私の環境学

但見明俊

生物資源管理学科

 私の父(但見健次郎)は昭和19年にフィリピンで戦病死しました。30歳をちょっと過ぎた年齢だったと思います。島根県の農事試験場に勤めた時代がありまして、昭和12年に水稲の農林10号を育成しています。この品種は中生の早で、島根農試初の農林省登録品種となりました(島根県農業試験場100年史、1979)。島根・鳥取両県だけでなく、宮城、福島、茨城、栃木、埼玉、新潟、石川、福井、長野、滋賀、山口、愛媛および高知の諸県でも奨励品種に採用されたそうです。最大普及面積は昭和26年(1951)の23,506haと記されています(指定試験協議会(編)農林水産省指定試験地育成農作物品種総覧、1996)。しかし、滋賀県では実際にどの程度栽培されたのか、調べてみたのですがよく分かりませんでした(滋賀県農業試験場100年史、1995)。父は農林10号のほか、農林13号、農林糯45号、山陰17号の育成者として名を連ねております。これらの品種は、いずれも、現在では歴史の流れの中に埋もれてしまったように思われます。

 丁度この頃、兵庫県農業試験場から農林6号(昭和11年)と農林8号(昭和12年)が登録されています。農林6号(近畿9号)は穂いもち病抵抗性が、また農林8号(近畿15号)は葉いもち病抵抗性が強く、他の品種を圧倒して普及したばかりでなく、その後に育成された多数の品種の母系として利用されました。ちょっと拾っただけでも、農林22号(近畿15号×近畿9号)、農林23号(々)、農林25号(東山12号×近畿15号)、農林29号(近畿15号×近畿9号)、農林30号(陸羽132号×近畿9号)、農林31号(山陰10号×農林8号)、農林32号(農林8号×農林6号)、農林35号(近畿9号×農林3号)、農林36号(関東11号×農林8号)、農林37号(近畿15号×近畿9号)、農林38号(初光×近畿9号)などがあります。農林6号と農林8号については、滋賀県農業試験場100年史にもしっかりと記録されています。全国を対象とした最大普及面積は農林6号が昭和16年(1941)に93,622ha、農林8号が昭和21年(1946)に127,300ha、また、これらを母系として用いた品種では農林22号が昭和29年(1954)に98,469ha、農林25号が昭和33年(1958)に40,546ha、農林29号が昭和28年(1953)に114,000haでありました。このあと、農林22号や農林23号はさらに新しい品種のための母系として使われてゆきます。

 イネのいもち病抵抗性育種に大きな変革が起こったのは、昭和30年(1955)頃より、外国稲の高度な抵抗性が注目され、これらを抵抗性遺伝資源として求めるようになったからです。中国産の茘支江、杜稲、北支太米、南方産のTadukan、TKM1、アメリカ産のZenithなどを用いて、クサブエ、ユーカラ、千秋楽、ウゴニシキ、峰光、PiNo.5、フクニシキ、とりで1号などが育成されました。これらの持ついもち病抵抗性は極めて高度なもので、いもち病激発下でも1個の病斑もできないほどでありました。いもち病の問題もこれで片づいたと、多くの人は考えました。学生諸君に説明する際に、あまり良い例えではないとは思いますが、白と黒のまだらの牛、ホルスタインを頭に描いて貰っています。黒色の斑の多い牛を選んで交配を続けてゆけば、恐らくだんだん黒っぽい牛になってゆきます。しかし、真っ黒くすることは極めて困難でしょう。しかし、和牛のようなはじめから真っ黒の牛と交配すればたちまち次の代で黒くなってしまいます。いもち病抵抗性を仮に真っ黒な牛のようなものと考えると、農林6号や農林8号の持つ抵抗性はホルスタインの斑をだんだん増やしてゆくやり方で蓄積されたものであり、クサブエやユーカラの抵抗性は和牛と交配させるような方法でつくり出されたものということができます。

 ところが、昭和37年(1962)に広島県下で、それまで高度抵抗性とみなされていたPiNo.5にいもち病が激発して関係者を驚かせました。翌昭和38年(1963)にはクサブエと千秋楽が激しく侵されました。病原菌を分離して調べられた結果、稲の抵抗性が変化したのではなく、新しい病原菌が出現したのだということが分かりました。おおまかに申しますと、稲に日本稲、中国稲、インド稲があるように、いもち病菌にも日本稲系(Nレース群)、中国稲系統(Cレース群)、インド稲系統(Tレース群)が認められます。中国稲の血を引いたクサブエは、Nレース群に対しては極めて高度な抵抗性を示しますが、Cレース群に対しては極めて弱いことが分かりました。クサブエの栽培が広まるにつれて、それまでのNレースに代わってCレースが増加していった訳であります。

 稲のいもち病抵抗性について、もうちょっと説明を加えさせて頂きます。農林6号や農林8号の持つ抵抗性は多数の遺伝子が集積されて発現するものであります。病原菌を寄せ付けないほど強いものではありませんが、レースが変化してもあまり影響を受けません。これに対してクサブエ、ユーカラ、千秋楽などが持つ抵抗性は、優勢な1対の遺伝子によるもので、極めて高度ではありますが、抵抗性が発現する病原菌のレースが限定されます。前者を水平抵抗性、後者を垂直抵抗性などと呼ぶことがあります。このような苦い経験は、お隣の韓国で、昭和51年(1976)、インド稲の血を導入した韓国の稲(「統一」系統)で繰り返されました。

 これ以降、水平抵抗性の価値が再評価されるようになりました。たとえ垂直抵抗性を売り物とする品種であっても、水平抵抗性についても検討され、水平抵抗性があまりにも弱い品種は普及に移さないという基本方針が貫かれるようになりました。しかし、最も基本的な問題である、どのような育種方式をとるのが良いのか、あるいは、育種の母材としてどのような材料を用いるのがよいのか、については、未だ、答えが出ていないのではないかと思います。

 岡部四郎(のびゆく技術 ―世界の農林業―No.72・73、「植物寄生病の疫学的考察」の解説、1968)は、育種方式について、上述の、垂直・水平両抵抗性を併せ持たせる以外にも、例えば(1)ひとつの品種に、2個以上相当多数の抵抗性遺伝子を集積する、(2)違った種類の1個ないしは少数の抵抗性遺伝子を持った品種を交代栽培する、(3)抵抗性に関して違った種類の抵抗性を持つとともに、抵抗性以外の特性がよく似た系統を育成し、それを機械的に混ぜ合わせる(いわゆる多系品種)、などの方法があることを指摘しています。しかし、今日のような、品質主導の消費傾向(例えばコシヒカリ指向)では、(1)と(2)のような抵抗性品種が栽培される場面は極めて限られることになります。生産されても売れなければ仕方がありませんから。

 平成6年(1994)に宮城県古川農業試験場で育成されたササニシキBLは、(3)に指摘されたような、いわゆる多系品種です。ササニシキBLは4つの構成系統、ササニシキBL1号(いもち病抵抗性遺伝子Pi‐kを持つ)、BL2号(Pi‐km)、BL3号(Pi‐z)、BL4号(Pi‐zt)よりなり、これらはササニシキの同質遺伝子系統で、いもち病抵抗性遺伝子以外の特性はササニシキ(農林150号)と同じであります。登録された平成6年にはすでにおよそ800haで栽培されているということです。しかし、残念なことにササニシキの栽培面積は平成2年(1990)の207,438ha以降減少し、人気がやや落ち目であります。平成8年(1996)産米の作付け見込み(食糧庁まとめ)によりますと、ササニシキはコシヒカリ、ひとめぼれ、あきたこまち、ヒノヒカリ、きらら397、日本晴に次ぐ第7位に止まり、かつてのササコシと並び称された時代は過ぎ去ったかに思われます。

 それにしても、コシヒカリ(農林100号)というのは何という品種でしょう。平成6年(1994)の普及面積は538,250haに及び、他の追随を許しません。農林22号という、かつての葉いもち病・穂いもち病抵抗性品種を父親に持ちながら、いもち病に対する抵抗性は弱く、さらに倒伏にも弱いといわれています。農薬の助けを借りないでこの品種を栽培することは困難です。もっとも、ササニシキBLでさへ、穂いもち病の防除に1回の薬剤散布が必要といわれています。

 イネいもち病を例にとって環境問題を考えるなら、コシヒカリ指向を止めることです。コシヒカリBLを育成することも理論的には可能ですが、古い品種(1956年登録)で、育種機関が存続していません。コシヒカリが育成された頃(昭和31年)は、まだ、米不足の時代で、誰にもこの品種の将来を予測できませんでした。これからの消費傾向を予測することも、大変大切なことではありますが、極めて困難なことでもあります。口では環境問題を憂慮しながら、コシヒカリにこだわるというパターンが、いろいろな場面で見られるというのが今日的な現象であるように思われます。

 私の環境学というテーマで、私が主張したいことは、一般に環境学といわれているものには、研究と関わりのない部分が多いということです。現有の技術を適用して解決できるにもかかわらず、私どもにとっては不可解とも云える社会的な現象がそれを許さないのです。最近は鮒ずしに用いる米もコシヒカリと聞きます。伝統的な手法で作る鮒ずしですから、昔の品種を用いるというのならすじも通ります。しかし、人気のコシヒカリを使っていると誇らかに説明されると、思わず納得してしまうのが現代人なのでしょう。

 そこで、現状を容認して、さらに高度な技術を開発しようとします。品質など人気の対象となる特性は、耐病虫性などを考えずに育成し、出来上がった段階でそれらを付与するというのはいかがでしょうか。病害虫防除の面でいえば、例えばエンドファイトの利用があげられます。エンドファイトは、現在、イネ科牧草で研究が進んでいますが、植物体内に生育する共生菌で、これを持つ植物は病害虫に強く、種子を通じて次の代へも伝わります。有用なエンドファイトを選抜しておき、優良品種に接種すれば耐病虫性を付与することになるのです。これがイネに応用できるまで、どれだけの月日が必要なのか、今のところまだ想像がつきませんが、環境に配慮した新しい病害虫防除技術として目下期待しています。