私の「環境学」研究

須戸幹

環境生態学科



1.はじめに

 私は現県立大学の前身である県立短期大学農業部に就職し、「琵琶湖と水質」をキーワードとした窒素、リンなどの富栄養化塩類による水質汚濁の研究に携わることができた。それとともに、農薬による水質汚染をメインテーマにして研究を進めてきた。ここでは農薬の環境問題を例にとって、自分の「環境学」の研究に対する考え方と取り組み方を述べる。

2.農薬の環境問題

 農薬は病害虫や雑草から農産物を守り、その生産性に大きな役割を果たしているだけでなく、農作業の労働力、労働時間の大幅な軽減、収穫物の保存や品質管理に多大に貢献している。私自身は農家の出身ではないが、短大農業部で多少とも田、畑で作物を生産する機会を持ち、農薬は現代の農業にとって必要不可欠の資材であることを改めて実感した。農薬はそのほとんどが農業生産のために外部から投入される人工合成化合物あるいは天然成分を改変した化合物であり、自然環境中にはもともと存在しなかったか、存在してもごく微量の物質である。農耕地などに散布された農薬は全量が駆除しようとする病害虫や雑草に作用し、その後は人畜無害な無機物にまで分解されることが理想であるが、実際には農薬そのものやその分解物が様々な形で環境中に残留・蓄積する。そこで、いったん環境へ流出した農薬が目的以外の生物に作用して生態系に影響を及ぼしたり、農薬に汚染された大気、水、農作物の摂取が人間自身に直接影響を及ぼすのではないかという危惧から農薬の環境問題が生じている。

3.研究の位置づけ

 私は学生の頃から培ってきた分析手法と分析技術、それに加えて短期大学の研究室で学んだ考え方を基に、農薬の環境問題に自分なりの姿勢で取り組もうと考えている。環境中に残留した農薬に限らず、多くの化学物質の人間に対する安全性は"リスクアセスメント"、文字どおり人間に対するリスク(危険性)をアセスメント(評価)する手法、で議論されることが多い。リスクアセスメントは、その物質が原因で新たにガンで死亡するヒトを10万人あるいは100万人に一人の割合で発生させる量を許容量と考えて、その物質の人間に対する実際の曝露量で評価される。リスクアセスメントは人間に対してであるが、生態系が無理なく農薬を分解できる量を生態系の許容量とすれば、同じような手法で安全性を評価することが可能であろう。しかし許容量、曝露量とも納得できるデータや計算方法が示されているわけではない。私は河川水の農薬汚染を研究を通して、人間に対しては河川水を飲料水源とした場合の曝露量を、生態系に対しては河川水中における曝露量のデータを提示できると考えている。

4.研究の方法

 研究はフィールド調査、解析、モデリングに大きく分けることができる。フィールド調査で最も大切なことは、当たり前のことであるがまず最初に実際の現場を体験し、そこで起こっていることを注意深く、根気強く観察することである。ゴルフ場から流出する除草剤の研究を行っていた時の例をあげると、降雨時の流出濃度の変動を調査するために雨の降り始めから降り終わりまで数日間徹夜で採水するのであるが、河川の水量ピーク時に濃度が降雨前の60倍以上にも達することがあった。もちろん事前に文献調査を行っていたが、これほど濃度が上昇するとは予想できなかった。もし徹夜で調査しなければ、このような事実を知ることはなかったであろう。

 次に日頃から最新の情報にアンテナを張り、関連する文献に目を通して得た知識を基にして、観察したデータをじっくり解析する。そこから現場の現象を説明できる機構を仮定する。仮定の確認と数式化は、種々の条件をコントロールしやすい室内実験や圃場実験の結果で検証し、もし現場のデータと矛盾すればふたたび仮定に戻って検討することを繰り返す。

 最終的には1つ1つの機構を有機的に組み合わせたシミュレーションモデルを構築する。シミュレーションの結果と現場の測定値がほぼ一致してモデルの有効性が確かめられれば、研究は一段落である。言うは易し行うは難しで、ここまで到達するまでに何年も時間を要するのが常であろう。

 モデルによるシミュレーションは、以下の2点で威力を発揮する。農薬濃度を例えば1時間に1回測定してグラフ上にプロットすると、1時間おきの点データとなる。しかし本当の濃度ピークはもしかすると採水と採水の間の時間帯にあるかもしれない。解析時間を小さくしたモデルではより連続性が大きいデータを得ることができるので、測定できなかった時間の濃度を知ることができる。このようにモデルは実測値の補完の手段として有効である。もうひとつは、パラメータの値を変えることで観測できなかったさまざまな条件下での現象を推定できることである。先ほどのゴルフ場の例で言えば、雨の強さが2倍になったときの農薬流出量の増加、散布量を1/2にした場合の流出量の減少を計算することができる。これらの結果をもとにして、実際の農薬の流出量を提示し、流出量を少なくするための対策を提案できるのである。

5.研究結果の広がり

 私たち研究者は、分析やシミュレーションの結果を公表し、人間や生態系に対する影響を明らかにすることは当然の義務である。その一方で、それらを実際の農業生産の場で生かすことにも同じぐらい重い比重が置かれなければならない。除草剤の流出をなくすためには人力で除草すればよいが、農業従事者の大部分が第2種兼業農家でしかも高齢者である現状では、それを実行し、かつ農家の経営を維持することが不可能なことは考えるまでもない。これは極端な例ではあるが、同じように机上の空論となるような過ちを犯さないとも限らない。そのためには、農薬の環境問題を単に検出された、されなかったという次元で捉えることなく、社会的、経済的な問題を内包していることを常に念頭に置いて研究を進めていきたいと考えている。


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図1 農薬環境問題の研究の構造