「農業濁水」琵琶湖に負荷をかけない水田農業をめざして

増田佳昭

生物資源管理学科

生物資源循環大講座

<農業濁水問題>

 「農業濁水」といわれてピンと来る人は,滋賀県民以外ではそれほど多くないのではないか.しかし,4月末から5月はじめにかけて,琵琶湖に注ぐ河川は茶色に濁り,湖面に濁水の文様が描かれる.写真はこの時期にヘリコプターから湖面の状況を写したものである.


写真1 西野放水路からの濁水の流入

 農業濁水問題に最初に声を上げたのは漁業者たちだった.とくに上流域に「中島統土壌帯」とよばれる,粒子が細かく沈殿しにくい土壌帯をもつ宇曽川(彦根市南部で琵琶湖に流入)では,濁水による鮎の遡上障害,漁網への土壌粒子の付着によるえり漁への被害などが早くから問題になった.農業濁水被害がいつ始まったのかは確認できていないが,滋賀県の農業濁水対策事業が昭和60年代から始まっていることから,その頃から社会問題化してきたものとみられる.

 そもそも農業濁水とは何か.米作りでは田植えを行う際には「代かき」と呼ばれる作業をする.一般的には,トラクターで「荒起こし」をしたところに用水口から水を入れ,湛水状態でトラクターを使って耕耘する.これを代かきと呼ぶ.代かきによって平坦化された圃場に,田植機で苗を移植する.農業濁水は,この代かきによって濁った水が,何らかの理由で排水路を通じて河川へ,そして琵琶湖へと排出される現象をさしている.後にみるように,圃場から排水路への流出経路は,主として作業方式に起因する「落水」,畦畔管理に起因する「漏水」,そして主として用水管理に起因する「溢水」とがある.

<水不足農業から近代的農業へ>

 しかし,歴史的にみると,琵琶湖という巨大な水ガメをもちながら,滋賀県の水田農業は常に水不足であった.湖東地域を例に取れば,鈴鹿山系からの河川はいずれも短小で急なため取水が困難ないし不安定で,無数のため

 池が農業用水の給源の役割を果たしてきた.そのため,渇水時には水争いが絶えなかったといわれている.

 また湖岸地域では,春先の琵琶湖の水位変動を利用して湖水を水田に導き入れて,田植えが行われていたという.いずれにしても,水が大量に必要な春作業期に,琵琶湖に流入させる「余剰水」などなかったというのが,昭和30年頃までの状況だったはずである.

 漁業者の間では,「圃場整備が進むにしたがって濁水がひどくなった」といわれている.たとえば宇曽川上流では,湖東町,秦荘町,愛知川町で昭和40年代末から50年代にかけて,急速に圃場整備が行われた.湖東北部(48〜59年),豊国(48〜59年),秦荘(49〜62年),湖東(50〜平成元年)の4つの県営圃場整備事業だけでも実施面積は2,173haに及び,宇曽川流域の水田面積の47%を占める.

 圃場整備事業によって,小区画,不整形区画だった水田は,30m×100mの30アール区画を基本に,作業効率の高い長方形の大型圃場へと整備された.そして圃場の短辺の一方には農道と用水路が,反対側の短辺には排水路が整備された.このような整備方式を「用排水分離」方式と呼ぶが,それによって圃場一枚ごとの水管理が可能になった.

 圃場整備前には水を有効に使うために,上位の水田からの排水を下位の水田の用水として使う「田越し」が行われ,また余剰水は水路に戻されて再び用水として利用された(用排水兼用).こうした水利用システムには,限られた水を有効に使うための農家間の調整や規制が必要だったが,用排水分離方式は,それらを弱め,農家の水田農業の自由度を高めたことも事実であった.

<ダムと「逆水」への水源変化>

 用排水分離を可能にするには,水源確保が不可欠であった.それを可能にしたのが,永源寺ダムと逆水かんがいである.昭和48年に給水を開始した永源寺ダムは堤高73.5m,堤長392m,総貯水量2,274万トンという巨大なもので,農業用水を愛知川右岸の愛東,湖東,秦荘,愛知川,豊里の5町,左岸の永源寺,八日市,五個荘,安土の4町に給水している.

 50年代後半以降になると,琵琶湖からの逆水利用が盛んになる.これは湖辺に設置したポンプで湖水を圧送して農業用水として利用するものである.

 平成12年現在で,滋賀県の水源別水田面積は,ダムを含む河川46%,琵琶湖逆水30%,河川・琵琶湖併用14%となっている.図1にみるように,ダム及び逆水への依存度は極めて高く,圃場整備の進展にともなって,大規模な水源変化が生じてたことがわかるのである.

図1 農業用水水源別依存状況(平成12年)


資料)滋賀県「滋賀の農業農村整備」より作成.

<圃場を歩く>

 さて,本題のフィールドワークに戻ろう.われわれのグループが農業濁水問題を取り上げたのは,平成12年度からである.当時の彦根県事務所では「宇曽川水系水質改善2010アクションプログラム」が取り組まれ始めており,県事務所からのヒアリングをかわきりに,農業濁水問題発生の歴史,漁業者へのヒアリング,普及センターや農業者のヒアリング等を重ねて,濁水問題の輪郭把握をすすめた.

 13年度には,具体的に県立大学近くに調査圃場を設定して,農業濁水排出状況の一筆調査を行った.調査圃場224筆(約40ha)について,用水側の農道と排水路側のあぜを歩いて,農業排水の流出状況(漏水,溢水),そのときの用水の給水状況,あぜ管理の状況等を目で見て確かめようと言うわけである.

 意外なことに,農業濁水問題がいわれる割には,ごく小規模なものを除けば,圃場別の濁水排出状況調査はそれまでほとんどなされていなかったのである.12年度の調査日数は5回と回数も少なかったが,興味深い結果が明らかになった.

 その一つは,予想を超える漏水である.目視調査なので,排水路水面下への漏水はなかなか見つけられないのだが,4月23日には入水済み水田が129筆(そのうち106筆が代かき済み)だったが,その22%にあたる29筆で漏水が確認されたのである.このことは,田植えをしやすくするために農家が代かき水を強制落水するからだとの「作業起因説」を聞かされていたわれわれには,やや意外な結果であった.

 漏水の原因は,排水路側のあぜ傷みである.あぜ傷みの内容はさまざまだが,ひどいものでは水田のあぜ際に穴が空いて,渦を巻いて水が流出している,排水路底からの土壌流出のためだろうが,あぜ土がなくなってそこに石を投入して応急修理がなされている,排水路の柵板が破損している,などである.多くの水田で波シートが施されているが,応急手当の感は否めない.

 実は調査した圃場は,昭和43年というきわめて早い時期に圃場整備が終了した老朽化の著しい水田である.そうした特殊性を割り引かなければならないが,農業濁水問題における「漏水」の重要性を確認できたのは大きな成果であった.

<あぜ傷みとルーズな用水管理>

 同時に驚かされたのは,用水管理のルーズさである.調査圃場の用水は,平成9年までに琵琶湖からの逆水がパイプラインで供給されており,農家は給水栓をひねるだけで水田に給水可能である.

 4月23日に給水バルブをあけて給水中の水田は92筆あったが,このうち18筆(20%)で排水路側への排水流出がみられた.また5月21日には,全開給水中の52筆のうち12筆(23%)で溢水,18筆(35%)で漏水がみられ,半開給水中の58筆のうち14筆(24%)で溢水,8筆(14%)で漏水がみられた.

 このことは,耕作者のルーズな水管理を意味している.場合によっては給水栓を開放状態にしている場合さえあるのである.耕作者の多くが他の仕事に従事する兼業農家であったり,また他の地域からの「入り作」者だったりして,こまめな水管理が出来ない場合が多いのも事実である.

 だが他方で,排水路側のあぜの老朽化,手入れ不足と漏水の存在を考えると,ルーズな水管理も漏水に対する「やむを得ざる対応策」とみることができないわけでもない.いずれにせよ,濁水流出が農作業による「落水」というよりもあぜ傷みによる「漏水」やルーズな水管理による「溢水」に起因する可能性が強いことがわかってきたのであった.

<濁水は「濁り水」にあらず>

 14年度も,ほぼ同じ区域の圃場で同様の調査を行ったのであるが,須戸講師の参加を得て,排水路での農業濁水の流量と濁水中に含まれるチッソとリンの濃度を測ることが出来た.

 農業濁水といっても単に水に細かな土壌粒子が含まれているだけではないのか,琵琶湖に入っても沈殿するからそれほど問題ではないのではないか,といった意見はよく耳にする.そこで,濁水中のチッソやリン,さらには農薬についても測定してみようというわけである.

 まず漏水と溢水についてみておこう.この年は排水路を共有するA,B二つのブロックに分けて圃場調査を行ったが,漏水水田率はAブロックで4/19に44%,4/22に35%と高い割合を示す.Bブロックでも4/22に44%,4/26に36%,5/13に37%と高い割合を示した.溢水水田率もAブロックで4/19に44%,Bブロックで4/22に44%,4/26に40%,5/7に40%と高い割合を示した.漏水と溢水を合わせた排水排出水田率は,Aブロックで最大62%(4/19),Bブロックで最大78%(4/22)を記録した.前年度の結果が改めて確認されたのであった.



 図2は,それぞれのブロックから排出されたチッソ濃度を示したものである.表示は省いたが,4/19,4/22の代かきのピーク時には,排水の透視度が顕著に低下している.つまり農業濁水が流出しているのだが,まさにその時期に,A,B両ブロックともにチッソ濃度の上昇がみられる.リンについても傾向は同様であり,また除草剤成分も濁水に含まれていることがわかった.



 農業濁水は単なる「濁り水」ではなくて,その中には琵琶湖環境に負荷を与える栄養塩類等が含まれていることも明らかになったのである.

<環境こだわり農業と農業濁水問題研究会の発足>

 おりしも,滋賀県農政は琵琶湖環境への配慮を重視する環境こだわり農業へと大きく舵を切りつつあった.平成13年3月に定められた「しがの農林水産ビジョン」は基本理念に「琵琶湖をはじめとする自然と生産活動との共存」をうたい,「しがエコ農業」を打ちだした.同年4月には,「滋賀県環境こだわり農産物認証制度」が発足し,農薬と化学肥料を慣行農法の半分以下に減らし,かつ琵琶湖環境に負荷をかけない栽培方法によって栽培された農産物を「滋賀県環境こだわり農産物」として認証することになった.さらに,14年には滋賀県農政懇話会が「滋賀県環境こだわり農業条例」にかかる提言を行い,条例化の作業がすすめられている.そうした動きの中で,農業濁水問題は滋賀県農政の最重要課題の一つに浮上してきたのであった.

 こうした背景のもとで,滋賀県立大学環境科学部に事務局を置く「農業濁水問題研究会」が,14年6月に発足した.これは,大学や試験研究機関の研究者,行政関係者,農業団体関係者,農業者等の幅広い参加を得て,農業濁水問題に関する研究交流と実効ある濁水対策のために知恵を集めようというものである.本研究会の設立が,フィールドワークでの教員,学生の問題意識の形成と具体的な調査活動を背景にしていることはいうまでもない.

 研究会は14年末までに3回の研究会と1回のシンポジウムを開催し,研究会結果の「会報」へのとりまとめ,ホームページの開設を行った.明確な会員制をしいているわけではなく,関心のある方にメールアドレスの登録をしてもらい,開催案内や各種情報の提供をするという,「安上がり」な運営である.

<新たな広がりへ−「湖つながり」と「あぜ直し」>

 14年12月に開催された農業濁水問題研究会シンポジウムでは,秋田県立大学生物資源科学部の佐藤 了氏を招いて,「大潟村における環境保全型農業への取り組み」と題した講演をしていただいた.周知のように大潟村はかつての八郎潟を干拓して出来た村だが,農業排水による残存湖(八郎湖)の汚濁問題を抱えている.八郎湖は大潟村の水道水源ともなっていることから,その汚濁問題は大きな問題であった.

 大潟村では,平成10年頃から環境保全型農業への農業者の関心が高まり,産学共同での環境保全型農業研究が歩みだした.そしてその一つの成果として平成13年に「大潟村環境創造宣言」を行ったのである.

 まだ具体的な計画にまで至っていないが,八郎湖や霞ヶ浦など,農業に起因する水質汚濁問題を抱えている湖沼との「湖つながり」での研究,実践交流はこれからの大きな課題であろう.

 さらに15年2月には,フィールドワークで対象とした調査圃場で,学生が中心になって「あぜ直しプロジェクト」が行われた.地元の土地改良区がもちかけてくれた話であるが,痛みが激しい排水路にぐり石を敷き,破損したあぜに土を入れて補修をしようという取り組みである.10数人の学生が参加し,土地改良区職員,県職員らとともに,一日あぜ直しに汗を流した.

 「農業濁水」のフィールドワークは,あぜ歩きから始まって,産官学をつなぐ研究会の設立へ,湖をつなぐ研究者のつながりへ,そして学生を主体にした大学と地域とのつながりへと,少しずつつながりを増やしてきた.これらを大事に育てつつ,社会における大学の新しい役割を模索していきたいと考えている.