「地域社会との連携」の一経験

金谷健

環境計画学科社会計画専攻

環境社会システム大講座

環境科学部、特に私が所属する環境社会計画専攻は、環境メディエ−タ(調停者)、プランナ−の養成を目的としている。したがって、地域社会で実際に生じている様々な環境問題、地域社会の人々が解決してほしい環境問題に、地域社会と連携して取り組んでいくことは、専攻の教育研究の充実につながると思う。

 私自身が「地域社会との連携」で、一番印象に残っているのは、彦根市・犬上郡の廃棄物最終処分場建設についての建設予定地地元での「処分場建設を考える会」の人々への協力(連携というより協力が実態に近いので、以下、協力とする)である。最初に話があったのは、県立大学が開学する年の3月だから、1995年3月、今から7年前である。ある先生経由で、地元の方から、「学区内で市が進める廃棄物処分場建設の計画に不安があり、市の説明も不十分なので、処分場の学習会をしたい、ついては講師をお願いしたい」という依頼がきたのだった。

 4月に入り、開学したばかりで段ボ−ル箱が積まれたままの研究室へ、依頼主のAさんがいらした。曲がったことが大嫌いな頑固だが誠実な人、というのがAさんの第一印象であった。お話を伺い、学習会講師を了解した。日時は、休日である4月15日(土)午後とした。

 必要ないかなとは思いつつ、一応、当時の学科長のB先生には、学習会開催前に事情説明メモを渡した。講師了解にあたり、休日なので特に大学への連絡・許可は不要と考えたこと。私個人としては、時間の許す限りこうした依頼は引き受けるのが研究者として、県立大学の教員としての責務と考えていること。さらには環境社会計画専攻の教員としての自分には、環境問題の現実を知る上で積極的意義を認めていること。こうしたことを、メモに書いてお渡しした(現在でもこの考えは同じだが、現在は家庭の事情で平日夜や休日は家にいなくてはならず、こうした協力が困難になっているのは、とても残念かつ地域社会に申し訳ないと思う)。B先生からは、「自分の責任で自由にやりなさい」と言われたように記憶している。とても暖かい言い方であった。

 地元公民館で開催された学習会には地元の多くの方がいらした。具体的には、95年1月付けの「処分場事業計画および環境影響調査の概要」の内容説明を行った。私の立場は、「処分場建設に賛成でも反対でもありません。ただ、私が知っていることは、何でも話しますし、時間の許す範囲で協力します。」というものだと、地元の方には説明した。

 その後、市から地元へ出された処分場建設に関するいくつかの文書にも、依頼に応じてコメントメモを作成して渡した。市との交渉の参考にされたと思う。地元と市との交渉の中で、重金属除去設備や導電率計の設置などが新たに決まり、運動の成果だと考えた。

 県立大学の学生の中にも、この処分場建設問題に興味を持つ者が一人二人と出てきた。そして翌年(96年)の湖風祭では、「ゴミの逆襲」というテ−マでのシンポジウムが「ゴミ問題を考える実行委員会」に学生の環境サ−クルが協力する形で開催され、処分場建設問題も報告・議論された。準備から打ち上げまで、地域住民と大学学生とが一体となって行った。学生にとって得るものがいろいろとあったのではと思う。

 「処分場を考える会」の人々にとっては残念なことに、処分場は予定よりは遅れたものの、建設された。そして98年9月から操業開始して現在にいたっている。それでは「処分場を考える会」の運動は無意味だったのであろうか? そんなことはない。運動があったからこそ、前述のように公害防止設備の充実がなされた。また搬入ゴミの内容チェックも以前の処分場(荒神山ふもと)よりも格段と厳しくなされている。これは両方の処分場を見学しての実感である。環境FW1の私の担当の際、1回生はこの新しい処分場を見学し、市の担当者の話を伺う。そしてその後で、「処分場を考える会」の方からも話を伺う。これまでの経緯や、今でも処分場の監視活動をしていることなどの話である。学生は、市の担当者の話と「処分場を考える会」の方の話の共通点・相違点などを比較することで、環境問題をより深く理解できるのではと考えている。

 以上、地域社会の構成体間が対立(市と地元住民)した際に、その一方に協力(連携)した経験を紹介した。何らかの参考になれば幸いである。