琵琶湖の過去・現在・未来

上田邦夫

生物資源管理学科

生物資源生産大講座

 平成13年11月には大津市で世界湖沼会議が開かれた。私はこの会議に出席し、いろんな発表を見聞きし感慨を新たにした。特に新鮮に思えたのは第一日目のプログラムの行政からの説明で、琵琶湖の治水・利水・保全の目標は治水・利水まではできたが、保全ができていないというものであった。

 私は偶然にも長い間琵琶湖周辺で居住してきた。そのためこの半世紀ほどの琵琶湖の変遷に肌を接してきたといえる。滋賀県の住人だったらだれでもそうであったろうが、研究機関に所属してきた人は数少ないであろう。私の専門は肥料や土壌微生物なので、特に水質や水辺の生態の研究に携わってきたわけではない。しかし、そうしたことを専門の立場からも私的な面からも長い間かかわり合ってきたのである。

  私がそうしたことで思い出すのは小学校の頃に先生から聞いた話である。琵琶湖が時には洪水を起こし、何メートルも水位が上がることがある。この小学校も水に浸かったあとがある。それは瀬田川が土砂で埋まって流れが悪くなったためで、先生もその土砂を取り除きにいったことがある。などという話であった。私はかなり恐ろしい思いでそれを聞いていた。しかし、夏になると琵琶湖の南湖でもそこここで泳ぐことができたし、うまくいけば潜ってシジミを拾うこともできた。いろんな魚が岸辺の杭に群れている様子を見ることができた。また、大雨が降るとどんな小さな川にも魚が群れて遡上してきたもので、それを網を持って追っかけたものである。昭和30年代の話である。

 もっと時間をさかのぼって人類が湖国にはじめて足を踏み入れた頃のことを考えてみるとどうであったろう。ほとんどが森林に覆われていたことは想像に難くない。そして自然の状態での安定した状態ができていたように思われる。また暴れ川が多かったであろうか。私にはそうは思えない。一つの例として田上山がある。湖南アルプスの荒廃は難波の宮の造営からはじまり、入会地であったために主に燃料としてのバイオマスが収奪され、徐々に荒廃が進み江戸時代の中期頃には草津川が今の天井川になったとされている。滋賀県には天井川が多い。天井とまでいかなくても川床がかなり高くなっているものが多い。これは同様なことが起こっていたことの結果であると思われる。戦前までは山林はかなりひどくバイオマスの収集が行われてきたからである。

琵琶湖周辺の住人にとって、琵琶湖の増水による水害は非常に深刻な問題であった。それは上記の事情から人間が過度に進入してきた結果ともいえる。また滋賀県には数多くの暴れ川が当時あり、その治水対策も大きな課題であった。そこでまず行われたのが瀬田川の浚渫や洗堰の改修、主要河川の上流にダムを造ることであったように思う。これらのことは当時の県政の大論争点でもあった。このことは今も変わるところはない。

 今日ではダムができ、圃場の用水路や排水路までコンクリート化されるようになってきている。また湖岸もコンクリート化されるようになった。生態学の教えるところでは琵琶湖の魚はその周辺の河川、水田に遡上しそこで卵を産み付けて繁殖するものがかなりいる。代表的なものは鮎である。そうした魚はこの結果かつてのように川を遡上し、あるいは水田に入り込んで繁殖することはできない。また水田の有り様もこの間に大変な変化が起こった。簡単に言えば、機械化と農薬・化学肥料に重点が置かれるようになった。この結果、新たな問題として河川からの新たな土砂の流入不足からくる砂浜の流失や、有機物や化学成分の多い汚染負荷の大きい水が流入する問題が起こるようになった。また周辺人口の増大とともに生活排水の増大がもたらされ、特に都市河川の水質悪化が著しくなった。

 こうしたことから今日では様々な施策が取られ、これで安心ということはないけれど、琵琶湖の水質が悪化の一途をたどることは阻止されてきている。しかし魚類を含めた生態系の保全という観点からみると途は遠いといえる。すなわち、治水と保全は相反することの様に思われる。少なくとも河川・湖沼は人間がはいってくるまでは自然の営みとして長い年月を経過して一応の安定な状態となってきたものであるからだ。つまり、治水する必要に追い込まれてきたこと自体からが問題で、そのため今日の琵琶湖とその周辺は人間活動により再構築されねばならなくなり、太古の時代とは大幅に異なった環境となってしまっているということだと思う。

 それでは今後はどの方向に進むべきなのであろうか。この問題は相当議論の分かれる処で、それこそが会議の論争であったが、最も妥当な方法は昔の姿に戻せるものは戻すことであろうと私は思った。