環境社会計画専攻この一年





土 屋 正 春

大学院クラスの運営は難しい

 日々の仕事を通じて最も難しさを感じているのは大学院生の指導である。他の方々がどうなのかは改めて尋ねたわけでもないので分らないが、少なくても私に関してはそうなのだ。といっても、自分のゼミ生についてではなく、講義や演習科目の受講生についてである。その原因は大学院博士前期課程での「領域」のありかたと関係しているのではないかと考えている。つまり、同一の領域の中でも受講生が抱いている関心の向きは極めて大きな角度を伴いつつ異なっているのが実情で、そうした学生達を対象とした授業内容の設計が多様な条件を勘案すると難しいということである。

 受講生の関心の幅全体をカバーする性質を強く意識するとどうしても抽象的な面が表にでるものになりがちで、そうなるほどに学生たちは興味を示さなくなる。これは、研究科全体の共通点だと考えられるのだが、まだ「環境」がテーマであるとしてもその哲学的な考察を中心に据えるような個別研究が育つまでの背景は備えていないことが原因と言えるだろう。これとは逆に具体的な展開を見せるようにすると、特定の学生にはマッチするもののその他大勢にとっては関心の対象とはなりえないという相反する面を見せることになる。自分の問題として意識するのが難しいのだ。

 私自身が担当している科目が政策であることから、今年はこれまでとは異なる方法を実践してみた。それは、個々の学生が抱いている研究テーマを一定の政策プログラムに翻訳させるというものだ。これにより全員が自分なりに研究テーマとの関係を意識した時間を過ごすことができたようだが、それぞれの研究テーマがベースになっているので、互いの研究内容についての相応の理解が必要になるためディスカッションが成り立ちにくいという事情も明らかになった。14年度にはこの課題にチャレンジしたいと考えている。




奥 野 長 晴

環境食品学の大系化  

 人間が1カロリーの栄養エネルギーを口に入れるまで、何倍の外部エネルギーを使っているか?外部ネルギーとは肉や穀物など食品を生産し、輸送し、調理するために消費した化石エネルギーの合計である。この倍率をエネルギーコストと呼ぶことことにする。これを卒論のテーマにしたのである。この比率、つまりエネルギーコストは意外と大きく、3ないし10倍にも及ぶことがわかった。つまり石油なしでは、満足に食べ物さえ口に入らないシステムに世の中が変わっている。

 次に、「風呂に入ったり、テレビを見たり、食事をしたり--このような毎日の行動一つ一つを石油ネルギーの尺度で表す」ことを別の卒論のテーマにした。ある男子学生が一日に消費するエネルギーの約半分が車のガソリンに起因、25%が食物に起因することがわかった(車を使わぬ人では50%が食物に起因)。エネルギー消費は炭酸ガス発生に比例するから、食べ物起因の炭酸ガスは意外と大きいのだ(人間の呼吸による部分は含まない)。したがって京都議定書で決めた炭酸ガス削減の約束を守るためには、エネルギーコストの低い食品の選択がひとつの鍵になる。「従来の食材のグリーン購入は有機栽培無農薬を対象にしているが、そうではなく低エネルギーコストを対象とするべき」が私の主張である。 栄養学的に満足することを前提として、エネルギーコストから見た献立の選択--これを環境食品学と命名することにした。この学の大系化がこの一年の課題である。




石 川 義 紀

 あいかわらず忙しい1年だった。一昨年に始まった大津氏の市民組織まの立ち上げは、準備段階を経て12月にようやく本格的に始動ということになり、一段落。市民組織に参画するということは時間と体力が要ることを痛感した1年だった。これからはアドバイザーという形で随時に参加することになる。彦根に住んでいては大津の団体の役員はやはり無理かも。

 先に書かなければならない講義のほうは、3回生の新カリに配当された環境アセスメント演習が始まったが、まだ手探りの状態。方法書の作成をやらせてみたが、やはりアセスメントの目的と効果を実感していないので、アセスメント書の内容を理解してもらうだけで精一杯というところ。

 卒論修論に関しては、院生がいないので比較的楽だったが、四回生に卒論内容を理解させるのに時間がかかった。目的とする結論を導くのに、論旨を組み立ててストーリーをつくるという作業を理解していないのではないかと思う。やはり、演習でこれを経験させておくことが必要。

 著述のほうは、臭気学会誌に3編、分析関係の雑誌に1編を投稿、環境省への報告書の一部分を分担。

 学会活動は、大気環境学会の組織改正があり、評議員は本年度で終了。臭気学会の理事は継続。韓国でも臭気学会の母体が立ち上がったので、これから面白くなりそう。

 委員会等の活動は多かった。常設の委員会は中央環境審、県環境審、大津市環境審のほかに、県アセスメント審査、県廃棄物処理施設審査、県大店法審査、県公害調停など、動いているもので10指に余る。事務局の都合もあるのだろうが、秋から冬に集中するので日程の調整に苦労する。公害調停は解決にはやはり時間がかかる。某国家試験の試験委員も2回目だったが、これは時間もかかるし神経を使う。環境省の検討会は2件に参加したが、審議会よりもずっと内容があってよほど面白かった。

依頼による講義講演の類は、大津や水口の公民館で2件、JICAの講義、公害防止管理者講習が2件。公民館での講義は専門外との理由で断ろうとしたが、なんでもいいから話をせよ、と押し切られてしまった。評判はよくわからないが、参加者は熱心だった。内容よりも話をしたことが評価されたようだった。

 前年同様に忙しい1年だった。2002年も忙しそう。




秋 山 道 雄

 2000年11月から、中日新聞土曜日の子供欄に「琵琶湖と環境」という約600字のコラムが始まった。このコラムの執筆を依頼してこられた中日新聞彦根支局長の水谷良因さんは、ちょうどその年の夏から湖国21世紀記念事業協会が出版を始めた季刊誌『夢〜舞(む〜ぶ)』の創刊号に、環境フィールドワーク?(環境負荷の少ない地域づくり)のエクスカーションに関する記事が載っていたのを目にされて、この企画を考えられたとのことであった。

 環境科学部のメンバーが、主として小学校5年生から中学校2年生あたりまでを対象に、琵琶湖と環境に関する話題を自由に書いて欲しいというのがその趣旨であった。そこで、私が皮切りに4回琵琶湖に関する話題を書いた後、院生の北川裕樹君にバトンタッチした。同君は、修論に琵琶湖のエリをとりあげていたから、その話題を紹介した。以後、環境科学部の教員や院生がリレーで自然から社会や文化にわたる話題を書きつなぎ、2001年11月で1周年を迎えることになった。

 週1回だから、1年たって50枚ほどの記事ができあがったことになるが、このテーマで書くとそれで尽きるということはなく、11月から2ラウンド目に入っていった。そこで、「この一年」というと、まず頭に浮かぶのが現在進行形のこの企てであった。連載開始の頃は、1年というと相当長く感じられたものだが、終わってみるとまた違った感覚にとらわれる。

 小学校高学年から中学生を対象に書くというのが、執筆時に逡巡する一つの壁である。すでに執筆されたメンバーのなかにも、これに手こずった方がいたかもしれない。執筆に当たって心がけたのは、(1)なるべく専門用語を使わない、(2)なるべく細かい数字を使わない、(3)なるべく外国語を使わない、といったことだろうか。

 執筆内容の趣旨が、肝心の読み手に届いたかどうか、まだ確かめたことはない。執筆メンバーの記事を読んでいると、これは届きそうな文章だなと思えてくるものに遭遇することがある。いわば、別の可能性を見るという機会ともなったようだ。文字通りの試行錯誤にあるとはいえ、環境教育や環境学習の接線にいる身にとっては良い経験であった。




井 手 慎 司

 以下、2001 年を振り返って順不同で思いつくままに…

 昨年はなんといっても第9回世界湖沼会議(11月)の年だった。99 年の前回会議(デンマーク)に参加して以来、この2年間は,今回の湖沼会議のためにあったと言っても言い過ぎではないだろう。振り返ると、昨年だけで、湖沼会議がらみでの出張は,ゆうに 60 回を超えていた。 湖沼会議では,いくつかの関連行事をプロデュースし、世界湖沼会議 NGO ワークショップを開催、NGO 水世紀宣言を発表した。

 やり終えた今,現時点での自己採点はむずかしい。当初掲げた目標のうち、できたものもあり、できなかったものもある。きっと評価が定まってくるのは、あと4、5年たってからのことだろう。

 湖沼会議がらみが多かったが、講演やパネリスト、コーディネーターとしてでかける機会も多かった。新旭町での住民向け環境講座(2月)、滋賀県主催の環境市民会議全2回(4月)、鹿深の里甲賀流域環境保全協議会に頼まれた2件(4、10月)、びわ湖会議総会(5月)、新旭町での環境自治体会議 (5月)、唐崎中学(10月)、コスモクラブ総会(10月)、市民が進める温暖化防止 2001(12月)、彦根工業高校(12月)など。

 近江八幡市とのおつき合いが増えた一年でもあった。1 月の審議会や市民環境フォーラムの司会からはじまって、環境フィールドワークでの公開ヒアリング(6月)とワークショップ(7月)、県立女性センターでの講演と国際フォーラムのコーディネーター(8月)、環境まちづくり学校の講師(9月)、ふたたび審議会(10、12月)と。

 その他の特記事項は、11月、やはり湖沼会議がらみでNHK大阪の「関西発ラジオいきいき倶楽部」に生出演したことか。あとで聞いたら全国版だったらしく、放送のあと、県外のまったく見ず知らずの人から、放送を聞いた、といって連絡がはいってきた。さらに同じ話をしてくれとの講演依頼も。

 本業がらみの学会への参加は,環境技術研究発表会(6月)と環境システム学会(11月)のみ.

 今年は少し、精神的にも時間にも余裕がある。地面に足をつけて、地道にやっていこうと思う。




近 藤 隆二郎

 何やら各種委員会などの仕事が増えてきた。しかし、なぜ私へ依頼するのかという点でまったくもって不可解な仕事もいくつかあり、こういう依頼はどうやら経験がものを言うようで、受ければ受けるほど増えるらしい。嫌ではないのだけれど、委員「長」という役割もいくつかあって、もっと委員で暴れたいのに合意形成の役目を担わされるのはちょいとおもしろくない。なんと来年度はPTA会長までまわってきた。

 講義では、『イベント計画論』『イベント計画演習』を今年から開講した。イベント計画手法という知識の伝達というよりは、グループに分けてのワークショップ手法の企画実践体験をおこなった。その後、オープンキャンパスにおいて社会計画専攻を紹介するイベントについて実際に企画提案をコンペ形式で競いながらおこなった。最終的に評価がもっとも高かったグループに実際にオープンキャンパスで実施してもらった。受講生からは、「もっと現場相手に実践したい」という声が多く、次年度はさらに商店街や地域と連携をとりながら実施していきたいと考えている。 また、『環境学原論』という重い講義を末石先生から引き継いだのだが、なかなか試行錯誤の連続だった。「原論」という共通解を示すのか、それとも「近藤原論」という主張なのか、また人間学という設定と環境科学部2回生必修という専門性との間でテーマと内容の深度のセッティングがいまひとつ咀嚼することができなかった。A2-201大講義室のプロジェクターは何とかならないのだろうか。

 卒論指導も3期目に入ったのだが、提出時期になってスケジュール指導の甘さを反省するのは毎年変わらない。来年度こそはじっくり全文を通して読み込みたいものだ。修論も2人を指導したのだが、2年間という期間の活かし方がまだこちらの指導側にも見えない。

 研究としては、昨年の卒論をベースに3本ほど学会発表をしたが、なかなか自分の研究論文を書くことができていない。自分の身体を動かしながら調査研究するという姿勢だけは忘れたくないのだが。




金 谷  健

 今年は、卒論生が7名、院生が1名、計8名と今までで学生が一番多い年であった。大変だなと重い気分で始まった1年だが、実際にはそれほど大変ではなかった。それは第一に学生同士がとても仲がよく、かつそれがお互いにがんばる方向に向いたためである。第二に院生がホームページやメーリングリスト作成、卒論生の相談相手と大活躍してくれているためである。この原稿執筆時点で、卒論提出(1月25日)まであと2日であるが、なんとか全員無事に提出できそうである。内容もあると思う。

 授業関係では、廃棄物管理論の授業の進め方を昨年と変更してみた。昨年までは基本的に講義のみ(最終週は総合討議)だったのに対して、今年は前半週を講義(廃棄物管理についての基礎知識)、後半週を学生発表(グループ・個人)としたのである。この学生発表は、前半週の最初に、全学生に「調べてみたいテーマ」を出させ、似たテーマの学生はグループで、そうでない学生は個人で実施させた。なおこうした形式が可能となったのは、受講生が40人程度と、昨年までの約半分になったためである(これは、開講を後期から前期に変更したことに伴い、環境社会計画専攻3回生以外の学生が時間割上、受講しにくくなったことによる)。  1コマ90分に8人前後の発表が可能なので、この人数だと、5週で40人の発表ができる。発表はパワーポイントで実施させた。発表内容は私の予想よりもずっと良く、特にグループ発表に充実したものが多かった。最終週の授業評価でも、この学生発表は概ね好評であったので、来年度もこの形式で実施したいと思う。なお授業評価で学生から出された改善点に、学生発表時に簡単なレジュメ配布が必要というのがあったので、来年度はそうしたい。

 学会発表は、廃棄物学会での1件のみ(川島・金谷:容器包装リサイクル法「その他プラスチック」実施市町村における実施形態)で、要反省。講演は3回(主催は各、県建設業協会、彦根市、県支援プラザ)。

 初めての経験として、本の執筆があった。これは10月初めに、いきなりファックスでの依頼から始まった。フレーベル館という出版社から子供向けに、「地球環境」シリーズ全5巻を出すので、その1巻「ゴミゼロ社会とリサイクル」を担当してほしい、とのことだった。本文を1ヶ月半で書いてほしいとのことで期間が短くて困ったが、私を推薦してくれた先生と共著で何とか書いてみた。その本の「おわりに」の執筆は明日が締め切り。間に合うかな?