環境負荷の少ない地域づくり

秋山道雄・轟慎一

環境計画学科環境社会計画専攻・環境建築デザイン専攻

1. フィールドワーク事始め

 FW?・Bグループが、赤野井湾集水域を対象としてフィールドワークを実施するようになったいきさつは、昨年度の学部報(「赤野井プロジェクトの成立」pp.19〜20)に書いた。そのため、ここではそれを前提として話を進めていくことにしたい。

 環境科学部のフィールドワークは、これを通して問題の発見・解明・解決という一連のプロセスを学ぶことを目標としてきた。それゆえフィールドワークの開始当初は、一年生のFWIで「問題の発見」を体験し、FWIIでは「問題の解明」に向かい、FWIIIで「問題の解決」を実習するという形式が一応は意識されていた。ところが、FWI・II・IIIは、担当者がそれぞれ独自に内容を設計しているため、必ずしもねらい通りの成果に結びついたとはいいがたい。とりわけ、FWIIIが必修科目から選択科目へ変更となってからは、その傾向がより顕著になったようにみえる。このあたりは、今年度からフィールドワーク委員会でもこれまでのFWを総括するという営みが始まったので、これからこれまでの試行錯誤の経験が検証されることになるだろう。

 FWII・Bグループを編成するにあたっては、以上のような目標を意識しつつ、環境科学部が全体としてフィールドワークを実施するという特性を生かすため、このグループに参加する教員は4学科・専攻から少なくとも1名は参加があって、全体としてスタッフが全学科・専攻をカバーしていることが望ましいと考えた。幸い、こうした趣旨に賛同される方々の参加があって、5名(1998年度から4年間は建築デザイン専攻の迫田正美氏も加わって6名であった)のメンバーでこのグループのフィールドワークは実施してきた。教員の所属学科・専攻を多様化するねらいは、FWIIの場合、学生が所属するグループは学生の選択に委ねるという方式をとっているので、このグループを選択する学生の学科・専攻に偏りがでず、なるべく参加学生の学科・専攻も多様化していることが望ましいと考えたためであった。これまでのところ、年度によって変化はあるが、参加学生の所属学科・専攻は、4学科・専攻に分散してきた。ただ、このグループの表題が「地域づくり」となっているため、社会計画や建築デザイン専攻の学生が相対的に多かったのは事実である。

 このグループの課題は表題に掲げたとおりであるが、アプローチの仕方は特定の視点や方法に限定されていない。むしろ相当の多様性があるといったほうが適切で、それゆえに4学科・専攻をカバーする教員構成とすることに意味があった。そのことは、やがて学生が選択するサブテーマに反映していくことになる。

 学生がどのようなサブテーマを選択するのであれ、このグループで共通に目的としたのは大体以下のような項目であった。

  (1)問題を発見する能力を養う

  (2)フィールドをみる目を養う

  (3)資料収集の能力を養う

  (4)資料を分析し、まとめる力を養う

  (5)人前で自分の考えを述べる力を養う

 フィールドワーク本来の構想では、1回生で問題の発見を扱っているのであるから、2回生では問題の解明に重点をおくことが望ましいが、FWIとFWIIが連動していないということもあって、FWIIでも問題の発見にウエイトをおくことになった。しかし、問題を発見する能力を養うという項目をあえて掲げているのは、そうしたやや消極的な理由からだけではなく、問題の解明を進めていくためにも、適切な問題の発見が必要であるという積極的な理由があったからに他ならない。フィールドワークを通して、問題の発見と解明は独立したものではないという認識がえられれば、フィールドワークを実施する意義のひとつが果たされたことになろう。

 

2. フィールドの性格

 われわれが、通常、フィールドワークを実施する際には、自己の目的に則してフィールドを選定する。しかし、昨年度の学部報で触れたように、このグループの対象地域はすでに決まっていた。ただ、あつかう問題によってはこういうケースもあるから、あながち異例な事態というわけではない。

 Bグループが対象とするフィールド(赤野井湾集水域)は、添付図にもあるように、野洲川下流域左岸で主として守山市域に含まれる。守山を流れる水は、すべて赤野井湾に注いでいるから、守山市における開発事業や環境保全行為、まちづくりなどは、赤野井湾とその集水域の水環境と深く関わっている。他律的に決まったフィールドとはいえ、子細に点検していくと、自然的側面も人文・社会的側面もともに興味深い性格を帯びており、表題のようなテーマでフィールドワークを実施していくのにふさわしい対象であった。

 守山市は、滋賀県の南部、琵琶湖の東岸に位置する人口約6.5万人(2000年国勢調査報告)の都市である。市域は、野洲川によって形成された沖積平野からなる、標高差わずか22.4mの平坦な土地上にある。圃場整備によって地割は大きく変化したが、地名には条里制の名残をとどめている。中山道が市域を通るため、この街道沿いに守山宿が成長し、一方、湖岸の集落(木浜・赤野井)では湖上交通の要衝として琵琶湖水運の一端を担うところもあった。しかし、第二次世界大戦が終了するまでは典型的な都市近郊農村であった。

 自然的側面の特徴としてまず目につくのは、守山には山がないということである。しかし、実際にフィールドへ出かけて歩いてみると、西には比叡山や比良山系がみえ、東には三上山が望めるから、山がないというと実感とは異なる。このあたりがフィールドワークのおもしろいところで、実際に自分が歩いて得た印象と、地形図などをみて現実の地形環境を把握した認識とは異なるのである。フィールドをみる目を養うという目的と、資料を分析する能力を養うという目的が、このあつかい方如何で相乗効果を発揮しながら達成されるか、それとも両者とも不十分なまま終わるか、の分かれ目となっていく好例であろう。

 守山市の自然条件は野洲川によって形成されたといってもよいほど、野洲川があたえた影響は大きい。肥沃な土壌や豊富な地下水は、そのうちプラスの影響の典型であろう。たびたび繰り返す洪水は、マイナスの影響を代表している。洪水防止のため、1971年から河川改修工事が始まり、それまで南北2川に分かれていた野洲川下流は、改修ののち新野洲川に一本化された。工事完了(1980年)以後、野洲川左岸に位置する赤野井湾集水域は、今日のような自然環境のなかにある。

 守山の生物を代表するものとして「守山ホタル」がいる。かつて、当地域でよくみられたゲンジボタルを指す名称である。明治時代を中心にホタルが数多く群生し、1924年には守山ゲンジボタルが天然記念物の指定を受けた。「ホタル問屋」という名称からもわかるように、ホタルの売買が職業として成立するほど存在していたようであるが、乱獲と水質悪化のため激減し、1950年代後半からはあまり姿をみることはなくなった。そのため1961年には、天然記念物の指定が解除されている。これに対して、近年、市民のあいだからホタルの復活を促すような地域づくりの動きが出始めている。

 1960年代に入って、県南部のインフラストラクチャーが集中的に整備されてから、この地域の立地条件は大きく変化した。1960年頃、国道1号の舗装が完了し、それに続いて国道8号が整備された。また、1963年に名神高速道路が一部開通、1964年には琵琶湖大橋が完成して国道8号と161号(琵琶湖西岸を走る国道)が接続するなど、主要な道路交通体系が整備されていった。これによって自動車交通を媒介とした京阪神都市圏内のネットワークに組み込まれたことが、その後の県南部における工業化・都市化を促す要因となった。守山市は、こうした動きを直接受ける位置にあった。

 都市スプロールの進行に伴う混住地域の拡大、土地利用の転換や自然環境の変化による動植物の減少や絶滅、当地域の流末にあたる赤野井湾の水質悪化など、今日にいたるさまざまな問題群の発生がこれに続いた。1960年代の後半に入ってから、県の環境行政が本格的に動き出すが、守山市の環境行政もそれに付随している。

3. 地域づくりと住民参加の諸類型

 守山市では、集落レベルでまちづくりや地域づくりを進めているところが幾箇所もあり、さらに昨年度の学部報で触れたように、市域全体をカバーする動きとして赤野井湾流域協議会の活動がある。また、守山市が2000年度に策定した『第4次守山市総合計画』の策定過程においても、いくつかのステージで市民の意見を聞いたり、提言を受けるといった動きがあった。これらの内のいくつかをとりあげ、フィールドワーク開始時に説明し、またバスで守山市へ出かけた際に現地を視察することにしている。以下に、これまでにとりあげた事例のうちのいくつかを紹介しておこう。

 (1)赤野井湾流域協議会:赤野井湾集水域に関連する地域の関係者が編成しているので、厳密には守山市だけの組織ではない。隣接する草津市と栗東町のうち、赤野井湾集水域に関わるメンバーが若干入っている。しかし、ほとんどは守山市の住民によって組織されているといってよい。1996年に設立され、5年間の活動計画をたてた。水質の改善やかつての生態系を取り戻すための対策、生活のあり方などについて提言するとともに、自らが実践活動を展開することを目指してきた。これまで5年間の活動をまとめ、評価し、課題を抽出したのち、いまは新しい段階に入っている。

 (2)杉江町の水路を活かしたまちづくり:典型的な農村集落で、集落内を流れる水路はこれまで生活や農業に用いられてきた。1993年に杉江町自治会内にまちづくり委員会が結成され、この水路をまちづくりに利用するための整備を始めた。錦鯉の放流とスイセンなど水生植物の植え込み、手作り水車の設置などが行なわれてきた。水路は、住民が定期的に清掃して、美しく保たれている。

 (3)欲賀町・ホタルのよみがえるまちづくり:ここも典型的な農村集落である。1993年に建設された欲賀町農村公園(遊具・小川・トイレ・グラウンド400?からなる約600?の公園)が、1995年に市からホタルの生息する公園に指定されたのを契機に「ホタルのよみがえるまちづくり」計画が始まった。行政によるハード面の整備をもとに、住民は鯉・カワニナの放流、水生植物の植え付けなどを行なった。1998年から周辺の住民主導で週末に作業していることもあって、住民の関心は高い。

 (4)浮気町のハリヨを通じたまちづくり:1990年から、浮気町自治会が中心となって美しい小川を呼び戻そうという運動が始まった。その一環として、伏流水を汲み上げ集落内の水路に流し、そこへハリヨを放流した。ハリヨは、滋賀県と岐阜県の一部にしかいない希少種であったが、現在浮気町では約1000匹にまで増えている。浮気町のまちづくりの特徴は、自治会が町づくりの中心となっているだけでなく、それをサポートするために住民が自発的に「浮気町まちづくり推進委員会」や「浮気ハリヨ保存会」、「浮気焼愛好サークル」などを組織していることである。「浮気町まちづくり推進委員会」は、1989年に「まちづくりの会」として結成されたものであり、「浮気ハリヨ保存会」は自治会員相互の、出会いの場・ふれあいの場をより堅固なものにしていくために1995年に結成された。こうした組織の活動を通して、住民相互のコミュニケーションは深まっている。守山市における集落レベルのまちづくりとしては、もっとも成果のあがっている事例とみなすことができる。

4. フィールドワークの実践

 Bグループの特徴は、1997年から継続して赤野井湾集水域を対象にフィールドワークを実施してきた点にある。これは、年を経るごとにとりあげるサブテーマがなくなるのではないか、といった懸念が一部にあがる特徴でもあるが、しかし実際にやってみると結果はむしろ逆であった。対象地域の性格が多様な関心を満たすに足りる奥の深いものであったということが大きいが、それだけでなく同じようなサブテーマをとりあげても切り口は異なるのである。4学科・専攻の学生の関心の所在が、同じ対象に対して分岐するということを発見できるのも、こうした混成グループゆえの効果であろう。

 FW初日には、教員が、このフィールドワークの目的や運営方法を説明する。あわせて、この地域の性格を教員各自の専門や関心にもとづいて解説していく。この時点で、参加学生は当地域の概略をつかみ、現地調査に備える。初日のあと、これまでにこのグループでフイールドワークを実施した学生がまとめた報告書をながめ(サブテーマはすでに30本を越える)、自分が関心をもった3つのサブテーマを選ぶことになっている。それをただちに読んで、内容を要約しかつ自分の関心のありかをも書いたレポートを提出する。翌週と翌々週は、バスに乗って現地へ出かけるが、その時にはすでに自分がこの地域でどのようなサブテーマをとりあげていくかをある程度まで考えているわけである。

 教員が引率していく2回の現地見学は、その後の学生のサブテーマの選択に影響をあたえ易いので、見学先の選定には毎年工夫を必要としてきた。大学を出発したバスは、湖岸道路を西に向けて走るが、その折々に左右の景観から読みとれる事象を解説していく。対象のフィールドではないが、すでに移動の段階で現地調査は始まっていることになる。現地での見学箇所は、年度開始前に教員で相談し、その年のコースを設定することにしている。

 2回の現地見学が終わると、学生は自分がやりたいサブテーマを書いて提出する。教員は、それをもとにサブテーマの近そうな学生の集合を整理して、チームを4〜6程度編成する。このチームは、学生が事前に編成したものではないから、チームメンバーが決まったあと、改めてそのチームでどう課題を追求していくかを相談する。これは、学科・専攻を別にする学生が、同じテーマを追求するために協力するというトレーニングの機会ともなっていく。

 以後、各チームの自由な調査に委ね、2〜3週間後、中間報告会を開く。ここでは、各チームが皆の前で報告を求められるから、人前で自分の考えを述べるという訓練が同時に行なわれる。それぞれの報告に対して、教員からコメントがでるので、翌週からはそれを踏まえた調査が続いていく。さらに、2〜3週間後、最終報告会が開かれる。ここで各チームの格闘ぶりが明らかになっていく。これを経たのち、翌週までに提出を求められたレポートは、多くの場合不十分なことが多いので教員が添削して修正を求める。現在、並んでいる報告書はそうした営みの結果、まとまったものである。

 サブテーマ名は紙数の制約があるためここでは割愛するが、同一地域を定点観測という意義も加えて取上げてきた成果が、年を経るごとに反映する結果となっているように思う。こうした蓄積をいかに活用するかという点が、当面の課題となっている。