私の環境学

重永昌二

生物資源管理学科



1.環境問題の捉えかた

 生きものは環境の産物であると同時に、それぞれの生きものはまた自らの生存に適した環境を徐々に作り出しながら生きてきた。そしてある生きものとの相対的な関係の中で正しく位置づけられてこそ生き続けることができる。生きものの生存、あるいは環境に対する適応の本質を理解するには時間や速度の概念の導入が必要である。それは大きくは生物進化のマクロな時間であるが、小さくみればある生物集団の繁殖に要する時間や、個体の生殖生長に達する迄の時間であり、生長速度であり、新陳代謝の時間や速度であり、呼吸周期であり、また腐敗や分解の時間や速度のことである。これらは一般に周期的であり、1日や1年を基本とする地球の自転や公転に基づいている。きわめて長期的な観点に立てば、かりに人類の産業活動などの営為がなくても、生物の生存にとって好ましい方向であるか否かは別として、地球環境は徐々に変化して行くと考えられる。しかし今日の環境問題は、このこととは別の、人類が作り出した文明の影響による急速かつ深刻な環境悪化の問題である。これは人類が無機世界の範疇で発達させてきた科学技術を有機の世界にもそのまま適用しようとする過程で生じた難問であると見ることができる。多くの有機体から成る自然を無機的に捉え、あるいは無機化しようとして生じた問題であると言っても過言ではない。

2.生物の生活に必要な環境

 まず個々の生物が置かれている場がその生物がもつ本来の生命力、すなわち遺伝形質としての能力を十分発揮できる状態にあるか否かを問題にする必要がある。生物がその遺伝的能力を十分発揮できる状態とは、その生物の生理機能が働くために極めて好適な状態のことであり、それはその生物にとって本来的にあるべき環境の状態である。生物の遺伝的能力は長い生物進化の過程で環境の影響を受けて生成されてきたものであり、環境の産物であるとみることもできる。例えば肺呼吸を行う動物には空気中の酸素量が、また水生動植物には水中の酸素量がそれらの生物にとって最適の状態にあることが、その生物の遺伝的能力を十分発揮できる環境であると言える。そのほかに温度、湿度、光の強さ、あるいはそれらの周期的な変化の状態など、個々の化学的・物理的要因の総合が作り出す環境が、そこに生息する生物にとってその遺伝的能力が最もよく発揮できる状態になっていることがその生物にとっての本来的な環境である。そのような好適な環境に置かれている場合には、生物の本性として調和のとれた生理活性が高まり、生長力も高まる。これはあらゆる生物に対して言えることである。そして多くの生物種がこのようにして複合的に調和し、安定した環境を作り出しているのがいわゆる自然生態系である。

 生物が自己の置かれている環境をどのように感知するかによってその生物の快的状態または不快状態を引き起こし、不快状態の場合は遺伝的能力が十分発揮できず、結果として病的状態を招くことにもなる。これは主体としての「個」と、客体としての有機的、無機的環境との一体化が阻まれることを意味する。生物の活動が環境と調和する方向を失えば、それ自体の存在を危うくし、やがて滅亡を招くことは明白である。生物が生きて行くための条件として、食物の摂取を含む新陳代謝の活性維持が必要であるが、その食物もまた「生きもの」である。とくに高等動物は生きた(さらには新鮮な)高等生物を食餌として求める。動物が好ましい餌に出会うと、自らの食欲をそそり、消化器官が自律神経系を通して物理的・化学的に活発に働き、餌である生物は消化されて新陳代謝系へ運ばれるような巧みな機構が長い進化の過程で作られてきた。その機構が十分機能するためにも、好ましい餌となる生物が、それ自体健全な生育を遂げたものであることが必要である。すなわち、食物連鎖の中のどの部分も生物的に健全である状態が必要であるが、今日の環境問題は、正にこの点に対する警鐘であると言える。

3.経済社会の発達に伴う農業観の変遷

 古来農業は、人間の健康や生命維持のための食糧供給を担ってきたが、その基本は健全な生態系の維持を図りながら行うことであり、またそれが可能であった。しかし、ある時期からある地域において生態系維持の重要性を無視した生産活動が行われるようになり、これが増幅して環境破壊に連がるようになってきた。その原因は人口の過剰と貨幣経済社会における不可避的な経済競争、および経済発展の過程で悪循環的にもたらされる止まることのない物欲の増大である。そして生きものは生きものを食って生きるものであるという原則を無視し、あたかも錠剤や点滴があれば生きられると言った安心感から食糧が無生物から得られるような錯覚に陥り、生命の本質や生態系を軽視する生産が行われるようになってきた。このような生産方式の理念は最早農業のそれではない。今日の生態的危機環境が生まれてきた過程は、農業観の変遷の中に見いだせるように思われる。

4.取り組みかた

 現在の経済社会では、人間の生活を快適かつ効率的にするために、自然環境に対して人間のかなり身勝手な行為が行われてきている。それによって空気、水、土の汚染が進んでいる。これらはすべて生きもの不在の感覚からもたらされている。言わば「無機化」の感覚である。汚染された空気や水や土によって健全な生物、すなわち健全な食物は育ってこない。健全な食物が得られるところにこそ、健康な「生」の営みが存在すると考えられる。したがって、生物の環境にとって空気と水の清浄は最も大切な条件である。汚染された空気や水を浄化する能力は、微生物や植物を始めとする多くの生物の代謝機能に存在する。しかし、生物の代謝には一定の速度があり、このことを無視して生物による浄化を期待することはできない。古くから農業はこのような生物の機能を生かしながら生物生産を行ってきたのであるが、近年経済性や極度の効率性志向による物理・化学的知見の不適切な導入により農業生産までも無機的に行おうとする傾向が強く、これが生態系に好ましくない影響を与えていることは明らかである。

 したがって、知らず知らずのうちに生命系を無視し、これを殺すことによって効率化を図ろうとする方向に向かいつつあった農業生産技術を、もっと自然を有機体と認識することによって打ち出されてくる新しい技術に置き換えて行くことが私の環境学への取り組みかたである。