臭くて、環境にやさしい話

中嶋隆

生物資源管理学科


 新聞の社会面を開くと、贈収賄にまつわる記事が相次いでいる。いつの時代でも、政治には臭い話がつきものである。ところが、直接政治にかかわりのないわたくしが、臭い男になってしまったのである。30年前、自然のなりゆきで畜産に足を踏みいれたのをかわきりに、家畜の糞尿にまみれ、他人がそばへ寄れば鼻を押さえ、いやな顔をされることになってしまった。昨年より、県立大学環境科学部に所属してからは、畜産の環境保全のための研究テーマを手がけるようになったことにより、この悪臭からまた離れることができなくなってしまった。畜産業からの悪臭防止に関係する研究や、家禽の糞中リンの低減化に関係する研究を行っているからである。

 ところで、この家畜の糞尿であるが、臭いものには間違いはないが、たいした物であるという話をしてみたい。

 最近、有機農業とか有機栽培いうことばが、米や野菜の生産によく使われている。農薬をあまり使わず、肥料も有機質肥料で栽培したものという意味である。しかし、農薬、化学肥料なしという栽培方法では、1億2千万人の食料を満たすことは不可能である。土地を豊かにするためには、有機質肥料が絶対条件であることには間違いない。その有機質肥料のおもなものは家畜の糞尿である。

 滋賀県の耕地面積(約6万ha)に、土壌改良や有機質肥料として、投入できる堆きゅう肥は、約100万トンである。滋賀県の家畜の数から割だした堆きゅう肥生産量は、約12万トンである。そのすべてを土地還元しても作物の栽培には不足する量である。それにもかかわらず、畜産農家の倉庫には、堆きゅう肥が山積みされ、耕種農家による堆きゅう肥の利用が進んでいない。これには、汚い、臭い、散布に手間がかかる、化学肥料より価格が高いなど、他にもいくつかの理由があるが、要するに価値の問題である。生産側の畜産農家、消費者の耕種農家、そして堆きゅう肥の流通や両者の連携をつかさどる農業団体や行政の意識改革が必要であろう。

 昔、中国の毛沢東主席が、中国は人口と同じ数の豚を飼育し、その糞尿を土地へ施し、不毛の土地を肥沃にしてはじめて中国の繁栄があるといったが、なかなか含蓄のある言葉である。ある時期、日本の農業が農薬や化学肥料の多投で自然環境を破壊していたが、なんとかして、祖先が残し与えてくれた土地を豊かにし、子孫に肥沃な美田を残さなければならない。そこで、家畜の糞尿の出番である。臭いものは、たいした物であるという話になる。

 一方、畜産公害といわれる悪臭や、水質汚濁、騒音、有害昆虫の発生なども、いまだに発生している。

 畜産経営にとって避けることのできない悪臭、水質汚染などの環境汚染問題は、市街地の拡大と農村部の混住化、畜産経営の規模拡大などの急激な進展とともに発生してきた。この問題は、昭和45年ころの他の公害問題とならび大きな問題となり、そのころから水質汚濁防止法、悪臭防止法、廃棄物の処理及び清掃に関する法律など、畜産経営に関わりの大きい法令が制定された。

 昔の農業は、有畜農業が大部分で、各農家には牛や馬が同じ家屋に住まいし、主人といっしょに田畑へ出かけ、土地を耕し、ともにはたらく家族の一員であった。また、庭先には鶏が餌をついばむ姿もみられ、そこにはのどかな、平和な農村があった。それが、戦後、著しい経済の成長で、人間の生活形態や価値観すら変えてしまい、その歪みが農業にも大きく現れてしまった。たとえば、有畜農業から機械化農業へ、化学肥料の多量施肥、農薬の開発と投与、ハウス栽培による四季をとわずに生産される野菜や花、家畜家禽の過密な飼育、また一度も土を踏まずに、一度も太陽を浴びることもなく肉になるブロイラーなどである。技術革新は生産性を高めるが、知らず知らずのうちに地球の自然環境に対し、ルール違反を犯してきた。苦い思い出がある。

 いまからちょうど30年ほど前のことである。当時は経済成長のまっただ中で、畜産生産物も作れば儲かる時代であった。鶏の糞は、牛や豚に比べ水分含量が少なく、処理方法の一つに焼却方法があった。焼却には、燃料を使わずぼつぼつ燃やしていく自燃式以外に、重油や石油などの化石燃料を多量に使うことで効率よく処理ができた。県内でも、あまり費用をかけずに、悪臭も少ない焼却方法が開発されれば、それを見るために関係者がどっと押し寄せた。わたくしもその一人であった。

 昭和48年頃のオイルショック以前には、肉牛の糞尿を重油を使う焼却施設や、ドロドロした糞尿の重油を使う乾燥施設が、国の補助事業で数多く導入された。滋賀県でも、立派で大きな施設がどんどん設置された。しかし、オイルショック以後、それらは無用の長物となり、何年かあとには、錆でかたまった鉄の塊として放置されたままになっていた。

 また、豚の糞尿処理方法の一つとして、牛と同じように国の補助事業として、水処理が流行した。豚は、牛や鶏と違い糞尿処理が難しく、液状の糞尿をそのまま多量の水で希釈して、活性汚泥を用いて処理した水を河川に流す方法である。それらの結果、現在、川が汚染し、生態系が壊れ、環境からの反撃を受けている。環境を保全するには、国民一人ひとり、日常の行動が環境にとってプラスかマイナスかを、いつも念頭において行動することが大切である。

 現在、生物資源管理学科の教員としてのわたくしは、環境に優しい持続可能な農業生産が、今後の日本のみならず世界の農業のあり方であると確信している。「広い立場から自然環境と人間社会の調和を考える視野を身につけた人材を養成する」としている教育理念に基づいて、教育を受けた県立大学環境科学部の卒業生が、従来の生産性一辺倒の農業がもたらした歪みを是正して、環境に優しい生き方を考えてくれることを願う。