生態系保全に至る研究のみちすじ

坂本充

環境生態学科



1.はじめに

 多くの人が経験する様に、私の環境への興味と考え方は、今日までに出会った幾つかの事象と経験により、大きくわくずけられている。東京で生まれ育った私にとり、自然、とくに植物と環境の関係への興味の出発点は、戦後における食料難である。食料を補うために始めた家庭菜園での馬鈴薯や茄子、トマトなどの野菜作り、収量を上げるための人間や牛馬の排泄物の施肥の多様な効果は、その後、植物の成長と栄養の関係についての興味に育って行く。高校卒業後、自然の面影が残る武蔵野の東京都立大学の生物学科へ進学し、植物と環境の関係の勉強をスタートすることにな。3年後半からは、生産生態学の第1人者の宝月欣二先生の指導で、湿原と湖沼における植物生産と栄養塩、特に窒素、りんとの関係の研究に着手、今日に至る研究が出発する。その後、大学院、カナダ、名古屋の研究生活、滋賀県立大学の教員という4つの時期において環境や生物に対する考え方は進展し、環境問題解決のために、より総合的に環境に取り組む必要性を痛感する様になった。これらの過程で、私の環境についての考え方と研究がどの様に推移してきたかについて述べ、今後の教育研究の方向について触れる。

2.学部・大学院時代

 学部から大学院時代に受けた教育で、今日の私の環境の考え方の基本になっているのは、環境は決して独立の存在で無いと云う事である。地球上では、生物と環境は絶えることなく相互に働き合い、生物も環境も時とともに次第に変化してゆく。此の変化において、環境の生物への影響は生物生産の変化として現れ、その生産は逆に環境にインパクトを与え環境を変化させる。生物・環境システムについてのこの考え方に私は感銘をうけ、その後の環境研究における基本的な考え方になった。とくに、此の考え方で大学院時代に進めた湖沼富栄養化の研究は、与えられた栄養条件の湖沼における植物プランクトン量予測を初めて可能にした研究として国際的に刺激を与え、世界の湖沼富栄養化研究の進展に大きく貢献した。

3.カナダ留学時代

 1968年から70年までの2年に亙るカナダでの研究生活は、環境に対する私の考え方を大きく進歩させた。生物の環境という見方しかなかった私にとり、カナダ水産庁陸水研究所のJ.Vallentyne博士の環境保全の研究体系についての考え方に強い感銘をうけ、その後の私を大きく支配する。博士の指摘した重要な事実は、理学部系の真理探究の学問は環境理解に役立つが、問題解決に行き着かない。環境問題解決までには、真理探究以外に解明すべき多くの課題があり、それを追求し、解決していく必要がある。私に影響を与えたもう一つの事実は、カナダ人が自然環境との共存の中で生活をエンジョイしていたことである、自然環境の維持は彼らの当然の権利であり、その保全は当然の行為である。環境汚染に対して社会的、政策的に矛盾ない対応がとられ、それが可能な社会理念が形成されていた。この経験からこれ以後、生物とともに人間にとっての環境を考えて行くようになる。

4.名古屋大学時代

 名古屋大学では、大気水圏科学研究所の前身の研究所において研究を進めた。当研究所で扱う環境は地球科学的視点よりの大気水圏の自然環境であったが、人間活動による環境変化も研究対象に取り上げられ、私は水域富栄養化について研究を進めた。富栄養化は流域からの窒素、りんを含む排水供給増加により引き起こされる一次生産活発化を出発点にする水域の生物・環境相互作用システム(生態系)の連鎖反応である。従って、富栄養化機構と管理の研究には、栄養塩負荷への水域生態系の応答解明が不可欠と判断し、以後、湖沼生態系の動態の研究を進めることになる。この湖沼生態系の研究により、一次生産関連では、赤潮など異常増殖は、栄養塩の急激な供給により特定種の一次生産が活発化することでスタートし、細胞沈降と分解消費の増加により衰退するが、その増殖は上記特定種の栄養塩利用特性で大きくわくずけられる事が分かった。有機物の分解関係では、湖沼生態系は、底泥が生物生産・富栄養化促進因子である窒素の除去能力を持ち、その除去能力は1次生産による有機物供給で規定されるフィードバック機能を持つことが分かった。

 生態学には、湖は統一のとれた小宇宙であると云う古典的認識がある。しかし、多様な生物と環境の相互作用系である湖沼生態系は、遺伝子が1個体全体の機能を支配する生物個体と異なり、機能の統一による系の安定性はないと云う意見もある。しかし、過去35年の研究経験から、湖沼生態系は、生物・環境の働き合いにより負のフィードバックが働く統一ある相互作用系を構成し、赤潮発生など高エントロピー状態は、いずれ安定状態にもどる機能を備えていると信じている。この湖沼生態系の機能を更に解明するため、1985-88年に関連研究者と協同して撹乱に対する湖沼生態系の応答と回復過程を追う大規模研究を諏訪湖で行なった。その結果、外力により応答は異なるが、湖沼生態系はある限界内で外力への抵抗能力があり、撹乱後の回復力も強いことが示された。

 富栄養化に関連し、水質管理目標も名古屋時代に検討を進めた。富栄養化管理には、人間起源栄養塩の流入制限のための水質目標が必要とされる。環境庁中央公害審議会の水質目標検討で、私は自然科学的立場からの水質目標の設定を担当したが、その適用にあたり住民の水質評価は、地域社会により大きく異なり、地域住民の意向を入れた対策の必要性を痛感した。湖沼の合理的環境管理のためには、今後、地域住民の価値判断を環境保全型に変革し、水域への負荷を自然の環境浄化能の範囲内に収めることが緊急課題である。

5.滋賀県立大学環境科学部における取り組み

 この様な理解の中で、環境の権威者である多くの先生方とともに、県立大学環境科学部における環境教育の検討を進めることとなる。此の検討の中から、持続的人間社会建設には「自然環境」と一般に表現される「自然の生態系」の特性の理解と、その特性に合った社会システム確立を目指した教育研究の推進の必要性を強く感じている。

 この大題目の一部として、私が現在取り上げたい課題に触れておこう。従来、わが国の水質保全対策では、自然生態系が持つ環境浄化能を無視して、汚濁物質の流入軽減の技術的対策に重点が置かれてきた。矛盾のない湖沼環境・生態系保全策の確立のためには、湖沼・集水域を通じての生物の環境浄化能をふまえた生態系保全策と水質管理とを密接に関連させ進めることが必要である。これに答えるために、当面は外的インパクトに対する応答等の解析から、湖沼生態系の生物の動態と環境浄化・安定化機能の関係を解明し、その内容の総合化を通じて、持続的人間社会創造に不可欠な生態系保全策を確立する教育研究を進めたい。