報告は追悼展にて内井先生の作品としてすべて写真で展示させていただいた。今、追悼の会を終えて落ち着いてきてはいるが、この間、教員たちや学生との交流が活発となり、結束が固まったように思える。追悼の会の準備の段階で、内井先生を通して各教員の素顔が良く理解できた。私にとってはマスター内井昭蔵に、逆に尻を叩かれ新たな出発になる年であった。

 教育者として、学生に厳しくも、自分と同じ視線で語り合える彼の謙虚さを学ばなければと自問しつつ、「“かたち”を与えることで一瞬にして新しい秩序を生み出すことができ、このような創造的な働きを、意匠(デザイン)というが、環境学にとって意匠は重要な課題である」という彼の肉声がいつも天から聞こえるようで励まされている。

 内井先生が編集されていたINAXREPORTのシリーズ建築家との対談で最後がくしくも内井昭蔵追悼号になったが、その巻頭文に「これ皆一つとならん為なり」(新約聖書ヨハネ伝福音書第17章21節)と題してこれからのこの環境科学部の建築デザインの進むべき道を示唆させていただいた。

 この年は新潟駅舎・駅前広場の国際コンペがあり、その審査委員長が内井昭蔵であった。「このような市民参加型の公開コンペに参加することは建築家として有意義なことであるから是非参加してください」と私を含め、数名の先生方に話されておられた。このコンペに参加するにはチームを組まなければならず、この大きさの駅のコンペは専門家がうまくコラボレーションを組まなければ勝ち目はないと思い、私の設計研究組織であるアーキテクトファイブの堀越英嗣氏(鳥取環境大学教授)を代表者にして、知人のランドスケープアーキテクトである佐々木葉二氏(京都造形大学教授)にまず声をかけ、そこから都市計画家であるアプル総合計画の中野恒明氏に白羽の矢を立て、さらに土木に詳しいパシフィックコンサルタントをつなげ、チームを結成した。一次コンペに125者が参加した。練り上げた案には自信があったが、内井先生不在の審査では、まっとうに審査されるのかという不安があった。その審査の日は皮肉にも内井先生の告別式当日であった。本来なら内井先生が審査員として金沢での学会の後、新潟に出向いていらして審査されていたのである。式が終わった後、電話で一次通過の5者に残ったことを知った。暑いそして重い一日であったが、その連絡で内井先生が天から見ていて下さったという不思議な気持ちになった劇的な一日であった。5者による二次コンペ案制作、発表まで数ヶ月の間、内井先生の生前の声を励みに案を練り上げ、12月のプレゼに全力を傾けた。プレゼ当日は2名の次期助教授の選考委員会の面接の日で、これからの建築デザインの行方をになう重要な日であり、私はコンペのプレゼに参加できなかった。選考審査の結果、満足のいく人選を終え、しばし歓談の最中に新潟市民参加の発表会場から優勝したという連絡が入り、その日は本当に思い出深い日となった。すべて背後に内井先生が関わっていることを感じ何か崇高な気分になった。私は院の授業で職能コラボレーションについて教えている。その成果がまたひとつ結実したことを今は素直に喜んでいる。

 その間に、札幌市で進めているモエレ沼公園がグッドデザイン賞グランプリを獲得、デザイン界一番の賞をいただいた。この公園は建設中であるが国際的彫刻家として知られるイサムノグチ氏を私たちが札幌市に紹介して10年来建設を続けているゴミ埋め立て地跡の公園計画である。180haの全体完成にはあと数年となったがその間、実は日本建築美術工芸協会賞にも輝いている。そのときの審査委員の一人が内井先生であった。それは私が県大に就任する前の話である。また東京では数寄屋建築にも挑戦し、金田中という割烹料理屋のインテリアデザインで本格的な数寄屋建築に先端技術を取り込んで、この年のインテリアデザイン協会のインテリアプランニング賞の優秀賞をいただいた。いろいろな意味で劇的な一年であった。

その他列挙すると以下が私の授業以外の活動報告です。

■10月に南京大学に社会計画専攻の澤田教授とともに招聘され「環境建築の行方」というテーマで講演会を行う。南京大学建築研究所の鮑教授との交流が始まる。国際交流委員会に取り上げるべき課題として現在検討中である。

■日本建築学会では司法支援委員として建設に関わる訴訟問題の論議を重ねているが今年は出席率が悪くあまり貢献していない。

■10月に日本建築家協会の要請で建築家資格制度の認定プログラム検証のためメキシコに近代建築視察にいく。バラガンやリゴレッタらの建築を視察し視察協力をしていただいたメキシコ建築家協会前会長のサラさんと懇親会を行った。

■長浜市神照運動公園検討委員会の委員長として一年13回にわたり一般公募の委員の方たちと提言をまとめる。今までにない提言書を作成。

■愛知川町の東部地域公園のコーディネーターを務め公募委員など町民公開型で現在進行中。

■県庁某プロジェクトの敷地選定委員会の委員を務め、現在進行中。

■県大や京都の大学など六大学ランドスケープ展のゲストクリニックとして参加。

■大阪での民博委員会に招聘され出席し、エコツーリズムと知的資源の研究会に参加。

■ソウギョバスターズと私が命名した京都大覚寺大沢池の景観修復プロジェクトは今年で3年目を迎え、着実に嵯峨芸大の真板教授を中心に進められているが県大の学生も多数参画し、現在は蓮や睡蓮の固定方法をそう魚と戦いながらの実験中。テレビや新聞で紹介される。

■他学部の山根先生とユニットマスターとして京都CDL大会のメンバーであるが、院生を中心とした活動に対して県大チームはデザイン賞を受賞。これで賞は二度目。

■チームハッケイでは松原の集落をフィールドワーク、現在分析を終え、報告書作成中。

■京都の某ディベロッパーの開発コンペプロジェクトのコーディネーターとして、龍谷大学の広原教授と京都精華大学の葉山助教授とともに北王路まちなみコラボレーションというかたちで、まちづくりのひとつの展開を試み、京都新聞にその試みが紹介されている、現在進行中である。4月に完成。

■今年度三回生ゼミで住宅の設計を札幌の住宅と兵庫県の住宅を二軒試み、前年度のゼミでの設計であるM邸は一月に完成、現在N邸が三月着工予定、K邸は次のゼミ生の課題とする。

■米原町磯地区コミュニティセンター基本設計を研究室で行う。

■学外設計研究活動:洞爺湖ウィンザーホテル教会竣工(北海道4月)・神楽坂アインス集合住宅竣工(東京10月)・つ救世神教の天蓋完成、(津市10月)・渋谷スペースタワー竣工(東京11月)・ツアイス日本本社改装計画(東京12月)・銀座フォルモッサビル竣工(東京1月)。桜美林大学ステーションキャンパス竣工(神奈川2月)