地域社会との連携

福本和正

環境計画学科環境・建築デザイン専攻

環境計画大講座

 私が県立短期大学の建築学科の助教授として赴任したのは、1981(昭和56)年4月1日で、この年の6月1日に施行されたのが、いわゆる「新耐震設計法」であった。この1〜2年前から耐震規定が厳しくなると、建築業界では取り沙汰されていたので、滋賀県立の教育・研究機関に奉職する限り、この新規準に関連して滋賀県内の地盤から建築物について調べ、何らかの意味で滋賀県にお役に立ちたいと考えて着任した。新設計法の内容の検討を構造のゼミを選択した数人の学生と共に進めると同時に、この設計法では建築物の建つ地盤の種別が先ず必要なので、既存の地盤ボーリングデータを使って県内の地盤の種別を2〜3年がかりで調べ、概要を把握することができた。この時得られた成果は、その後講義はもちろん、種々の講演会や学会等で披露してきている。

 その内に災害時の公的避難場所となる県関係の事務所や病院、学校の耐震診断の相談があり、卒業研究の一端として始めた。大部分が鉄筋コンクリート造で、ほとんどの建物が、南面の窓を大きくとり過ぎているため、東西の長辺方向の壁量不足で耐震性が不足していることがわかり、驚いた。このままでは危険なので、壁の増強の必要性を学内紀要や県の防災会議、学会で発表した。一般に学内紀要は査読がないので文部省の設置審等でも無視していると思うが、県立図書館をはじめ県内関連機関で閲覧されているので、県内の関係者には伝わっているように窺がえた。

 木造軸組み構法の住宅の耐震性についても調べてみると、当時は壁量の規定しかなく、これで検討すると、滋賀県に多い田の字形間取りの住宅では、壁量が不足し、何らかの壁の補強が必要なことがわかった。これらは2〜3年がかりで、卒業研究としても実施し、概要が把握できた。結果を学内紀要や日本建築学会、日本地震工学シンポジウムで発表したのが、「三陸はるか沖地震(1994年)」、「1995年兵庫県南部地震」の起こる直前であった。

 上記の2地震で見た被災地の状景は、それまで実施してきた既存建物の耐震性の検討で理解できるものであり、耐震補強の必要性を、できるだけ多くの人に、早急に徹底することが必要であると痛感した。これらの震災2〜3年前にも、学内の環境科学研究所の定期研究発表会と、それに先立つ記者会見でも発表しているが、残念ながら記者はあまり関心を示さず、「扇動しなさんな」と、反発を示す記者もいた。しかし、兵庫県南部地震の発生した直後から、記者の取材もあり、1〜2ヶ月の間に労働災害の研修会や消防職団員最高幹部研修会で、災害調査結果とその原因等について講演する機会があった。幸い、兵庫県南部地震以後、「建築物の耐震改修の促進に関する法律」ができた。各府県で建築士事務所協会を事務局として学校建築の耐震診断判定委員会が発足し、本学からも藤原先生と私が参加して既に200件の判定を済ませている。

 兵庫県南部地震の年に発足した本学環境科学部で学生も教員も必修になった環境フィールドワークでは、この種の建物を見て回ることもテーマの一つとしていろいろ調べてきている。本学周辺にも4間取り木造住宅の例は多く、ひじょうに参考になる。この時、見学の窓口になっていただいた地元の人からは、同じ八坂町内にある寺の柱の傾斜の問題から、寺の安全性について相談があり、全力で応じている。平成12年度から、建築基準法の改正により、確認申請業務が従来の役所だけではなく、各府県に設立された第3者機関も担当できるようになり、県内に設立された住宅センターの理事も委嘱され、引受けている。

 上記のように、滋賀県の関連団体が、国・県の施策により新しい事業や委員会を立ち上げる場合に、本学教員との連携を希望されている。その期待と信頼に答え得るように、日頃から研鑚に勤めねばならないと、気を引き締めている。