私の研究と環境学

上田邦夫

生物資源管理学科


 私の専門分野である植物栄養学、土壌微生物、生物工学などの立場から環境問題とかかわりの深い問題について私は研究を進めている。環境科学部報の創刊にあたって、私はこれからの研究指針について書くこととしたい。このことにより何年かの年月が経過した後も環境科学部の一員としての出発点が残されることになり、今後の研究のなかで出発点からの到達度と変遷が明瞭となるに違いない。

 私の研究には二つの柱があるが、中心となるものは土壌微生物の持つ多様な酵素を利用しようとする研究である。この中にはいくつかの項目があるが、そのひとつは土壌病害の防除の問題である。

 キュウリ、トマト、大根などほとんどの畑作物は連作すると年数を経るごとに徐々に土壌病害が拡大しついには連作を諦めざるを得ないようになる。これは主に土壌中の病害菌(主にカビの仲間であることが多い)による。この回避策としては昔から輪作がおこなわれてきた。しかし、近年の経済効率追求型の農業では輪作はおこなわれにくい。そのため栽培方法からの解決策として、水耕法、水気耕法、レキ耕法、ロックウールなどの人工土壌の使用がおこなわれるようになった。しかし、これらはハウス内の限定された場所でしかできない。屋外の野菜栽培では、大量の農薬使用、あるいは作土の入れ替えがおこなわれている。作土の入れ替えは耕作地全体の表土を削りとって他の場所の土と入れ替えるという、環境保全の立場からすると非常に問題の多いやり方がおこなわれている。そこで私の研究はこのような土壌病害菌を他の土壌微生物を利用して、生態的に防除しようとする試みである。一般的に病害菌である糸状菌(カビ)のなかではフザリウム菌の占める割合いが大きい。そしてこのフザリウム菌の細胞壁はキチン質でできていると考えられている。キチンとはカニの甲羅に含まれている多糖類である。グルコースがβ-(1→4)結合してできたセルロースに近い仲間であるが修飾基がグルコースの2位についている。土壌中にはこのキチンを溶解する酵素を持つものがいる。すなわち、フザリウム菌の細胞壁を酵素的に溶解し死滅させることができる。このような微生物を土壌に加えてやることにより土壌病害を回避したいのである。しかし問題はもう少し複雑である。一つはフザリウム菌だけでなく糸状菌全体がキチン質を持っているため選択的にフザリウム菌を攻撃できないことである。またフザリウム菌(または糸状菌)の細胞壁が単純なキチン質ではなさそうであることである。しかし、私は最近フザリウム菌の細胞壁を溶解する酵素を持つ微生物を土壌中より分離することに成功した。現在はこの酵素や微生物の働きについて調査している。

 土壌微生物の持つ酵素の利用に関する研究では次にセルラーゼがある。セルラーゼはいうまでもなく、紙などの主成分であるセルロースを加水分解する酵素である。今日ではセルロース資源は最後は焼却したり埋め立てたりするのが一般的である。古紙などは再生利用の途を拡大させていく必要がある一方、セルロース資源は地球の資源として考えた場合に石油や石炭などと異なり地球上で再生可能な炭素資源である。大気中の炭酸ガス濃度を規制していく上で森林の保護とセルロース資源の有効利用は将来的には大きな柱にならなければならない。セルロースはグルコースがβ-(1→4)結合したもので、グルコースがα-(1→4)結合しているアミロース(でんぷん)と近縁関係にある。アミロースを加水分解する酵素のアミラーゼを分泌する微生物は広く分布しており今日のアミラーゼ工業を形成するに至っている。しかしセルロースを加水分解するセルラーゼを分泌する微生物は非常に限られている。セルロースを利用する菌はそれほど少なくないが、これらのほとんどは酵素を分泌するのではなく酵素を細胞壁に付着させた状態でセルロースを加水分解しこれを栄養源としている。これが今日のセルロース資源の浪費につながっている。この理由はセルロースの持つ高次構造にあるされている。グルコースがβ-(1→4)結合しているだけでなく、その上に規則正しい結晶構造を持つことが知られている。このため酵素による攻撃が困難とされている。しかし、全くセルラーゼを持つ微生物がないわけではない。セルロースを糖化するという面から強力なセルラーゼを生産するものとしてはTrichodermaが有名である。その他にもAspergillusなどが知られている。しかしこれらの微生物酵素でセルロースを糖化するには、糖化速度が遅い、糖化するのに必要な酵素量が非常に多いなどの問題がある。そのためセルロースを酵素的に糖化することは産業として成立していない。このように重要な課題ではあるが実現できないで今日に至っている。そして、現在でも世界の研究者がこの問題に取り組んでいる。私は数年前に新しいセルラーゼ生産菌を釣菌することに成功した。そしてこの酵素によるセルロースの糖化について研究している。以上のような土壌微生物が持つ酵素についてはその遺伝子の取り出しと解析が必要不可欠と考えている。

 土壌微生物が持つ酵素を利用した研究としては次に生ゴミの処理がある。近年の日本では飽食の時代に突入し廃棄物としての生ゴミ量は増大し、その処理は処理責任者である地方自治体の頭を悩ませる事態になっている。その処分方法は多くの場合焼却である。しかし、焼却処分は焼却場の立地や耐用年数に問題を抱えるようになっている。そこで最近では各家庭や事業所で処理する事が考えられはじめた。その方法にはいくつかあるが主なものはやはり土壌微生物を利用するものだろう。今後はこのような方法がさらに模索され発展されねばならないし、またそうなるだろう。私の立場としてはこうした事情を考えて適切なデータを積み上げていきたいと考えている。

 もう一つ植物栄養学的見地から最近気になりつつあることは、日本における酸性降下物の影響である。日本はまだヨーロッパにおけるほど顕著に酸性降下物の被害を受けていない。またそのように見えている。その理由はいくつか考えられる。主なものは、日本での煤煙の排出基準が厳しいことと日本の自然条件があるだろう。日本の土壌はもともと酸性土壌でありその条件に適した植物が生育していると考えられる。しかし、近頃日本でも酸性降下物による被害と考えたくなるような事例が新聞報道されるようになった。それは山岳地帯の川や湖の酸性化や巨木の立ち枯れである。またあちこちで起こる松の立ち枯れである。このような被害の原因は日本国内から排出されてくるものの他に中国大陸からくるものが考えられている。しかし、川や湖の酸性化は酸性降下物の影響を推定しやすいが、巨木や松の立ち枯れはその推定が容易ではない。かなり以前から松の立ち枯れが問題となっているが、この原因は松食い虫であると考えられている。しかし私は酸性降下物の影響を検討すべきと考えている。そこで私は酸性降下物の影響が植物にどのように出るのかを研究する必要があると思う。つまり植物が弱ったり枯れたりしたのが酸性物質によるものかどうかを知る手がかりを見いだす必要があると思っている。今日までの文献を調査した結果では酸性物質の影響で植物の無機成分組成に大きな変化が生じたという例はない。そうすると植物体は酵素などの有機的成分について分析しなければならないということになる。