環境学としての意匠の重要性

内井昭蔵

環境計画学科

環境・建築デザイン専攻



1.環境学の目的

 環境学はこれまでの理学や農学、工学などと異なる学問体系である。どこが違うのか簡単にいえば、環境学は関係学であり、総合学であるということだ。従来の学問が複雑な現象の中から分析可能な要素のみを抽出し、単純化して普遍性を求めてきたことに対し、環境学は複雑な現象の中で独自性に着目する。又、環境学は、いわば非線型的複雑系の学問であり、分化された学問体系を地球とか人間という総合的なシステムとしてとらえ直す学問であるといえる。

 これまでの科学は主観を排し、客観化することに特徴があった。この科学の方法は大きな成功をおさめたといえる。しかし今日、地球環境問題にしても生命倫理の問題にしても、従来の二元論的発想では解決しえないことが明らかになってきた。近代科学は専門分化をしてきたが、その結果、現実をトータルに把握することが困難となってきた。それに対し、いわゆる「学際化」が唱えられてきたが必ずしもその成果は上がってきていない。つまり学問そのものの成り立ちがその独自の体系によっている以上、依然として枠組みは取り払われない。今日、必要なことは、各学問分野の枠組みを超えた新しいパラダイムをつくり出すことである。これが環境学の目的ではあるまいか。つまり、人間と地球を中心に据えた主・客一体型の地球学、人間環境学、生活空間学、意匠学、景観学、建築情報システム学などの確立が環境学の目的である。

2.環境建築

 私はこれまで教職につくまでかなり長い期間、建築家として設計の実務に携わってきた。出身は工学部建築学科であり、卒業以来30年間「もの」にこだわって建築をつくってきた。昨年まで勤めていた京都大学でも所属は工学部であった。これまでわが国の建築学は主に工学の枠組みの中で成り立ってきた。しかし今日、私の所属している滋賀県立大学では工学部ではなく、環境科学部に環境計画学科があり、環境・建築デザイン専攻と環境社会計画専攻という二つの専攻からこの学科が成り立っている。

 それではどこが工学部建築学科と違うのかといえば、工学部では専ら建築の成り立ち、すなわち計画学、建築史学、構造学、材料学、設備学といった「もの」を中心とした機能と形態、性能や効率の追及をし、それら学術的成果をもとに新しい技術提案をするための方法の研究をするのがこれまでの建築学であった。建築学の目的は、「場」と「もの」と「人間」の関わり合いという生活の観察から始まり、それらの現象の中に存在する共通要素を抽出し、計量化し、構造化して普遍的要素を明らかにすることであった。

 このような工学としての建築はこれまで、人間の物質的環境に有用性と多大の利益をもたらしてきた。しかし、今日の私達の環境の状況を見ると、従来の枠組みのみでは解決し得なくなってきたように思われる。例えば、地球環境問題は人間の営みの総体の問題であって、問題は複雑に絡み合い単純にその原因を明らかにすることはできない。しかし、大気中のCO2の増大、オゾン層の破壊、水質、土壌の汚染、砂漠化、資源の枯渇などの負の原因はこれまでの工学的な建築の追及に問題があるように思える。

 環境とは自然と人工とによってつくられる「生活空間」の総体をいうものである。今日の重要な課題は、自然と人間活動の所産である建築を如何に調和させ、連続的にとらえるかということだ。つまり、これまでのような「もの」の秩序のみに価値観をおいた工学的枠組みだけではなく、具体的人間の生活に根ざしたシステムとか働きに価値をおく環境学的枠組みが必要なのである。

 この新しい環境学的建築を「環境建築」と呼ぶとすれば、この環境建築の目指す理念は自然のもつ有機的、総合的システムの視覚化であるといえる。これをキーワードで示せば「循環」「再生」「持続」「ロングライフ」「省エネ」「景観」「調整」「融合」「調和」などであるが、これらを「もの」の存在としてではなく自然や人間生活の「はたらき」や「システム」としてとらえ、これらを可視化すること、つまり意匠(デザイン)することが「環境建築」ではないかと考える。

3.意匠学の重要性

 今日、環境問題といえば人間の生活行為の結果もたらされた自然環境の変化、それも負の効果の指摘とその分析ということに偏りがちである。CO2問題にしても、その発生源の解明とその結果の検討、そして抑制方法の提案とその成果の検証というプロセスがとられ、その数値が注目される。これも大切なことだが、問題は生活行為、つまり「もの」を作るという本質的な面が忘れ去られてしまうという点である。省エネ、省資源問題も同様であり、本質的な生活の意味を欠いた省エネは抽象的であり、解決になり得ない。生活の目的をも見失う抑制では本末転倒である。持続性も同様で、抑制という面のみが強調されがちである。それでは何のための持続性なのかわからない。問題は、環境問題は分析や抑制のみでは解決しないということである。環境はさまざまな要素の相互関係であり、しかもそれは学術的要素のみならず政治、倫理、宗教、文化などが広範且つ複雑に絡み合い、一側面のみでは必して解決し得ない。私は環境学は分析学だけではなく、同時に総合学として創造的視点が重要であると考えている。

 複雑なシステムを解き明かすのに今必要なのは構想力であると思う。構想力はイマジネーションやインスピレーションがベースとなる。複雑なシステムは「かたち」を与えることで一瞬にして新しい秩序を創り出すことが可能である。このような働きを意匠というが、環境学にとって意匠こそ中心的課題であり、まことに重要な要素といってよい。今日の閉塞的状況を打破るには意匠が最も有効な方法になり得る。

4.環境とプロフェッション

 科学技術の発展は文明にとって多大の貢献をしたが、反面、負の面も拡大され、深刻な問題となっている。負の問題は科学技術のもつ専門分化の進行に大きな原因があるように思われる。今日の先端技術、原子力をはじめ臓器移植や遺伝子組み替えなど、生命科学、バイオテクノロジーなど、いずれも問題は人間の尊厳とか宗教、倫理の問題と不可分の様相を示している。これらの先端的科学技術が持つ問題はあまりにも専門分化の進行により、人間や自然が見失われてしまったことを示している。科学の基礎は真理探究であるが、前述の如く自然を客体化し、人間と対立せしめたところに多くの問題が潜んでいたといえないだろうか。

 又、技術の基礎は提案性にある。提案性の背後には提案する者の責任がついてまわる。つまり技術者は建築家も含め、この提案に対し責任を負わなければならない。今日の先端技術は高度の専門性を必要とするが、それだけ技術者の倫理性が強く求められるのである。この高度の専門性とプロフェッション意識を科学者や技術者に植えつける必要があると思う。

 環境問題は複合的且つ複雑系であり、しかも世代を超えた未来への影響を考えねばならない。専門性が高くなればなる程、歴史に対する責任が大きくなるということを自覚しなければならない。環境学からこのプロフェッション意識を除くことはできないと思う。