私の環境学----環境学についての妄想と今後の展望

入江 俊一

生物資源管理学科

生物資源生産大講座

1. 環境学の構造と私の立場

 環境学の定義については様々な議論があり、私のような者が簡単に論じられる類のものでも無いのでしょうが、この機会に私見を記させていただきます。おおよそ環境学は2段階に分けられるような気がします。人間と周囲の対象との関わりを考察して問題点を導き出す段階と問題点を解決するための方法を導き出す段階です。厳密には後者は環境学の領域ではないのかもしれませんが、環境学も人間への貢献を目的としている以上は必要不可欠な帰結でしょう。私の場合も後者に従事していると考えています。もちろん、両段階は厳密に分けられるものではなく、お互いのフィードバックで成り立っている関係なのでしょう。しかしながら、自分を振り返ると、果たして他人が見たら環境科学部の人間と見てくれるのだろうかと疑問に思うことがあります。当然、私も環境に関連した研究をすることを目的としているのですが、その手段として実際に行っているのは主として微生物の分子生物学的研究ですから・・・。どのような応用学問も多様な専門家が有機的に結びついて一つの分野を形成しているものですが、私がそのような不安を覚えるのは私自身の「環境学」に対する見解が十分には固まっていないからかもしれません。いやいや、環境科学部の教員たるもの、そのような体たらくではいけませんね・・・。しかしながら、考えて簡単に答えがでるはずもありませんし、無理にそうするべきでもないのかもしれません。私の今後の課題としたいと思います。

2. 環境問題に対する私の見解

 前項で私の環境学は固まっていない旨を記しましたが、それだけで終わらせるのは読んでいただいている方々に失礼ですので、現時点での私の環境問題と環境学との関係に関する一応の見解を簡単に示します。

 一昔前に比べて科学技術と自然環境が敵対するかのような論調はあまり見られなくなりましたが、人間を置き去りにした自然環境保護論については未だに多く見受けられるように思います。私は、自然環境を守らなくては結果として人間の生活に支障がでるから環境保護は必要なのだと考えていますが、ある団体、個人などは環境問題と動物愛護等を混同しているようです。勿論、動物愛護やありのままの自然を尊ぶ心は重要なのですが、環境学自体はこれらと一線を画する必要があると思います。他の学問と同様に環境学の目的も人類への貢献ですので、その意味で工学、医学、農学などと何ら変わりは無いと考えています。いうなれば、より上手に安全性と利便性を兼ね備えた社会を実現するのが環境学の目的だと考えています。

3. きのこの超能力と研究の現状

 滋賀県立大学に来るまでに大学や会社で私はきのこ(担子菌)についての分子生物学的研究に携わってきました。ここでは実験材料としてのきのこの魅力について論じたいと思います。

 カビがその形態の一つとして形成する子実体の中で肉眼により確認することができるものを我々は「きのこ」と呼んでいます。きのこには子嚢菌に分類されるものと担子菌に分類されるものがありますが、シイタケのような一般に考えられているきのこらしい形をしたきのこはほとんどが担子菌です。ここではでは特に担子菌のきのこについて論じます。きのこは急に樹木等から現れるわけではなく、長い期間カビとして、例えば木やその周辺の土中に生息しています。森のきのこについて見ると、樹木を枯らしてしまうものもありますが、一般にきのこは樹木と共生し、保水力などを高め、森全体を豊かにしていると考えられています。また、きのこは死んでしまった木を分解することができます。

 木は建材に使われるほど丈夫で腐りにくく、場合によっては何百年もその形を保ちます。木質は主にセルロース、ヘミセルロース、リグニンから構成されていますが、リグニンを単独で完全に分解できる生物はきのこだけしか発見されていません。きのこは生木を守り、死木を分解することで森の新陳代謝を維持しているのです。

 ここでリグニンについて少し解説します。リグニンはフェニルプロパンを基本構造として、ランダムにラジカル重合した難分解性の高分子化合物です。様々な結合様式で基本構造を色々な方向につないでおり、とても単一の反応では生分解できそうもない全体構造になっています。なぜならリグニンの分解過程では大きさから形態まで、様々な分子が生じると思われ、それら全てに対応する必要があるからです。事実、きのこによるリグニンの分解には様々な酵素が関わっていると考えられており、個々のリグニン分解酵素自体も多様な基質に対応する仕組みを持っています。きのこは自分の持つ道具を駆使してリグニンを分解するわけです。このきのこが行う強力な芳香族化合物分解反応における基質特異性の低さは、色々な物質分解へ適応の可能性を示しています。近年、これを利用したきのこによるダイオキシン類や硫化ゴムなどの環境に大きく影響を与える人工的な難分解性物質の分解が注視されています。

 このようにきのこは利用性の高い多様な性質を持っていますが、それらの詳しい仕組みについてはほとんど解析されていません。同じ菌類でも、細菌である大腸菌や子嚢菌である酵母などはモデル生物として古くから解析が進んでいましたが、担子菌については一部の植物病原性菌を除いて解析が著しく遅れている状態です。特に、私が研究に関わった当時、きのこの遺伝子的な解析結果は皆無といって良い状態でした。私はヒラタケ(Pleurotus ostreatus)を研究対象にしており、ヒラタケにおける難分解性芳香化合物分解機構の遺伝子的解析と遺伝子導入による改良を目的としていましたが、まずはヒラタケにおける遺伝子工学的実験手法の開発から行わねばなりませんでした。結果として、ヒラタケの実用レベルのヒラタケ高効率形質転換系を開発し、それを用いたリグニン分解酵素遺伝子の解析を行うに至りました。同時期にほかのグループでもきのこの遺伝子工学に関する重要な発明、発見がなされ、ようやく実験手段がそろい始めてきたように思います。


4. 今後の抱負

 近年、アメリカ合衆国のDOE Joint Genome Institute (JGI)におけるWhite Rot Genome Projectとして担子菌類であり、シイタケやヒラタケと同じくリグニンを効率的に分解できる白色腐朽菌であるPhanerochaete chrysosporiumの全ゲノム解析が行われています。現段階で、ほぼ解析が終了しているようです。P. chrysosporiumはリグニン分解菌としては世界で最も広く研究されている材料です。しかし、糸状菌中のモデル生物の一つとしては特に注目されている存在ではありませんでした。もっとも、環境浄化への利用を見込まれて近年注目を集めてきたところではありましたが、全ゲノム解析のような大規模な実験を簡単に行うことが出来るところに我が国と彼の国との基礎科学に対する姿勢に大きな違いを感じてしまいます。ともあれ、今後はこのような遺伝子解析データを用いたリグニンなどの難分解性物質の生分解に関する仕組みの解析が飛躍的に進んでいくと思われます。私自身も、これらの解析データを参考にしつつ、自分の経験を生かしながら今後ともきのこの性質解析を分子生物学的な立場から進めていくつもりです。また、ほかの材料にも積極的に挑戦していきたいと考えています。