環境こだわり農産物と環境農業直接支払い制度の創設のとりくみ

富岡昌雄

増田佳昭

須戸幹

生物資源管理学科

滋賀県環境こだわり農業関係年表

1.はじめに

滋賀県では減農薬減化学肥料等一定の栽培基準を満たして生産された農産物を「滋賀県環境こだわり農産物」として認証し、所定の認証マークを表示して販売することを認めている(環境こだわり農産物認証制度)。また、同様の栽培方法で生産する協定を知事と締結した生産者に、県単独で助成金を交付している(環境農業直接支払い交付金)。この施策は、減農薬減化学肥料に加えて、琵琶湖等環境への負荷軽減技術の採用を認証・協定締結の要件としていること、および 、国に先駆けて、いち早く環境農業直接支払を導入していることの二点において、わが国では先進的である。

これらの施策の展開に際して、環境科学部教員が少なからぬ関与をしてきている。富岡は2000 年7 月以来、3 期にわたって湖国農政懇話会の会長を務めている。須戸は2002 年7 月以来、2 期連続で湖国農政懇話会委員の職にある。「湖国農政懇話会」とは滋賀県農政水産部に設けられた機関で、県の農業政策のあり方に対して、知事の求めに応じて意見を述べることを任務としている。また、増田は環境こだわり農産物認証制度を作る過程で、専門家として制度設計に深く関わった。この3 名は、滋賀県環境こだわり農業推進条例に基づいて2003 年6 月に設置された環境こだわり農業審議会の委員でもある(富岡は会長)。湖国農政懇話会・環境こだわり農業審議会とも、委員は職域・団体代表と公募委員とからなり、任期は2年である。

本稿は環境科学部教員が滋賀県環境こだわり農業推進施策の創設・推進に対してどのように関わったか、環境こだわり農業推進施策に関わることによって環境科学部での研究・教育にどのような影響がもたらされたか(3.〜5.)を報告するものである。それに先だって、まず、環境こだわり農業推進施策の展開過程を簡単に跡づける(2.年表参照)。

2.滋賀県環境こだわり農業推進施策の展開

農業環境政策に限らず、滋賀県の環境政策の画期をなすのは、武村正義知事の下での琵琶湖富栄養化防止条例の制定(1979 年)である。この条例を受けて、翌1980 年に県農林部は「クリーン&リサイクリング農業」と題する農業排水対策の指針をとりまとめ、推進した1)。これは「新施肥基準」の導入、側条施肥田植機の普及、農業排水浄化施設整備事業の導入など、いくつかの成果を上げたが、汚染物質削減の要求に応えるには十分なものではなかった2)。

1997 年3 月、稲葉稔知事の下で、それまで「航空防除は必要である」、という姿勢を堅持してきた滋賀県が突然、市町村に対して、「航空防除から地上防除への転換」を要請した。この結果、1997 年を最後に、有人ヘリコプターによる水稲の航空防除は滋賀県から姿を消した。滋賀県農政の環境重視への転換を物語る象徴的な出来事であった3)。

2001 年3 月、國松善次知事の下で、県は『しがの農林水産ビジョン』を策定した。これは2010 年度を目標年次とする農林水産部門の基本計画である。この中で、環境にこだわった農業を展開するために、「しがエコ農業」を推進することが宣言された。「しがエコ農業」とは、「化学的に合成された農薬や肥料の使用量を削減し、地域で発生する有用な有機性資源を循環利用することにより、琵琶湖等の水質保全や生態系の保全を図る持続可能な農業のスタイル」をいう4)。この「しがエコ農業」という用語が、後に「環境こだわり農業」に変えられた。『しがの農林水産ビジョン』には、環境にこだわった農業経営を確立するために、環境こだわり農産物認証制度を創設すること、および、しがエコ農業に対する直接支払い制度の創設をめざすことが盛り込まれた。

「環境こだわり農産物認証制度」は、2001 年度から早速始まった。「環境こだわり農産物」とは化学肥料・農薬の使用量を慣行の50%以下に抑えるのに加えて、たとえば代かき・田植時に濁水をみだりに流さないなど、琵琶湖等環境への負荷を削減する技術で生産されたものである。対象作物・作型ごとに、許容される化学肥料・化学合成農薬使用量・使用回数の上限(慣行の1/2)が示されるとともに、化学肥料・化学合成農薬削減技術と琵琶湖等環境負荷削減技術が列挙された。認証をうけるためには事前に生産計画の認定を受けなければならない。収穫前に生産状況の確認を受けた上で、認証マークの使用が許可される。これは消費者に環境こだわり農業への支援を求めるものであった。

しかしながら、「環境こだわり農産物」は思ったほど有利販売できるものではないことが次第に明らかになっていった。そこで県は、湖国農政懇話会に対していて、「環境こだわり農業に取り組む農業者への支援策等でより実効性のある施策として、新たな制度やしくみが必要と考えられるが、意見はどうか」、と諮問した(2001 年7 月)。

この諮問に対する最終的な答申が出されたのは、2002 年11 月であった。答申には、環境こだわり農業の推進を前面に出した条例を制定すべきこと、環境こだわり農産物認証制度を条例に基づいた制度にするとともに、環境こだわり農業推進のため、国に先駆けてでも、環境農業直接支払制度を条例に位置付けて実施すべきことが盛り込まれていた。この原案が記者発表されると、各紙は、わが国で初めての環境農業直接支払の導入と、一斉に書き立てた。このような経過を経て、環境こだわり農業推進条例が制定された(2003 年3 月20 日公布、4 月1 日施行)。 環境こだわり農業推進条例の規定に基づいて、2003 年6 月20 日に滋賀県環境こだわり農業審議会が発足し、直接支払制度の内容が固められた。県と「環境こだわり農業実施協定」を締結した農業者には、たとえば水稲作の場合、10 a当り5,000 円の交付金が交付されるとともに、環境こだわり農産物の認証マークを付して販売することが認められる。2004 年1 月に環境こだわり農業実施協定の申請が受け付けられ、2405.8ha の申請があった。これは2003 年度の環境こだわり農産物認証申請面積224.8ha のほぼ2 倍であった。2005 年度には、年度当初での申請面積は4265.2ha と、さらに倍増した。

2005 年3 月にとりまとめられた「食料・農業・農村基本計画」において、農林水産省は2007 年度から農業環境直接支払制度を導入する意向を明らかにした。これは滋賀県環境こだわり農業推進施策を支援するような施策を、滋賀県などの強い要請を受けて導入するものである。滋賀県の先進的な施策が国の施策をも動かしつつある例である。

3.環境こだわり農産物認証制度の発足と運用に関わって

増田は環境こだわり農産物認証制度の制度設計の段階から、事業の発足に関わってきた。

環境こだわり農産物認証制度は2001 年度に発足したが、その検討は「近江こだわり農産物発信事業」として、1999 年8 月に開始された。その背景には、1999 年のJAS法改正によって有機農産物の認証制度が導入され、有機農産物について国が認可した認証機関による認証制度が発足したことがある。都道府県においては、減農薬・減化学肥料などの特別栽培農産物について、独自の認証制度創設の動きがあった。

滋賀県でも、それまで「クリーン・アンド・リサイクリング農業」に取り組んできた経過を踏まえ、「滋賀ならではの『近江こだわり農産物』の生産振興と販売の促進」を目的に、「近江こだわり農産物発信事業」が取り組まれた。同事業は環境調和型農業技術を採用した農産物の認定制度づくり、生産技術の総合実証等を行うもので、事業推進機関として「近江こだわり農産物発信事業推進委員会」が設置された。第1回委員会が1999 年8 月に開催され、委員会会長として増田が選出された。

委員会は、その後7回開催して認証制度のあり方を検討し、あわせて「食と農を考えるフォーラム」(2000 年1 月)、「『近江こだわり農産物』フォーラム」(2000 年11 月)を開催して、県民への普及を図った。

おりしも、2000 年11 月に「しがの農林水産ビジョン(概要版)」がとりまとめられ、滋賀県農政が環境保全に大きく舵を取ることとなった。それと対応する形で、2001 年3 月には制度の名称が「環境こだわり農産物認証制度」に変更され、2001 年度に制度発足をみた。他県の制度と比べて、農薬及び化学肥料の削減という「安全軸」にだけでなく、琵琶湖及びその周辺環境への負荷削減という「環境軸」を明示的に組み込んだ認証基準となった点に、本県認証制度の先進性があるといえる。また、認証マーク選定にかかる選考委員会が設置されたが、増田はその委員長も務めた。

制度の運用にあたって、「滋賀県環境こだわり農産物審査委員会」が設置され、増田が審査委員長を担当した。同委員会は2001 年度から2002 年度の2年間にわたって認証制度にかかる審査を行ったが、環境こだわり農業推進条例に基づいて2003 年度に発足した「環境こだわり農業審議会」にその役割を譲ることとなった。

4.湖国農政懇話会および滋賀県環境こだわり農業審議会の会長を務めて

富岡は、この間、湖国農政懇話会および滋賀県環境こだわり農業審議会の会長を務めてきた。

第7 期湖国農政懇話会の最初の課題は、2010 年度を目標年次とする新しい農林水産部門の基本計画を策定することであった(ただし、農政懇話会では農業部門だけを扱う)。富岡が会長職を引き受けたとき、新しい基本計画の骨格はほぼ固まっていた(前任の会長は小池恒男環境科学部教授)。したがって、新しい基本計画『しがの農林水産ビジョン』の内容に関しては、富岡はほとんど関わっていない。

『しがの農林水産ビジョン』策定作業がほぼ最終段階を迎えた2001 年3 月はじめ、滋賀県公館において、「環境こだわり農業への挑戦」と題する座談会が開催された。出席者は平和堂社長の夏原平和氏、湖国農政懇話会の生産者代表委員である西村久子氏、國松善次知事、それに富岡である。富岡は湖国農政懇話会会長として、この座談会の司会を仰せつかった。「しがエコ農業」の宣伝マンの役割を担わされたわけである。座談会の模様は『滋賀の経済と社会』2001 春季号に収められている5)。この座談会の締めくくりで、富岡は、(「しがエコ農業」は)「これからのわが国の農業がすすむべき方向を、琵琶湖を抱える滋賀県から全国に向けて発信する」ものと意義づけている。

『しがの農林水産ビジョン』が策定され、それをうけて環境こだわり農産物認証制度が発足したが、この過程で、取り残された問題が二つあった。しがエコ農業の推進に向けた条例の制定と環境農業直接支払制度の導入がそれである。県農政水産部の意向は早期の条例制定であった。しかし、懇話会は2000 年度中に条例制定を求める提言をとりまとめることはできなかった。2001 年7 月の知事諮問はその督促であった。懇話会において、生産者団体代表委員は条例の制定に対して消極的であった。環境こだわりを中心においた条例の制定は農業にさらなる規制をかけるものになると懸念したようである。湖国農政懇話会が主催した県民公聴会でも、条例の制定について前向きの意見は少なかった。一方、消費者は、「農薬使用量を減らす」という県の政策を熱烈に支持した。条例制定についての議論が盛り上がらないのをうけて、この点については継続審議とすることを前提に、2001 年度内に中間提言として諮問に対する答申をとりまとめることとなった。

この間の懇話会で集中的に議論したことに、直接支払制度導入の是非がある。直接支払制度については、消費者委員を含めて、ほぼ全員がその必要を認め、あるいは是認した。県民公聴会においても、環境こだわり農業への転換に必要な費用の一部を税金で負担することについて、理解を示す意見が見られた。しかし、農業者委員の一人が以前から補助金に強く反対していた。この委員はすでに除草剤以外には農薬を使わずに水稲を生産している。補助金をもらうと農業者はコスト削減努力を怠るようになり、農業を弱体化させる、という意見であった。この点については、多数意見として、直接支払のような制度は必要である、ただし、農業者の創意工夫努力や経営者意識などを損なわないような形で導入しなければならない、ととりまとめた。事務局からは、「懇話会としての意見をとりまとめる必要はない」、といわれていたので、これは異例のことであったが、富岡は直接支払いの導入がこの施策の核心であると考えていたので、敢えて意見のとりまとめを行った。

2002 年7 月に湖国農政懇話会の委員が改選された。学識経験者(大学教員)と消費者の委員を増やしたのが特徴である。消費者委員の増加は環境こだわり農業の推進を意識したものだった。富岡は学識経験者委員の一人に環境科学部の須戸幹を推薦した。水田に散布された農薬の行くえを研究していた須戸が、この懇話会の委員として適任だと考えたからである。新しい委員による懇話会の課題は、条例の制定問題であった。公募委員の一人は、「生産者よし、消費者よし、環境よし」の「三方よし」の考え方で条例を作ることを提案した。これに対して、農業団体出身委員の一人(代理)は、業としての農業の振興を目指す中で環境を捉える条例を制定するべきだと応じた。

農業関係者の意識を変えたのは、2002 年9 月に行われた韓国視察調査である。この調査は県農政水産部が主催したもので、県議会議員19 名、農業団体役職員7 名を含む31 名が参加した。この中で、韓国ではすでに親環境農業支援のための直接支払制度が導入されていること、農協系の食品スーパーには親環境農産物の専用売り場が設けられ、取扱量も伸びてきていることなどが、参加者に強い感銘を与えた6)。

韓国視察は条例制定に向けての分水嶺になった。この後の懇話会で、条例の性格については、安全な食べ物の供給と琵琶湖の保全を前面に出しつつ、苦しい状況にある農業者にさらに厳しい制約を課すようなものにはしない、ということで、おおかたの合意を得た。

こうして、2003 年3 月に滋賀県環境こだわり農業推進条例が成立した。6 月には、条例に基づいて、環境こだわり農業審議会が設置され、湖国農政懇話会委員の大部分がそれに加わることになった。審議会では、ほぼ一年かけて、直接支払い政策のあり方について議論した。しかし、最も関心の高い支払い単価については、審議会では議論していない。予算に関することは議会の専決事項だからである。審議会では支払い単価を何を根拠にして決めるかという形で議論した。

このように、富岡は環境こだわり農産物認証制度の発足から環境農業直接支払いの導入まで、県の環境こだわり農業推進施策の創設に関わってきた。ただし、この施策の形成に富岡が貢献した部分はそれほど多くはない。学界の一部には、「滋賀の環境こだわり農業推進施策の仕掛け人は富岡だ」、などという人もあるが、それは間違いである。この施策の「仕掛け人」は國松善次知事その人である。知事の強い指導力がなければ、この施策の導入は不可能だっただろう。農業の生産性を上げることに半生を捧げてきた農業職職員に、たとえ生産性を落としてでも減農薬を進めよという知事の指示は、容易には受け入れられなかったようである。

富岡は滋賀県立短期大学の助手時代に、ある会合で、ある政策提案をしたことがある。その趣旨は、農薬を減らして米過剰対策とする一方で、減農薬を近江米のセールスポイントにしてはどうかというもので、今回の「環境こだわり農業」とほとんど同じであった。しかし、この提案はその会合に出席していた県農林部次長によって一笑に付された。知事が全力を挙げて推進してやっと動き始めるような政策転換を短大の助手が引き起こすことなど、所詮無理な話であった。これが県立大学の教授であっても、似たようなものだろう。

懇話会や審議会の事務局は県庁の担当課が処理する。懇話会が出す『答申』なども、原案は事務局が執筆する。その際、知事の意向はもれなく取り入れられる。委員の大半がこぞって反対すれば別だが、たいていは事務局の案が、些細な修正をした上で、ほぼそのまま通る。このような会において、委員や会長が決定的な役割を果たす機会はほとんどない。

富岡はかねてから農業環境政策を研究課題の一つとしてきた。学界の一部に前述のような誤解が生まれるのも、そのためである。しかし、これは富岡の主張と知事の信念とがたまたま共鳴したということにすぎない。とはいえ、この過程で富岡の存在が全く無意味であったというわけでもない。ある時、県の若い担当職員が富岡の研究論文7)のコピーを手にしているのを見かけた。富岡が読むように勧めたわけではない。その論文は農業の環境負荷を減らすために補助金を支給することは汚染者負担原則に反するものではないということを論じたものであった。件の職員はおそらく、自分たちが導入しようとしている施策の正当性について確信を持ちたいと考えたのであろう。

富岡はまた、滋賀県の取組が関係学界で注目を集めていることを、懇話会や審議会の場で機会あるごとに語った。逆に、滋賀県の取組を学界に向けて発信することを求められることもあった。有機農業促進法の制定を求める日本有機農業学会に求められて書いた論文8)はその一例である。とくに社会系の研究分野においては、学界と行政との間の情報の仲介も、大学教員に課せられた役割の一つだろう。

最後に、行政との関わりを教育に生かすこともまた重要な課題である。富岡・増田を含む生物資源管理学科生物資源経済分野の専攻学生の何人かは環境こだわり農業を卒業研究の課題に取り上げており、いくつかの興味ある知見も得られている。学生が行政がらみの問題を研究しようとする場合、指導教員が行政に関わっていると何かと便利である。

5.湖国農政懇話会および環境こだわり農業審議会の委員を務めて

須戸は2002 年より湖国農政懇話会委員、2003 年より環境こだわり農業審議会委員、2005 年からは琵琶湖への負荷削減効果を技術的に検証する環境こだわり農業環境影響調査事業調査検討委員会の委員として、環境こだわり農業の推進施策に関わってきた。それまで、滋賀県立短期大学助手時代は水田や森林流域からの栄養塩類の流出や、大気降下物による窒素・リンなどの負荷、ゴルフ場から農薬流出について共同研究を行い、県立大学講師となってからは、おもに水田施用農薬の琵琶湖流域での動態について研究を行っていることから、これらの委員に呼ばれたのであろう。委嘱後はじめて出席した湖国農政懇話会では、これまでの研究を踏まえて、ごく低い濃度ではあるが琵琶湖のどの地点でも、どの水深でもほぼ年中検出される農薬があること9)、流域に水田を持つ河川では多かれ少なかれ農薬が検出されるが、琵琶湖への流入量でみると、宇曽川や日野川など数河川で大部分が占められること10)などを話題として提供した。

湖国農政懇話会、環境こだわり農業審議会では、種々の議論を通して生産者、農業関連団体、流通関係、消費者から生の声を聞くことができた。例えば、生産者からはこだわりの基準を特に野菜などで遵守することは苦労が多いこと、流通関係者からは環境こだわり農産物は途切れることなく年間を通じて供給されることが必要であること、消費者からは購入しようと思っても商品が店頭にないことなど、実際に施策を実行するためには私自身思いもつかないような問題があることを知り、大いに勉強させてもらった。このようなことは、フィールドと大学で採水と分析だけしていても決して得られない貴重な体験であった。

環境こだわり農業は「安心・安全な食品」と、「琵琶湖への負荷軽減」の二つの大前提がある。農薬で見れば、農薬という化学物質の残留が、人間あるいは生態系に与える影響を考慮するというように言い換えられる。しかし、農薬は収量増加、労働力の低減、保存性の向上に多大に貢献しており、近代農業にはまだまだ必須の農業資材である。この相反する2つの点をうまく納めるには、リスクアセスメントの考え方、すなわち許容できる残留量を設定して、実際の環境中での残留量をそれ以下に抑える方法を採ることが実際的であろう。私個人の研究者としての目標は、どのような農薬が、どのようなメカニズムで、どの程度流出するのかを解明し、残留農薬が生態系や人間にどの程度影響を与えるのかを明らかにするための基礎資料を提供することである。

しかし、それらが単に研究成果に留まるのか、実際の営農や農政に反映されるのかでは全く重みが違う。水田除草剤の施用方法には体系処理と一発処理があり、前者は田植え直後に初期剤、2〜3週間後に中期剤と合計2回散布するが、後者は田植え後1週間前後に初中期剤を1 回だけ散布する。除草剤の中には2〜4種類の有効成分が含まれているが、初期剤、中期剤、初中期剤に含まれている有効成分は少しづつ異なる場合が多い。化学合成農薬に関わるこだわり農産物の栽培基準は、慣行栽培に対して延べ使用成分数を半分にすることなので、水田に使われる除草剤は必然的に散布回数が1 回で済む初中期剤、その中でも有効成分数の少ないものにシフトしていく。つまり、今までいろいろな除草剤を使っていたが、環境こだわり農業のためにある特定の成分の使用量が多くなることが予想される。今後は、そのような成分が水田から河川や琵琶湖に流出しやすく、生態系に影響を与える可能性があるのかを検証することを研究テーマの一つにする必要があると考えている。さらに、考慮する必要のある成分が明らかになったときに、何らかの対策が取れるような体制作りも併せて考えていきたい。


  1. 『クリーン&リサイクリング農業』、滋賀県農林部、1980.06。
  2. 詳しくは、富岡昌雄「琵琶湖水質保全と農業排水」、戦後日本農業の食料・農業・農村編集委員会編『農業と環境』、2005、第4章第5節、参照。
  3. 詳しくは、富岡昌雄「水稲航空防除から病害虫発生予察に基づく一斉地上防除へ―滋賀県および八日市市―」、全国農業協同組合連合会・全国農業協同組合中央会編『環境保全型農業と自治体』、2000、第5章、参照。
  4. 『しがの農林水産ビジョン』、滋賀県農政水産部農政課、2001.03、p.35。
  5. 「特集21 世紀の健やかな食と元気な農業座談会『環境こだわり農業への挑戦』」、『滋賀の経済と社会』NO.98、pp.5-13。
  6. 滋賀県親環境農業調査団『韓国親環境農業調査報告書』。
  7. 富岡昌雄「農業環境政策と汚染者負担原則」、『農業経済研究別冊 1999 年度日本農業経済学会論文集』、2000。
  8. 富岡昌雄「滋賀県における環境こだわり農業の推進」、『有機農業研究年報』Vol.5、2005。
  9. M Sudo, T Kawachi, Y Hida and T Kunimatsu (2004) Spatial distribution and seasonal changes of pesticides in Lake Biwa (Japan),Limnology,5(2),77-86.
  10. M Sudo, T Okubo, T Kunimatsu, S Ebise, M Nakamura and R Kaneki (2002) Inflow and outflow of agricultural chemicals in Lake Biwa,Lakes and Reservoirs,7,301-308.
    (3.は増田が、5.は須戸が、そのほかは富岡が主として執筆した。)