いまどきの地球環境科学を考える

上野健一

環境生態学科


 高校生の頃、地球上の気候はケッペンの気候区分で分類されると学んだ。トンネルをぬけるとそこは豪雪地帯であり、熱帯にいけばジャングルが生い茂っていると信じていた。衛星も含めた地球規模の観測網の整備と多くの共同研究の成果により、地球上の気候が必ずしもこのような静的状態ではなく、様々な時空間スケールで絶えず変動しつつ一つのシステム系を形成している事が明らかとなりつつある。熱帯の海洋循環が中緯度の大気に影響を与える。中緯度の大気は大陸に降積雪をもたらし、降水は植生分布を規定する。逆に積雪・植生や凍土等の地表面状態は大気に物理・化学的影響を及ぼす。河川水・氷床の融解が海洋の塩分バランスを、海氷の発達が大気海洋間の熱バランスを変化させる。このような気圏・水圏・陸域・海洋、そして生物圏のおりなす相互作用の総体を広い意味で"気候システム"と呼ぶ。この気候システムがどの程度の時空間スケールでバランスしているのであろうか、またはしていないのであろうか。そして人為的影響はどの程度進行しているのか。これらを定量的に評価し解明・予測することは地球環境科学のひとつの重要な課題となっている。最近"地球環境問題"や"温暖化"が枕詞として頻繁に使われるが、実はこのような"気候システム"そのものを理解するための精度良いデータは、地球規模で蓄積されるようになってまだ20年程度しか経っていない。

 私は筑波大学地球科学研究科で気候・気象学を専攻した。そもそもは特に天気現象に興味があったわけではなく、中学時代にアメリカを旅行し、大自然に接して自然地理に興味を持ったのが自然科学への第一歩であった。全世界どこでも卓越し共通に議論ができる大気現象を勉強しようと決めたのは大学2年の時である。当時は野外に出てなるべく多くの自然現象を体感することこそ自然環境を理解する真の手法だと信じていた。時事刻々と変化する降水分布と降水雲をなんとか自分の手で観測したいとの願望から行った積雪調査が私にとっての初めてのフィールドワークであった。その後アメダスデータを使った雨域進行解析、北半球スケールでの低気圧経路の変動解析へと興味の対象はスケールアップしていった。これらの研究は、地域的な現象から広域現象まで時空間スケールを意識しつつ観測・解析するという大切な勉強となった。しかし一方で、地球規模の現象を理解・解明するためには個人研究の域を越える必要があることにも気づいた。

 グローバルな気候学に関する分野は、表面上は気象学・海洋学・水文学・生態学等の複合領域と表されるが、実質の背景には地球環境問題解決という社会的ニーズがある(そもそも学問の融合とか学際性といったものはしかるべき必要性なくしては生まれないように思う)。一方で、対象とする現象は国境を超え、国や行政による観測網の利用が不可欠となる。従って研究体系も従来の研究室単位または個人単位の研究の他に、好むと好まざるに関係なく大学・研究所間のプロジェクト式形態が重要な位置を占めるようになってきている。現在、私はユーラシア大陸上の降水現象に関係した衛星データ解析とチベット・ヒマラヤ周辺の現地観測を研究活動の中心としている。ユーラシア大陸、特に標高4000m以上で広がるチベット周辺での水・熱輸送が、アジアの気候システムの変動に寄与する過程を明らかにするプロジェクト研究の一環である。自分たちが苦労して設置した自動気象装置のデータが無事回収され、現象の実体が衛星情報等と組み合わせておぼろげながら明らかに成って行くにつれ、なんともいえない充実感が広がる。このようなプロジェクト型研究では以下のような点で従来の研究形態とずいぶん異なる。第一に自分の興味と研究守備範囲を大学間で意識するようになる。自分の研究の"城"は通用しない。私の研究活動はPCの階層構造にたとえると、¥地球環境¥気候システム¥衛星解析¥降水量、¥自然地理¥ユーラシア大陸¥チベット・ヒマラヤ領域、または¥環境モニタリング¥気象観測¥遠隔地自動観測¥降水量計、とでも位置づけることができる。ごらんの通り個人の守備範囲こそサブディレクトリーの末端には位置するものの、研究会などではその上に広がる共通のテーマで話題が尽きない。第二に、個人研究では得ることのできない膨大な情報と否応なしに接触する機会が増える。これはともすると自分の研究ペースを崩す(いわゆる"城"の内部崩壊)おそれがあるが、逆に情報の取捨選択で思いも寄らないアイデアや新たな共同研究の機会に恵まれる。そしてなによりも、共通の興味に関して大きな夢を描いて議論のできる多くの分野の仲間が自然と増えることが楽しい。第三に、プロジェクト共同の観測やデータ作成の機会が増える。これは今はやりの情報公開の一種である。自分のために自分のペースでデータを生みだし、結果だけを発表していれば良い訳ではない。しかし他人の手法やデータも利用できるわけだから考えようによっては大変便利である。

 私は新しい大学が大好きである。何か新しい事ができそうな夢がある。本学に着任する直前に気象学で著名なM教授(北大)と話をする機会があった。"環境科学部というおかしな名前のつく職場に移動するのですが、どのような教育・研究体系となるのか不安です"との問いに"環境科学は問題あっての学問です。研究は個人ベースで対処できますが、教育は関連した分野をいかにコーディネートして一貫性のある環境科学に仕上げるかが学部構築の大きな課題でしょう"とのコメントを頂いた。大学院時代からの恩師であるY教授(筑波大)には"いままで自分がやってきたことこそ正々堂々と環境科学であると主張していけばよい"と励まされた。また、同じ職場のO助教授(県立大)は"人為的活動の自然現象への影響力が地球規模で無視できなくなったからこそ、今まさに環境科学の必要性が生じたのではないか"と述べている。これらのコメントはすべて今の私の大学教育感の原動力となっている。環境科学が真の意味で新しい複合領域科学であるとすれば、現在の社会的ニーズや学外の動向にある程度は即したコンセプトで環境科学部が生まれたはずである。教育分野は名前だけではなく実質も横断的で克つ新しい編成でなければならない。しかし県立大学の規模と教員の守備範囲を考えた場合、必ずしもこれを満足するとは言えない。とすれば、"我こそは環境科学"と肩肘をはらず、最先端の情報や不足した情報は積極的に学外から採り入れ教育に反映させれば良い。それが大学教育だと思う。大気科学を専攻し、微弱ながら地球環境講座の一教員として所属するからには、気候システムに関連した現在まさに進行しつつある地球環境変動の実体とそれに向けた最新の研究動向を紹介し、最新の観測・解析手法を学生と友に勉強していくことが私の教育的責務であると考える。学生のみなさんが"地球環境科学"でつかんだ科学的問題意識とグローバルな発想思考は、激変するこれからの社会で必ず活かされると信じている。