私の環境学

川地武

生物資源管理学科

生物資源生産大講座

私は

 私は昨年4月に赴任しました。それまでは建設会社の技術研究所にいまして、専門は『土』です。大学では農学部の農芸化学科で土壌学を学び、その後、理学部で第4紀地質学をかじり、建設会社に就職しました。会社では30年以上地盤改良や汚染地盤の修復に関係する技術開発を担当していました。職場は東京都のはずれの清瀬にあったのですが、関係する現場は関西にも多く、こちらの大きなプロジェクトの土に関するコンサルティングも担当していました。例えば、大阪ドーム、関空、京都駅ビルなどの地盤改良、基礎工事、NHK大阪新放送センターや狭山池などの埋蔵遺跡や遺構の保存・展示処理など思い出深いものがあります。

環境科学私見

 環境科学はどんな科学なのか、まだ十分に体系化された概念がないのではないかと思います。これから自分なりの環境科学像を構築する必要がありますが、今の時点で感じていることを少し述べたいと思います。まず、環境科学は人間の生活や生産活動に伴なって研究の必要が生まれる分野ではないか、ということです。人間の生存抜きに動植物相互あるいは周辺環境との作用を研究するのであれば従来の理学や生態学で十分と思われ、人間の生存、生活や生産が係わって発生する諸問題を扱うのが環境科学ではないか。そうだとすれば、環境科学は人間生存による環境への影響や変化などの現象の解明を扱うだけでなく、その影響や変化の悪しき部分を最小化するための人間活動のあり方にも言及できるものでありたい。すなわち、環境の傍観者ではなく主体になることです。その意味で、環境科学は目的科学すなわち医学、農学、工学等と同じく実学であると思います。したがって、環境科学における教育は環境の現状と問題発生の原因を追求するだけの評論家の養成ではなく、改善の手法を考え、実施する、いわば環境の実務家の養成を念頭におくべきではないでしょうか。環境問題は地域から地球規模まで実に多岐にわたるため、問題解決手法も単純ではなく、また世界的規模の政治をまきこんだ手法も必要なため、その解決には無力感さえ感じることがあり、その裏返しとして出口のない環境至上主義とさえいえる論調がまかり通るように思います。むしろ、そのような難問題だからこそ環境科学の立場から基本を学んだ実務家が必要とされ、その養成が環境科学部に課せられた課題のひとつだと思います。

環境科学で土は

 さて、私の専門とする土ですが、あえて専門は『土』といいます。土は農地や森林の土壌でもあり、地盤の主要構成物でもあり、また場合によっては焼き物の原料でもあります。つまり、土は植物生育の場を提供するだけでなく、人間の住まいや産業活動の場であり、また廃棄物処理における最終的な受け入れの場すなわち、地球上の物質循環の経路でもあります。環境科学において土を扱う場合にはは土の多機能性に注目し、農業、建設、窯業、廃棄物処理など土に係るいろいろな産業分野を視野に入れることが必要であり、また可能な立場であると考えています。このような環境科学で土を扱うスタンスを知ってもらいたいため、あえて専門は『土』と言っています。これまでは土は農学部か工学部の土木工学科でそれぞれ別個に扱われ、表層の土壌と地下水と地盤は本来一体のものであるのが、いわば分断され、アプローチの方法も片や化学的手法に、一方は力学的手法に偏っていました。地盤を構成する土と地下水を一体として、複合的な手法を用いたアプローチが可能なサイトがなかったように思います。環境科学部で扱う土の科学はこれまでとは違った視点と手法が可能となるのではと感じます。そのためには、土をめぐる各分野の研究成果を吸収するとともに、周辺分野との対話・交流を行いながら独自の視点、手法を確立する必要があり、これもなかなか大変な仕事であると思いますが、複線コースをたどった自分の経験が生かせるのではと思っています。

土をめぐる現代の環境科学的課題は

 さて、環境科学における土という捉え方をした場合の課題は何か。第一に土壌や地盤の健全性をどう確保するか、第二は資源循環型社会の中に土をどう位置付けるか、第三は土自体の循環の可能性の模索かと私は思っています。農地の一部にはカドミウム等重金属に汚染され、いまだ抜本的な対策が講じられていない土が各地に分布します。食の安全性の大前提として農地の汚染を防ぎ、浄化することが課題であり、この課題に私自身も取り組みたいと考えています。工場跡地の再開発に伴う市街地の土壌汚染も注目を浴びており、近く汚染の調査、登録、対策を義務付ける法律もできるようです。しかし、現在の修復技術の水準、コスト、情報公開のレベル等を考えると対策がすんなりと進むとは思われません。一昨年、循環型社会形成促進法が成立しました。物質循環の末端にあるのが土であり、揮発性の物質を除けば大半が最後は土に戻るといえます。廃棄物を堆肥や飼料、あるいは地盤材料として有効活用することは理にかなっているものの、土への負荷は大きくなると思います。このような社会の要請に応えるには土の側からの積極的な対応が求められ、土づくりや良好な地盤造成と物質循環を連動させる研究は急務です。最後の土の循環とは、土に係わる産業としての農業、建設、窯業などが産業の枠を越えて土のやりとりができないかということです。建設から発生する大量の掘削残土には農業や窯業に利用できるものもあり、また、逆に農地造成の場合の砂利分の多い不良土は建設資材化しうる場合もあります。滋賀県のように土に係わる産業のすべてがそろっている地域や土の需要と供給の場が近い地域では検討の余地があると思います。これらの産業はいずれも廃棄物発生量が多く、廃棄物削減策が模索されていますが、このような形の対策立案に向けた研究が課題となりうると思っています。

職業倫理をどこで

 次に、環境科学に限らない話ですが、今、多くの分野で信じられないことが起こっています。ごく最近では雪印食品の牛肉の産地偽称事件、狂牛病問題をめぐる農水省官僚の不作為、病院で容易に起こる院内感染死、新幹線トンネルのコンクリート崩落事故、JCOの核燃料臨界事故などなど。長年の慣習(システム)過信や安全神話あるいはブランド神話が問題を一層深化させたものと思われます。問題を致命的段階にまで放置した社会、集団、会社等の業務システムやチェックシステムの不備が指摘されています。これも当然ですが、さらに技術者や専門家の社会的使命感、すなわち職業倫理が厳しく問い直されるべきだと思います。社会や会社、組織の肥大化や分業化が進むほど末端の専門家個々の倫理意識が希薄になることが懸念されます。社会のグローバル化、競争の激化が必至な現代、職業倫理の確立はますます重要になります。大学でも教員自身が改めて職業倫理の確認を行うだけでなく、学生にもこれを教育する必要がある時代だと思います。環境科学の対象とする分野でもビジネスや政策立案への参画の機会が増えてくると思われるだけに、今後個々の技術者、専門家の倫理性が一層問われるでしょう。職業倫理教育の第一は職場におけるOJTであると思いますが、大学教育の段階でも要所、要所で学習、訓練の場を与え、卒業時点では高い専門能力と高い倫理性を備えた学生が本学卒業生の特質と言われるようになればと思います。

受け入れ側から送る側へ

教育をめぐる外部環境も1980年代以降、めまぐるしく変化してきました。1980年代のバブル期、新卒学生は引く手あまた、青田刈りが横行し、企業は彼らを甘やかしました。今、当時のバブルっ子は企業の中堅になろうとしていますが、鍛えられていない分、苦労しています。そして、1990年代、今も続く不況による雇用不安、就職難、そのしわよせは新卒学生をも襲っています。どちらの時代にも外部環境が学生の就学モラル低下の要因になっていると思います。10年、20年先の産業等の変化、時代の動きに気を配りつつ、外部環境の変化に翻弄されることのない次代の担い手を育てることが求められていると感じます。私は大学から送り出される人材を受け入れる側から、社会に人材を送り出す側に身を置くことになりました。少々のことでは磨り減らない、消耗品ではない人材、それぞれが一隅を照らす人材を育てることが今の私の勤めと気分を新たにしています。

以上、『私の環境学』のわくをはみ出し、散漫な話になってしまいました。