地域社会を了解するということ

杉元葉子

環境計画学科環境・建築デザイン専攻

環境意匠大講座

 今、地域社会は大変見えにくい。なくなっているということではなく、異なる質と広がりをもった幾つもの相が重なり、如何ようにも読めるものとしてたち現れているということだ。生活の規範を一にし、場合によっては生活の手段も共有していた明確な集合体としてのかつての「地域社会」はない。

 故に、大学人として地域社会との連携を考えるとき、その地域社会を捉える眼が問われる。地域社会に対しどのような固有の了解をもち、その了解を通してどのような責任を引き受けようと覚悟するのかが問われる。昨年、ゼミの学生たちと共に、ワーキンググループの一つとして近江八幡市のまちづくりに関わる機会を得た。学生達は多くの市民達に出会い、地域行事に参加し、その日常に立会い、また多くのヒアリングを行なって八幡というまちの感触を肌で得ていった。この過程で、アンケート等による統計データが生の切実さを希薄化してしまうこと、抽象概念ではなく、顔をもつ一人一人の市民の日常の一瞬一瞬が地域社会を作っていることを、彼らは痛感した。

 彼らに見えた「地域社会」には、まちへの暖かい思いを共有しながら互いに言葉を通じ合わせ得ずにいる人々がいた。この状況に一石投じようと、学生達は「声文―耳をすましてー」というイヴェントを企画・実行した。旧市街を一軒一軒訪問して箋にまちの人達へのメッセージを集め、その600枚近い箋を旧郵便局に展示したのである。長い時間をかけてその1枚1枚読んでくれた人、アンケートなどよりよほど良いと喜んでくれた人、すっかり話しこんでいく人もいた。大勢の人達が彼らの活動を支援してくれた。求めに応じて全数の箋のコピーを冊子にして送ったのは約60部になった。少しだけ、声が届いた。学生達は、彼らなりの「地域社会」を見出したのである。

 素朴な試みがすくい上げた「声」は、委員長をはじめ基本計画策定委員会の「学識経験者達」の関心を惹くには必ずしも至らなかった。役所の関心も、その一つ一つには向けられなかった。地域社会の問題、そして大学との連携を考えるときの問題がここにも透けて見えた。

 大学の社会的意義は、利害を超え行政からも企業からも束縛されない透徹した自由な視座を持ち得ることにある。象牙の塔にこもり、社会に対して距離を置けということではない。行政が認識する社会でも、企業が認識する社会でもなく、先見を脱却し広い視野を獲得したもう一つの眼差しにのみ見える社会を捉え、自己だけの責任においてその社会と最大限の誠意を持って向き合うことである。その自立した眼差しの正当さが大学というものの存立の根拠である。

 しかし現実には、「地域社会」が自明のものとしてそこにあるかのように、レディ・メイドの像を過信し、ただ高所から関わっている場面があるのではないか。善意はあってもむしろ害を為す国際援助とも通じる構図である。身近では各種の行政の委員会でも、私自身を含めそのような状況に陥ることがある。議題については誠意ある発言はしても、準備された議題に沿うこと自体で「学識経験者」として行政の免罪符という形で地域社会に関わる結果となってしまう。「学識経験者」もまた「地域貢献」をしたという免罪符を得るが、その対象である地域社会は時として、生の切実さが希薄な抽象概念や現実の断片にすぎない。

 本来は、地域社会と関わるということと、自分の関わるべき地域社会をつくることとは同時にある筈ではないだろうか。地域社会と関わるためには、まず地域社会を見出さなくてはならない。地域社会が見えないときは、それを見える形に育てるところからはじめなくてはならない。疵付かぬ高所から語るのではなく、エネルギーをかけそれを真摯に了解しようとして初めて、地域社会と関わる資格が得られるのではないだろうか。「学識経験者」として地域に「貢献」するとは、そのようなことを言うのではないかと思う。

 困難だが当たり前のその営為の先に大学と地域社会の豊かな連携を見たいと思う。