私の環境学

高橋 卓也

生物資源管理学科

生物資源循環大講座

「予定調和説」と「ポーター仮説」

 大学時代に林学を学んだ後その周辺の世界をうろついてきて出会った、魅力的な考え方がある。「予定調和説」、「航跡理論」等色々に呼ばれるこの考え方は、ドイツの林学者アルフレート・メーラーの次の命題により要約されるであろう。「最も美しい森林は、最も生産性の高い森林である。」すなわち、森林の景観の美しさとそこから得られる収益とは一致する、というのである。

 ビジネスと環境を巡る論議の中にも、この考え方と似たことを唱える人が多くいる。すなわち、環境を重視した企業経営は利益をもたらす経営である、と。企業の競争戦略の大家であるマイケル・ポーターは次のようにいう。「環境に関する規制は企業の革新を促進し、企業の競争力を高める。」これは「ポーター仮説」と呼ばれ、多くの論議の対象となっている。

 以上のような考え方は実務家にとってどのように響くものであろうか。企業はもちろん、行政機関も、生き残りを賭けて日々格闘している。その渦中の人々にとっては、環境はこれからのビジネスの中心的存在にならなくてはならぬ、との評論家、経営トップの訴えなど、単なるご託宣にしかすぎないかもしれない。

 しかし、環境を守ることがもっと自然に本業のなかに埋め込まれる形をつくる事が出来ない限り、今日の環境問題の解決は不可能だ。地球温暖化の問題をみても、目指すものは、西暦2300年までに全世界の排出する温暖化ガスの量を現在の6分の1までに削減するという、遠大な目標である。このような目標は、社会の全ての分野のあらゆる行動の集大成としてのみ達成し得るものであろう。そのためには、現代の社会の主要な部分である企業とその構成員が、自然に、つまり日常的に環境に取り組む状況が必要である。世の中の大半の人々が(すなわち営利企業で働く人々)が自発的に環境に取り組むような社会的仕組みを見つけたいというのが私の研究上の希望である。

自発的環境行動 (environmental voluntary initiatives)

 以上のような動機もあって、これまで私は、企業の自発的環境行動に注目して調べてきた。自発的環境行動(environmental voluntary initiatives)とは耳慣れない言葉だが、環境政策の分類の中に位置付けるとすると、規制的手法(排出基準など)や経済的手法(炭素税など)とは異なり、政府の強制力から離れたところで実施される環境配慮行動、とでも定義できるであろう。

 たとえば、森林認証である。森林認証とは平たくいえば、森林のエコラベルである。良い森林管理(どのような森林管理が「良い」ものであるかがこれまた大問題であるのだが)、を一定の基準で認定し、さらにそこから生産される林産物にマークを付けて消費者に優先して使ってもらおう、というものである。日本では認知度が低いが、北アメリカ、ヨーロッパ、その他の木材輸出国では、これからの林業経営をする上で、必須のものとして見られ始めている。

 森林認証について、具体的に何をどう調べてきたかというと、企業や消費者や流通業者に関する情報を集め(インタビュー、アンケート、文書収集等)、仮説を作って検証する、といった事をしてきた。カナダで林産業者に対する郵送アンケート調査を行なった際の仮説のいくつかは次のようなものであった。

(1)大規模な会社ほど森林認証の取得に積極的であろう。

これが本当だとすれば、森林認証は中小の業者にとって不利なものであることになり、何らかの措置が必要となる。

(2)カナダの林産業者は、州政府から森林を伐採する権利を買い取り、それによって得られた木材を原料に生産を行っている。森林を伐採する権利には、25年以上の長期のものもあれば、数年だけの短期のものもある。森林認証の取得には、長期の安定した伐採権を保有する会社ほど積極的であろう。なぜなら、長期にわたってその森林を保有していなければ、森林に対して与えられる森林認証のメリットを享受できないからである。この仮説が正しいとすれば、伐採権の体系を手直しする事も必要となってくるかもしれない。



 このような郵送アンケート調査を行なう際には、通常、回答率を少しでも上げるためにアンケートの送付先に電話をかけて回答のお願いをする。この時は研究助手の方の手助けを得ることができたが、カナダでの別の郵送アンケートの際には、結構な数の会社に私がお願いの電話をした。電話をかけるこちらもたどたどしい英語で冷や汗ものであったが、先方も随分戸惑ったのではないだろうか。

 また、森林認証にかかわる人たちについて知るため、会議やフォーラムなどにも顔を出した。幸いな事に、私が当時いたカナダのバンクーバーでは、森林管理や森林認証に関する会議がしょっちゅう開かれていて、企業、NGO、政府の人たちが喧喧諤諤やっていた。特に印象に残っているのは、バンクーバー島にあるClayoquot湾の森林の伐採を阻止した環境NGOの人の話である。彼女の言う事には、「伐採用の機材に自分の体を鉄鎖で縛り付けるのは、伐採を阻止するのが目的ではないのです。(注:この時の反対運動では、そのような実力行使によって延べ100人以上が逮捕された。)一般の人たちの心の中に、『原生林の伐採は悪である』という考えを植え付けるのが目的です。それにしても、あれは寒いよ!」とのこと。環境問題は、まさに人々の考えを左右するイデオロギー面での闘争をはらんでいるのだな、ということを感じた。



 話は戻るが、統計分析をした結果、上記の仮説は部分的に確認された。ただし、森林認証の世界もいわば「乱世」であって、異なった認証が対立、連合をしていることから、最終的にどのような形で落ち着くかはまだまだ予断を許さない。従って、これから追跡調査をしていく必要があろう。

 森林認証の調査と前後して、似たような調査を日本のISO14001環境マネジメントシステム認証やカナダの地球温暖化対策自主行動登録制度についても実施して、自発的環境行動の性格を把握しようとしてきた。これらの自発的行動が、規制的手法や経済的手法に完全に取って代われるものとは思っていない。しかし、自発的環境行動でなくては手を付けかねる領域が、環境保全の中にはあると思う。それは、政府が乗り出して来られないような境界線上の環境問題、はっきりとした技術的解決法が見つかっていない問題などである。そのような問題については、自発的行動が先導的役割を果たすのではないかと考えている。

 まさに、森林管理はそのような問題である。森林はその置かれた自然状況(地形、気象、土壌、生息生物等)、社会状況(木材市況、利用権の配分、雇用等)により千差万別であって、一定の「良い森林管理」などというものは、誰にも、なかなか決められるものではない。そうしたなか、林業経営を行なう人々の自発性を尊重する森林認証制度は、いわば探索的に森林管理をよりよいものへと近づける手段となりえるかもしれない。

 さて、これまでのところ、かなり無批判に、自発的環境行動は「良い」ものとして話を進めてきたが、そうとも限らない。自発的行動は、単なる企業PR、煙幕の一種にすぎないのかもしれない。この点にも興味を持っており、これから検証したい。

 近年、環境の分野を含む、多くの分野で市民、企業、政府のパートナーシップが提唱されている。自発的環境行動の役割と限界を明らかにしていく事は、パートナーシップを実効あるものにするための一助になるのではないかと考えている。

(写真は三重県海山町、速水林業のヒノキ山林。日本で最初のFSC・森林管理協議会による森林認証を取得。)