地域社会との連携

西尾敏彦

生物資源管理学科

生物資源生産大講座

 地域社会との連携」は今やほとんどの大学がその存在意義のひとつとしてかかげている重要課題であろう。大学と地域社会との関りがあたりまえのことと考えられるようになって久しいが、これまでは「開かれた大学」、「地域社会への貢献」あるいは「地域社会への還元」などが、大学と地域社会との関り方であったと思う。私の狭い視野での理解ではあるが、大学と地域社会の関り方は、大学から地域社会への一方通行的な働きかけであったような気がする。こういった関り方は、大学における教育・研究現場の状況、個人の教育方針のもち方、研究課題そのものなどによって、さまざまな制約を受ける。言い換えれば、教育や研究分野をとおして、地域社会に顕著な貢献をしようとすると、個人あるいは数人の多大な努力、犠牲が必要とされる。大学と地域社会との関りの重要性を認識し、実施のための努力の必要性も当然のことと思いながら、踏み出すことを躊躇している現在、私のなかで今までは重きを占めなかった地域社会との連携という地域社会との関りについて考えてみた。

 地域社会との関り方は、複雑多岐にわたる。地域社会との連携も同様である。たとえば、滋賀県立大学からみて、「地域社会」とは八坂町、彦根市、滋賀県、近畿地方、日本、アジア、から地球上までのどの地域か。「連携」の意味するものは。愚問ともとれるものはさておき、地域社会とは人の暮らしが行われている場所であり、連携とは相互関係であるとの理解のもとで私自身にとっての「地域社会との連携」は何かを考えてみる。

 大学卒業後、滋賀県立短期大学農業部に勤務して以来、滋賀県での暮らしが数十年経った現在、私にとって身近な地域社会とは滋賀県ということになるかもしれない。また、地域社会とのつながりといえば、私の専門である園芸(農業)と、私のもとから巣立っていった卒業生達であろう。滋賀県立短期大学および滋賀県立大学の名のもと、県機関、農協、農家との園芸に関する情報の交換、あるいは学生、卒業生を介しての人的交流などに、微力を注いできたが、残念ながら、それらは地域社会との連携といえるものではない。少なくとも私に関しては、これといった地域社会との連携に携わってこなかった、自分に甘く判断すれば、機会がなかったのである。

 大学と地域社会が、すなわち大学に所属する教員、学生と地域社会を構成している人々が相互協力のもとに、何かを行おうとするとき、両者間に連携が生まれたといえる。そして、その連携によって大学側にも、地域社会にも有利な結果が導かれれば、その連携は成功したといえる。そこから新たな、しかも、より強い連携がうまれ、新しい相互協力関係が成立し、新たな局面へと発展していくに違いない。大学と地域社会の間にそのような関係で何かが行われたとき、大学と地域社会との連携があったといえる。

 地域社会との連携には相方の望むところ、意図するところを理解すること、相方が情報、技術、人および場所を提供できることなどが、相方に求められる条件であり、これらをアレンジするための組織や機関が必要である。もはや個人の努力や力量の域を越えるものであろう。

 本学は県立である。これは滋賀県の各機関や組織と、あるいは県下各地域社会との様々な情報の交換のうえで有利なことである。そのうえ、広い専門分野の教員と恵まれた施設・設備を有する本学は、地域社会との連携の条件は十分である。大学と地域社会に関る共通の解決すべき問題や達成すべき課題を見出すこと、およびそれらを実現するための組織つくりからはじめるべきではないか。「地域社会との連携」に関する私の自問自答である。