建築教育と地域社会

松岡拓公雄

環境計画学科環境・建築デザイン専攻

環境計画大講座

 大学と地域社会との連携に関しては様々な考え方と方法がある。ただ一般論としてはすでに多くの方が語られており、この誌面では、この環境科学部の環境計画学科にある環境建築デザイン専攻の取り組みかたで地域社会に貢献できるのかを考えてみたい。各研究室の研究が地域社会に貢献すべきであることには異論はない。しかしその前に、この環境計画学科の学生にとって今、必要なのはより実践的な教育だと考えている。そこから出発しなければ、地域社会貢献など語れず、今のままでは社会に送り出していく学生の質を問われるのではないかという危惧さえある。新カリキュラムに移行したことで新しい試みは出てきたが、カリキュラムの問題を超えて、この環境計画学科・環境建築デザイン専攻が目指す、大きな目標は何か、またそれをどう具体的にどう現場の教育におとしていくのかの見直しの必要性を感じている。一介の建築科ではなく、近県の京都大学、大阪大学をはじめとした歴史のある大学との差別化がはっきり打ち出された、滋賀のこの琵琶湖に立地した「環境」の冠をいただいた環境科学部の特色をより鮮明に打ちだしていく必要性をあせりをもって感じているのは私だけではないはずである。

 環境建築デザイン専攻では、構造・設備・材料、それに無論、計画・意匠・歴史をオールラウンドに学ばねばならない。オールラウンドに学んでいく、それが普通の学生の姿でもある。しかしある教育の現場では、この「(オールラウンドに)学ばせる」という原則が無限定に当然であるかの時代は終わって、最近では「(自主的に)つくらせる」という原則が浮上しつつある「学びながらつくる」という両者が融合した状態が望ましいのはわかっているが、たとえばカリキュラムの編成にあたって、もともと余裕をもって組まれている4回生に対しては「学びながらつくる」状況をさらに積極的につくっていくことができたとしても、3回生前期までに関しては、むしろ原則の対立の構図を生かしながら、新しい原則で古い原則を少しずつ押し狭めていくような具体的手順の必要も感じている。全科目を選択にせよという意見もあるが、必修科目はあってよいし、どの科目を必修にしさらにその必修科目をどの学年に配するかを考えることで、建築教育のリ・ストラクチャリングをしっかりやるべきだろう。それでも、学生たちには選択の余地が大幅に与えられるわけで、彼らは無意識のうちにそのストラタチャーとの関連で位置と方向性を確認しながら、個別の選択ができるはずだ。

 カリキュラムに限らず、設計演習のプログラムづくりもまた、本質的に建築・都市設計のプログラムづくりと変わるところがないと私は考えている。教師と学生の関係が上下関係でないことはいうまでもないが、恐らくそれは、同一のプログラムに従って設計作業(具体化の作業)を進める協働者の関係に近い。つまり学生というスタッフを抱えた設計事務所みたいなものでないかと考えられるわけである。プログラムは教師がつくるのではないか、その通りだが、しかし、教師は現実の社会を多面的に分析し要素化して、そこからプログラムをつくり上げる。プログラムの原型は社会そのものの中にすでに存在しているのであって、プログラムに教師のオリジナリティを主張することは、あまり意味がない。重要なのは、「与えられた」あるいは「発見された」プログラムを作動させる人びとのクリエイティヴな協働関係であって、それがよい結果を生み、その結果は教師も学生も共に享受し得ると考えられ、その結果が地域社会への貢献となるべきである。

 例えば、具体的な院生の教育研究指導等に関してだが、学部在学中に設計実務に関わることが多いアメリカの学生に比べて、日本ではまだ実際の設計実務は社会に出てから学ぶという傾向が強く、大学がどちらかというと基礎的な建築知識や理論を学ぶ場になっているところが殆どである。 そこで在学中に、環境をテーマにして、どこかの組織、自治体との交流によって現実的な課題も実行したいと思っており、現在オープンデスクという形とは違ったケースで進行中である。学生にとっては純粋なデザイン能力以外に、ユーザーのニーズを把握し、自分と異なる様々な意見を開き、それらを調整する能力が要求されるが、生きた環境建築教育の実践、学生にとって将来の建築実務のためというだけでなく、より実社会に関わりその中で実際に「ものをつくる」喜びを実感することにつながると思う。また大学と実社会のよりインタラクティヴな関係の構築も、両者の一層の活性化という点から意義がある。活気あふれる印象的な課題・研究テーマを見つけて行きたい。