大学の地域貢献・私見

林昭男

環境計画学科環境・建築デザイン専攻

環境計画大講座

 大学そのもののあり方が根底から問われている今日、大学と地域のあり方を問うことは、大学について理念的に考えるばかりでなく、実際的に考えるために避けて通れない問いかけである。とりわけ、地方の大学にとってはきわめて重要なことである。そこで私は、滋賀県立大学に在職してきたこの7年間を振りかえって、大学の地域貢献のあり方や、その可能性などについて考えてみたい。 

多様な貢献の「かたち」

 社会に対する大学の活動について考察するとき、まず2つのことに気づく。そのひとつは、大学の総体としての活動であり、他は大学の構成員(教職員・学生)の個人としての活動である。より詳しくいえば、前者は大学の年間スケジュールにもとづくさまざまな活動(講座の公開・移動講座・セミナーなど地域の人びとを対象に行なわれるもの)であり、後者は、大学の構成員の一人として地域の活動への協力(自治体の委員会委員・審査員など学識経験者として参加)などがある。これらは、大学として地域に貢献する一般的な・ ・ ・かたちである。私の場合、前者に属する活動として、講座を公開したことがあり、後者に属する活動として、環境影響評価委員会・福祉のまちづくり委員会・滋賀21会館審査委員会(滋賀県)・新エネルギービジョン策定委員会(新旭町・米原町)・美しいまちづくり条令策定委員会・統合幼稚園プロポーザル審査会(山東町)・ひこねルネッサンス賞選考委員会(彦根市)などを経験している。これらは、いわゆる学識経験者としての活動である。しかし、これらは私自身についていえば、受動的なものであり、能動的なものとしては「エコ村ネットワーキング」への参加があり、また、環境フィールドワークで継続的にかかわっている守山での「環境負荷の少ない地域づくり」を通じて自治体や市民生活の改善へとつながっていくことの可能性を期待している。さらに、私的なレベルにまで言及すれば、私は単身居住しているブリヂストン・アパート3号棟の自治会長を2年にわたって勤めている。普段、余りかかわりのない地域での暮らしについて、自治会活動を通じてその複雑な様相を認識している。そこでは、何気ない個人の暮らしの背後で、地域の暮らしを維持していくために活動している人たちがいることを知らされる。地域の祭り、敬老会、運動会、赤い羽根募金など改善の必要がある行事もあるけれども、そうしたことが地域の暮らしの暦のなかにあることも事実である。このことは、大学の社会的貢献とは直接関係ないように思われるが、他者は私を滋賀県立大学の教員として認識しているので、これもまた決して軽視できない場面である。大学の地域貢献というテーマのなかで、私は大学の構成員としての自分の存在を見つめるところから考えてみたのだが、つまるところ大学の地域貢献に関してはさまざまな「かたち」のあることを認識すべきである。 

何が大切か

 大学の地域貢献というテーマに関して、私は2つの側面から考えてみた。そのひとつは、総体としての大学の活動であり、他は、大学の構成員としての個人的活動についてである。この2つは密接に関連していることではあるが、地域貢献のあり方を考えてみるとき、組織と個人の活動を分離しておく方が、問題を明確にとらえ、また可能性などを論じることも容易に思われる。そこで気付くことは大学においては活動に関する「企画」の重要性であり、個人的貢献においては、「資質の向上」に努めることの大切さである。大学が地域に向ってかかわっていくためには、常に地域の課題への鋭い洞察力が必要であり、この問題解決のために大学のもつ構成員の知と力を結集せねばならない。そこでは、組織で考えることが重要な役割を果すと考えられる。滋賀県立大学にそうした仕組みがあるだろうか。そして、何よりも大切なことは、個人の「資質の向上」である。組織は一人ひとりの資質によって構成されていることは改めて言うまでもない。大学の地域貢献は、優れた個人の資質の絶えざる向上とそれらを結び合せ、社会に提言して行く「企画」の適切さのなかに私は未来をみている。