生態学と生物個体群の管理

沢田裕一

生物資源管理学科



1.応用生態学としての個体群動態論

 生態学は「生物の集団」を対象とするマクロな生物学であり、また自然環境における生物の生活現象を統一的に理解するという意味で「生物の経済学および社会学」ともいえる。このような生態学の歴史をふり返ると、生態学が、生物的自然からの感動を高らかに謳いあげた博物学の心とともに、応用上の要請と密接な関連をもって発展してきたことがわかる。

 太古の昔、人類が豊漁を神の前に感謝し害虫の退散を祈ったのは、科学以前の「動物の個体数」の問題であったが、それは現在では、害虫など有害動物の防除や魚類など有用動物資源の保護管理などのテーマとして受け継がれている。人口増加と科学技術の進歩の中で、人間による自然環境の改変の結果として、野生動物の減少や数多くの生物が絶滅へと追いやられ、また逆に、害虫など特定の有害生物が大発生する現象は、共通の基本的テーマ、すなわち「生物の個体数変動」の問題として捉えることができる。このような生物の個体数変動の実態とそれを生み出すメカニズムの解明を目指す学問分野は、生態学の中でもとくに個体群動態論と呼ばれ、野外での生物集団(個体群という)の個体数を適正なレベルに維持管理するための「個体群管理技術」の基礎としても重要である。

2.「個体群管理学」へのアプローチ

 害虫など大発生する有害動物を経済的被害を与えない程度の低いレベルに抑えそれを維持する、あるいは魚類など有用生物資源を安定した高密度に保ちつつ最大限の収穫をあげようという個体群管理の問題は、二つの共通した特徴をもつ。一つは「生態学的過程」としての共通性である。捕食、競争、病気、移動分散、気象の影響、あるいはそれら多数の要因の相互作用の結果としての生態学的過程であり、個体数推定法や変動主要因分析法など統計生態学的方法論を含む。このような共通性をもつということは、たとえば水産学の分野では、単位努力当たりの漁獲量に基づく精巧な個体数推定の理論が、また昆虫学の分野では、害虫防除への天敵の利用という必要もあって、食うものと食われるもの(捕食と被食、寄生と被寄生)の相互作用の精密な理論が発展してきたというように、各分野により理論や技術の強調されるべき側面は異なるが、しかし同時に、個体群管理のどの分野にも応用できる共通の理論や方法を創造することの必要性、つまり「個体群管理学」という新しい学問分野の必要性を意味している。海洋の生物で、食うものと食われるものの関係を解明するのは極めて困難であるが、昆虫学で発展してきたその理論は、水産生物資源管理のためにも有力な武器になるのである。

 第二の共通性は、「システムの最適化」という問題である。有用動物資源を増やす、あるいは有害動物を減らし被害を防ごうというとき、採用されるべきさまざまな解決方法が考えられるが、しかしその効果を事前に評価するのは容易ではない。たとえば有用魚類を増やそうとして漁獲制限を行う場合、ある魚では、漁獲制限による密度増加が餌をめぐる種内競争の激化をもたらし、魚の生長を妨げ生存率を低下させるかもしれないし、また別の魚では、肉食魚(天敵)の増大を招き資源が浪費されてしまうかもしれない。また、たとえば農薬を用いて害虫を防除する場合、農薬が天敵を減らすことにより逆に害虫が増加するリサージェンスという現象、農作物への農薬残留、環境汚染や野生生物の減少など様々な弊害が派生する。生物個体群は、それに関与する多様な要因との相互作用の結果として1つのシステムを形成すると考えられるため、効果の評価は「システムの最適化」と位置ずけることができる。以下、害虫管理の問題を例に上げ、もう少し具体的に述べる。

3.個体群動態とシステム分析

 個体群動態論はひらたくいえば動物の「人口論」であり、ある種はなぜいつも数が多く、他の種はまれなのかという種ごとの個体数の平均レベルの問題や、大発生や異常増殖がなぜ起こり、どのような過程を経て終熄するのかといった個体数変動のメカニズムの解明が主要な研究テーマとなる。このような個体数変動機構の解明は、気候などの非生物的要因、天敵、競争種、餌生物などの生物的要因の作用が相互に複雑にからみ合い、さらに個体群の量(個体数)と質(遺伝組成)が密接な関連をもって変動することもあり、研究には多くの困難が伴う。イギリスは、第二次大戦直後の1945年に、有名なサバクワタリバッタ研究のため独自の研究所(ALRC、現在は海外害虫研究所COPRと改名)を設立し、カナダやドイツ、スイスの研究者は、森林害虫大発生のメカニズム解明のため数十年間に亘る研究を継続してきた。私自身、1984年から8年間インドネシアに滞在し、「緑の革命」以降の熱帯アジアで稲の大害虫として登場したトビイロウンカについて、個体群動態解析とそれを基礎にしたウンカの発生量の予測技術を開発してきた。

 こうした長期に亘る野外研究は、個体群の変動過程についての数々の輝かしい成果を生み出してきたが、しかし、その成果を害虫防除という具体的な農林業の現場に活用するためには、メカニズムの解明という基礎的研究とは別の応用的手法が必要になる。多様な要因の相互作用によって決まる複雑な個体群の変動過程を記載し分析するためには、システム分析の手法が有効だろう。害虫の個体数変動に関与する様々な要因の相互関係を数量化・数式化してサブモデルを作り、サブモデルを統合することにより個体数変動モデルを作成する、また作物生長と害虫個体群の包括モデルなども作成できる。このようなシステムモデルを用いたシミュレーションにより、害虫の発生量の予測、防除手段の選択とその効果の判定、さらに環境への影響の評価などを、より客観的なものとして提示できるし、またモデルからの予測と結果が食い違った場合、サブモデルを組み替えたりすることによってモデルを改善できる。

 更に、こうした通常の生態学的モデルによりシステムの動向をあらかじめ知ることができれば、ダイナミックプログラミングなどシステム工学のより高度な手法を導入することにより、システムの最適化、すなわち害虫による作物の被害を最少にし、収益を最大にし、そして環境に与える影響を最小にするというすべての視点を含めた最適化を志向する「管理」という考え方が現実のものとなる。そこでは当然、経済学的視点が重要になり、防除手段における利益とコスト、農作物への農薬残留に対する価値判断だけでなく、森林のレクリエーションの場としての、農地の景観としての価値評価、哺乳動物や鳥など野生生物のもつ意味などが正当に評価される必要がある。それは、人間社会が各種の管理技術を通じて生態系に与える影響と、食糧や農地、森林という形で生態系から受ける影響を含めて、「政策モデル」として発展(あるいは結合)する道でもあるだろう。

 加速する自然・環境破壊、生物多様性の喪失という状況の中で、これまで主に害虫管理の分野で発展してきた「個体群動態解析ーシステム分析ー個体群の最適管理」というアプローチは、今後の「環境科学」の担うべき重要なテーマになると考えられる。