環境科学と滋賀県立大

大畑哲夫

環境生態学科


 環境科学に関しまとまった内容を現在、書く準備は出来ていないので、日頃、環境科学およびそれを推進する方法について考えていることを書く。

 環境科学および環境学という内容は様々であり、統一的な像は生み出されていないというのが、現状であろう。環境科学だ、いや環境学だという議論も聞かれるが、それは結果が決めることであって、まだ内容と方法論が判然としないので最初から議論することではない。年輩の先生方はそのことを議論したがる傾向を感じるが、その議論に余りのらない方が研究領域は発展すると思う。よって、与えられたテーマは「私の環境学」であったが、やはり環境学というのは現在理解しがたいので、既存学問分野の総合体としての体系を表現している環境科学を使う。

(1) 環境科学が目指している方向を支持する

 科学というのは、細分化され、専門化されてきた歴史がある。それによって進歩したし、またある面では弊害が生じてきた。昔から環境という言葉はあったが、それは公害、汚染という形をとってきた。個別の空間的に狭い問題を扱っていた。それをあえて、最近環境という言葉に置き換えたのには大きな理由があると思う。それは問題がグローバルになったからである。環境とは、人間のおかれている空間を総合的に見なければ人間は困りますよ、という現象がはっきりしてきたから登場してきたのである。スプレー等のフロンがオゾン層を破壊し、生産から排出される二酸化炭素が地球の温度、水の循環を変えてしまう。そんなことが分かってきたから、これはたまらんということになり、新しい動きに進んでいった、と私は思っている。今まで問題になってきたローカルスケールの現象までその勢いを借りて、発展しようとしているというべきか新しい局面を切り開こうとしているが、常にこのようなことは起きる。

 私は、自然、社会、人間を包含した地球システムにおける物質循環、水循環、エネルギー循環を総合的にとらえ直し、理解し、方策を示す科学という点で私は環境科学を支持する。個別的な分野の問題は持続的に発展を遂げればよいわけで、先頭に立つべきではないと考えている。それは、現在重要と考えられている大事な問題が矮小化されてしまうから。

(2) 環境科学は循環および変動の科学をキーワードとせよ

 物質、エネルギーが地球の中を様々な空間スケールで流れている。その部分部分を扱う個別学問領域は、個別対象を中心にして発展してきた。それをつなげる研究範疇、そして概念が欠如していたことが原因で現象にすぐ対応できなかった。つまり、人類の盲点を突かれたわけである。様々な分野において、現象理解の上で盲点を突かれることは、よくよくあることであり、今までは個別分野の研究グループ、ないし個人で対応できてきた。しかし、今問題になっている環境問題はそれではだめで、いろいろな分野の専門用語の異なる研究者が手を組み、協力しないと達成できないテーマを突きつけられてきた。やる人間にとっては大変である、しかしそれを地球システムは求めている。環境科学として重要な1つの切り口は物質、エネルギーなどの「循環」である。

 自分の関係している分野からやはり発想が生じてしまう。ただかなりの普遍性はあると思っている。私の関係している水・エネルギー循環、個別学問領域で言えば気候、気象、水文、雪氷は変動が心配されている。よくよく考えれば、人間社会こそ変動の最も大きい部分かもしれない。本来100年単位であれば、地球の水循環など地球の現象は安定していると考えれていたのが、現在はそうではなくある方向に早い速度で進んでしまうという懸念が生じてきているのである。動いている地球の総合的なプロセスを今まで人類はつかんだことはない。現在それをやろうと思えばある程度までは可能であり、それをつかむことによって、得られる知識は莫大であると思われる。現在進行中の変動、変化について、必要な要素を必要な量だけとれと言いたい。つまり変動をきっちり押さえ、理解することを努力せよと。よって、第2の切り口は「変動」となる。

(3) 環境科学の学生教育の基本は二専門性である

 環境科学の研究対象の性質からして、一専門分野の取得では不足である。一分野の専門性を持ちたいと思う学生は他の学部に行けばよい。しかし、何でもこなすというのは良いが、それは人間の容量からして不可能である。私は二専門を持つ人間が適切だと思う。このような人間は、たやすく必要なときに第三の分野もこなすことが出来る。不足分野の穴埋めもこのような人材であればできる。

 注意しなければいけないのが、環境科学は総合化を目指した体系を作ろうとしている、よって学生も総合的にならなければいけないという雰囲気があることである。そのようなことは所詮無理だし、消化不良な学生、社会にとって役立たない人間を大量に作ってしまうだけである。学問領域、研究者の方向性と学生の教育を混同することは注意しなければならない。

(4) 環境科学の研究・教育を推進するためには斬新な枠組みが必要である

 ここからは私が所属する滋賀県立大学の環境科学部に関する事柄を書く。新しい学問領域を目指す若い学部は、目標を研究教育面、組織面で特色が必要であると日頃考えている。具体的な構造の検討なしには新しい学問領域の研究・教育の発展はありえない。ここでは幾つかの点に関し結論のみ書くことにする。

 学部の環境科学を発展させるために、こだわる概念は先ほどの循環と変動であり、農学、理学はもちろんのこと、細かく言えば生態、農業生産などに対するこだわりを組織としては少なくとも捨てることが重要である。各個人は過去を引きずる、しかし新しい展望が開ければ、見えてくれば変化していく、特に若い人は冒険が出来る。人間、生物および水を中心とした循環と変動の環境科学に関し、10〜20年後に向けての学部としての目標を構築することが、現在最重要であろう。

 上記(3)に関して、滋賀県立大学の学生が専門とす・る二つの分野とは何が適当か? 生物系科学・物質科学・水科学・社会科学の内の2つと私は考える。

 適切な研究・教育を推進するために具体的な組織が形成される。目標を達成するために組織を発展・維持することが重要であり、人事、予算、給料体系においても数多くの工夫が必要である。

 一つは世代の問題。年輩の人は、経験もあり、蓄積が大きい。それらの人の貢献が期待される部分は、全体のバランスからいうと教育と渉外である。新しい構想、冒険を必要とされる若い大学においては計画、運営は若い人に任せた方が良い。

 また、県立大学であるが、全国区、世界を相手にした環境科学の出来る大学にしよう。これは単に個人的な希望ではなく、客観的にみて今後、日本は政治的にも行政的にも、地方分権、地方の活性化に進んでいくことは必死である。地方が地方のことだけでなく、日本、世界のことを考えるということである。10〜20年後に日本全体としてまた世界的に名の通った大学があれば、県としても評価される。時代は変化している。

 また、目指す科学の構築のために予算の有効投資が必要であろう。予算は流れを作るということを認識すべきである。