赤野井プロジェクトの成立

秋山道雄

環境計画学科社会計画専攻

環境政治経済大講座

1.研究と教育をつなぐ

 環境科学部で地域社会との連携というと、具体例の一つにフィールドワークがあがってくる。ここでは、私が現在担当しているフィールドワークでの経験を通して、この主題を考えてみたい。

 環境フィールドワークIIで、赤野井湾集水域を対象として、「環境負荷の少ない地域づくり」というテーマのもとにFWを始めたのは、1997年4月のことである。当時は、大学創設の3年目、FWIIの実行は2年目を迎えた時期に当たっていた。

 こうした対象に、こうしたテーマでアプローチする背景は、前年に芽生えていた。1996年に、県のエコライフ推進課が事務局となって、「豊穣の郷・碧い琵琶湖創造作戦」が構想された。これは、1996年4月から2001年3月までの5年間で、関係者が赤野井湾およびその集水域の現状を調査して問題点を把握し、改善策や生活のあり方などを提言するのを目的としていた。それを実行する主体として編成されたのが、「豊穣の郷・赤野井湾流域協議会」であった。

 協議会は、1996年9月に設立された。この時、当時の日高学長が顧問に就任されたのが機縁で、県立大学でも関わることはできないかという模索があり、その結果、FWIIの一つとして立ち上げることになったのが発端である。この協議会は、関係地域の住民、自治会、各種関係団体、企業等をもって構成すると規約に謳っているが、主体は関係地域の住民であった。その後の5年間におけるこの協議会の活動について、ここでは詳述しないが、当初の構想をこえた活発な活動となっていった。会員が中心となって、水質、生物、土地利用等の調査が進み、その成果は2冊の冊子にまとめられている。

 FWIIでは、坂本充(環境生態)、林昭男(建築デザイン)、金木亮一(生物資源)、迫田正美(建築デザイン)、轟慎一(建築デザイン)という5名の方々と私(社会計画)で、Bチーム(環境負荷の少ない地域づくり)を編成した。4学科・専攻を横断的に結んだチームを編成できて、環境科学部の特性を生かすことが可能となった。また、3回生に対しては、後期にFWIIIを実施しているが、1997年度後期のFWIIIでも同じテーマ、同じメンバーでチームを編成し、フィールドワークを継続していくことにした。

 フィールドワークでは、初日のオリエンテーションにおいてこのチームの目的や方法、対象地域について説明をする。その後、各期2回バスによるエクスカーションを実施して、赤野井湾集水域の重要な地点を見て回る。その間、第二代目のFWからは、先輩たちの書いたレポートを読んで、当チームの主題や対象地域の課題を探るという過程をたどる。こうして、学生各々のやりたいテーマが決まったところで、そのテーマに近い学生の班を編成する。以後は、この班ごとにフィールドワークを進めていくことになる。学生が、赤野井湾集水域の関係住民と接するのは、主としてこれ以降である。

 すでに、FWIIで5集、FWIIIで4集のレポートがまとまっている。学生がとりあげた課題は多岐にわたるが、フィールドワークの過程で地域の人々と接した様が、課題の特性をにじませつつレポートに反映されている。レポートを最終的にまとめる前に、中間報告を行なって進捗状況を点検するので、ヒアリングの不十分な場合にはそれを指摘し、どこへ聞きにいけば良いのかを具体的に示すこともある。ときには、教員が予想していなかった人に話を聞いて、新しい発見に結びつけた班もあった。これは、フィールドワークをする意義を自ら感得したことになる。

 継続的にフィールドワークを進めていく過程で、いつしかこのFWを赤野井プロジェクトと呼ぶようになった。同じ地域を、同じテーマによって調査していると、資料や知見が蓄積されてくる。こうした蓄積をもとに次のメンバーが課題を探索すると、認識はより深まるであろうというのがこうした方式を採用した当初の目的であった。ところが実際にやってみると、学生のみならず教員もまた認識を新たにするようなミニ発見に至るケースが一再ならずあった。それが、このフィールドワークをひとつのプロジェクトと意識させるに至った背景であろう。

 5年の歳月が過ぎ、昨年3月には予定の実施期間が終わった。FWの方はこの日程に規定されるものではないが、担当教員の退職等が発生して、転機を迎えていることでは同じかもしれない。FWのさまざまな局面でお世話になった赤野井湾集水域の方々に、FWの成果をどうお伝えできるか、思案のただ中にある。