私の環境学

岡野寛治

生物資源管理学科


 家畜を狭い場所で密に飼えば、非常に臭くなる。まして、床に糞尿の混合した敷料をしばらく放置すれば、一層臭気は強烈となる。人は便所を作り、さらに水洗方式で住居から流しさり、また、体臭も風呂に入ったり、衣服を洗濯することで軽減してきた。強い臭いを持つ家畜は、人の生活の周辺から追いやられ、子供も大人も生きている家畜を見ることなく、牛乳、肉、卵という食品と絵本のみで家畜の存在を認知するようになっている。

 これまで小生は草津駅から歩いて10分の所で、牛、羊などを研究対象としてきたが、草津市内や栗東町の園児、小学生が集団で、また中学生、高校生、家族が臭いであろうにもかかわらず家畜の見学に度々訪れた。研究に支障のある時もあったが、実際に家畜にふれることで、とくに幼児の精神形成に役立っていると信じ便宜をはかってきた。彦根地域も家畜の少ない所なので、家畜を近所の園児や小学生に見せてあげられるような施設が作られたらと思っていた。しかしながら、現在の本学のキャンパスには十分な施設もないので、家畜を間近で見せてあげられない。このことは、環境教育の面からも非常に残念なことである。家畜は人間と同様に、生きていることで、環境の汚染源である。そこで、本学の周辺の住民の方々が、大学設立にあたって家畜が飼育されることによる環境汚染に懸念を示されたのは当然のことではある。今後に期待することとして、周辺環境に悪影響を及ぼさない、学生や近くの住民の方達と家畜がふれあえる場ができればと願っている。

 家畜は食品としてだけではなく、肥料や医薬製品の原材料としても利用されており、人間が健康に生きていくためには欠かせない有用な動物である。国民の栄養改善のため、わが国の畜産業は水産物を補足する蛋白質源として、急激に生産量を伸ばしてきた。また、経営的な面から畜産農家は多頭飼育を進めてきた。その結果、膨大な家畜糞尿が排出され、もともと農地に立脚しない発展であったがため、化学肥料の普及もあり、水質汚濁や悪臭などの畜産公害を引き起こした。畜産公害の防止が畜産経営の継続を可能にするかどうかの鍵となっている。

 畜産公害を防止するために、当初選択された手法は、人間の屎尿と同様に、焼却や水処理法であった。しかし、オイルショックの後、家畜糞尿の汚物感をなくし、肥料として取り扱いやすくなるように、天日を利用した乾燥や発酵堆肥化法が採用され、地域農地に肥料として土壌還元されるよう努力がなされた。しかし、家畜と住居の近接による臭気問題、家畜生産と作物生産の連携を支える農業者や農地の減少など、畜産経営を取り巻く環境は依然厳しい。

 現在の日本の畜産経営は、畜産物の輸入自由化による国際競争にさらされ、生き残れるよう懸命な経営努力がなされている。最近の牛乳の乳脂肪含量は3.5%以上のものが普通のように販売されているが、日本以外の国でこのような高脂肪の牛乳を飲む国はない。また、このように乳脂肪含量を高めることで、一時停滞していた牛乳の消費量が増加したということである。農家は売れる物、収益の大きい物を生産しないと経営が立行かない。生産者乳価も上がらない状況のなか、乳量と乳脂肪を増加させるためには、円高でもあり、自己の農地で生産される草より外国から輸入された良質の乾草を使うしかないと飼料作物の生産を止める農家も現れた。肉牛農家でも、牛肉の自由化により、高価格の霜降り牛肉を生産しないと経営が成り立たなくなってきた。それに対応するため、外国から輸入された穀類を牛の特質を無視して一層長期間、たっぷりと給与するようになった。また、子牛産地でも草で育った子牛は霜降り肉になりにくいと市場で安く評価されがちであることから、穀類給与がなされるようになった。乳脂肪含量の高い牛乳や霜降り肉を高品質牛乳、高品質牛肉と呼んでいるが、実際は高価格畜産物と呼ぶべきであろう。以上のような、畜産経営の動きは持続的とは言えず、資源浪費型畜産であることは明らかである。畜産の研究機関においても、畜産経営を安定させるものとして高品質牛乳、高品質牛肉生産の技術開発がなされている。消費者のニーズに合わせることと自分達の生活のため、このような畜産経営は間違っていると言えないぐらい、輸入自由化によって日本の畜産は追いつめられているのである。

 世界の食料問題を考えれば、わが国が食料生産を放棄するのを良しとは思わないが、環境への窒素(化合物)の過大負荷が問題となっている現状と農業を取り巻く種々の困難な状況を改善する方策がとられないのならば、穀類を外国から輸入して行われている牛乳、牛肉、豚肉、鶏肉、鶏卵の生産と窒素肥料(化学肥料)の使用を減少させることが、環境への窒素化合物の負荷を減少させる解決法のひとつとして選択される。しかし、その前に、私たちにも食生活についての正しい教育がなされる必要がある。高品質畜産物とは健康を守る栄養素を含み、安全な食品である。輸入に頼るのではなく、この日本で、家畜それぞれの特質を生かした畜産経営はできないのであろうか。

 当面の経営を左右する課題についての試験研究は今を生きる畜産経営者にとって重要なものであるが、今後の畜産学教育研究には今以上に環境保全を考慮した視点での教育と研究が大切である。小生は家畜生産から環境への窒素負荷を減少させる研究や未利用資源の飼料化を当面の課題にと考えている。家畜生産の効率を低下させずに、排泄される窒素量を減少させるためには、給与される飼料の蛋白質のアミノ酸組成を良好にし、蛋白質含量を低下させる飼養技術で一定可能となるが、反芻家畜では未だアミノ酸の要求量が定められていない。また、食品製造副産物の中にはまだまだ飼料として利用率の低い物もあり、利用システム開発の研究の必要があると考える。

 国土の狭いわが国でも、山地を利用するシステムでもっと畜産物が自給できるという提案もなされている。経済性の追求が、家畜と人間を仲違いさせたのであるが、山地の利用も含めて、家畜と人間が仲良くふれあえるような地域の環境整備と技術、それを支える研究も重要である。

 最後に"タイの田舎から日本が見える"(山下惣一著、農山漁村文化協会)の一節を紹介したい。

「わたしたちはいま日本の農村で、すくなくともアジア各国の農民達と比較すればきわめて豊かな生活を送っている。都市でも同様である。しかし、アジアの人たちが、あるいは世界中の人々が同じような生活を目指したとしたら、わたしたちの今の生活が成り立たないことも予感している。

 もし、アジアの人々に向かって、どうぞ日本のように、日本人のようになって下さいと本気でいえたら、どんなにか安気なことであろう。早い話、食料自給率がカロリーベースで四十六%、年間のごみの排出量が四億五千万トンという国、アジアの各地、あるいは世界中に次々と誕生したとしたら、待っているのは破局だけである。わたしたちは十分にそのことを認識している。したがって、防御本能が働いて、タイの農村のシンプルな暮らしに触れて心が安らぐのではないか?」