寄生生物研究から保全へ

浦部美佐子

環境生態学科

私は本来,生物そのものに関心があり,普遍よりは個別の問題に興味を持っている。私が現在研究対象にしているのは淡水生物にいる寄生生物である。寄生生物は多種多様で,一説によると生物種の半数以上は寄生性だとされているほどであるが,まだ,分類学や生活史といった基本事項すら未知の部分が多い。今まで誰も知らなかった新種の生物を発見し,そのライフサイクルを一つ一つ確定していくのは,ナチュラリストとして大きな楽しみである。

寄生生物は,(特に日本の)生態学分野では,近年までほとんど取り扱われることのなかった生物である。それは故のないことではなく,寄生虫は,宿主を殺さずに栄養を摂取するため,自分の体を小さくし,外部への影響をできるだけ軽減する方向に進化してきた生物である。一部に病原性を有する種類がいるものの,全体的には,生態系全体のダイナミクスへ影響を与えることは少なく,いわば影薄く生きている生物であり,生態系を動かす駆動力ではない。それでは,寄生虫を通して見えてくる環境問題とはいったい何なのだろうか。

その一つは,生態系の指標としての可能性である。寄生虫は,それ自身が生物多様性の大きな割合を占めているが,同時に,寄生虫の多くは,一生に複数種の生物を宿主として利用するという生活環を持っている。従って,一種の寄生虫の生存には,複数種からなる決まった生物群集が必要である。さらに,寄生虫がある宿主から別の宿主へと移動するには,食物連鎖など,宿主生物間のかかわり合いに便乗して行われることが多い。寄生虫が利用するような生物間相互作用は,少なくとも数万年の進化的なタイムスケールにわたって安定しているはずであり,ある意味一つの典型といってよい。したがって,寄生虫は生態系の指標となりうるのである。

しかし,寄生虫が生態系のどのような要因を指標するのかを明らかにするのはなかなか大変である。たとえば,「水質」という1 つの環境要因の指標として,淡水域では底生生物が広く使用されている。しかし,底生生物でさえ,指標種のそれぞれが生息できる水質のデータが整備されているわけではないのが現状である。況んや寄生虫においては,そのような生態学的データは,本邦では皆無に等しい。私は,今までの予備的な研究で,(1) 河川の富栄養化と,魚類寄生虫の種組成にはおおまかな相関があり,富栄養化の進んだ河川ほど,水域だけで生活環を完結する種が少なく,最終環境生態学科的に鳥などに食べられることによって陸上生態系へ移行する種が多いこと,(2) 自由生活期の寄生虫(宿主から別の宿主へ移動する段階)では、種類によって水質に対して鋭敏に反応するものがあること等を示してきた。寄生虫の種数も,検討すべき環境要因も多いため,まだ断片的ではあるが,いずれ,特定の環境条件とそこに見られる寄生虫,ひいてはその生活環を支える陸水生物群集について,まとまった見解を示したいと考えている。

ただし、琵琶湖は、ほかの水系とは違う独自の問題を持っている。それは、琵琶湖が,日本の淡水では他にない沖合生態系を有することと、多くの固有種が生息することである。寄生虫に関して言えば、琵琶湖内部での固有種率は低く(今の段階で5種が固有と考えられている)、そのほとんどが沖合生態系で生活環を成立させている。沿岸域では,貝類や魚類では多数の固有種が分化しているが,寄生虫の方は宿主の多様性に見合った分化は遂げていない。このことは,寄生虫の生活環の成立には,単純な宿主生物の種数の多さより,生態系の空間的な独自性が重要であることを暗示している。

寄生虫が生態学の対象になりにくかったもう一つの理由は,言うまでもなく人間や家畜の病原体として駆除され続けてきたことにある。寄生虫の撲滅のため,それを媒介する宿主生物の駆除がもっとも有効であるとされ,殺虫剤や殺貝剤が撒かれ,生息場所は徹底的に改変された。日本住血吸虫症は,治療法が確立していなかった頃は多くの人を死亡させた病気であるが,宿主のカタヤマガイが住み着けない三面コンクリートの用水路が奨励され,あるいは水田を乾かして畑や住宅地に切り替えた。現在,日本住血吸虫は日本国内から絶滅し(海外ではまだ残存している),カタヤマガイは絶滅危惧1A 類に指定されている。

このように人間によって積極的に駆逐された寄生虫ばかりでなく,現在,絶滅の危機にある,またはすでに絶滅してしまった寄生虫の数は少なくないと思われる。言うまでもなく,宿主生物が絶滅すれば寄生虫も終わりである。それのみならず,一種の寄生虫が生存するには,その背後に複数の宿主生物の存在と,その正常な種間関係(捕食? 被食など)の存在が必要であり,その関係の一ヶ所でも崩れれば,寄生虫は絶滅する。そのため,宿主生物が完全に絶滅しなくても,個体群が極端に縮小したり,人工飼育・繁殖下に置かれるなどの不自然な状況になれば,寄生生物は絶滅する危険性が非常に高い。ところが、日本には何種の寄生虫がいるのかさえわかっておらず,だれにも知られないまま絶滅した種もおそらくあるだろう。琵琶湖は日本で最も生物相がよく把握されている淡水域であるが、寄生虫相の研究は10 年前に琵琶湖博物館を中心にスタートしたばかりであり、まだ時間がかかりそうな状況である。 

昨年,私は共同研究者とともに,寄生生物保全ネットワーク(Parasite Conservation Network) というものを立ち上げた。現在,国内で絶滅の危機にある脊椎動物からの記録がある寄生生物のリスト作成が進行中である。寄生虫を保全することはその宿主を保全することであり,さらにその属する生態系そのものを保全することとほぼ同義であるため,その意義は大きいと思うが,同時に,必ずしも人間にとっては「優しくない」生物多様性とどのように関わっていくかを問う一つの問題提起であるとも思う。トキやコウノトリを野生に復帰する取り組みはなされているが,日本住血吸虫を野生に帰せという人はいるだろうか。環境問題とは、結局のところ「私たちはどういう生活が欲しいのか」という人間の価値観に帰着する問題であるが、寄生虫を保全すべき価値のあるものとして認めるかどうかは,その根本に関わってくる課題である。