碧い琵琶湖を曾孫に託すために

三田村緒佐武

環境生態学科


 環境間題とは何か。「環境」とは「生物(主体系)をとりまき、生物の生存に相互作用をおよぽしあって関係する外界(環境系)」と定義することができる。これは生態学的な環境を意昧しているが、主体系の生物を人間に置き換えると環境系は今日的な課題(環境間題)を含む環境ということができる。そして「環境間題」を、急速な環境の変化による人間生活への影響ととらえたい。環境問題を認識するために、これらは「自然的環境」「社会的環境」あるいは「文化的環境」などに分けて扱われる。

 「環境」の定義にみられるように、人間(主体系)とその環境(環境系)に相互作用が存在しない場合、または両者の間に動的平衡が成立しているときは環境問題は生じない。いいかえると、人間活動が環境の容量に対してきわめて小さいとき、または人間が自然の一員として自然のしくみの中で生活している場合、環境問題は生じない。逆に、人間活動の増大が環境系のもつ調節機構を越えると、人間とその環境との間の動的循環が機能しなくなり「環境問題」として人間に影響をおよぼすようになる。

 さて、私たちが克服しなければならない地球規模あるいは地域的な環境間題は現代病だろうか。人間による環境破壊は古代の文明誕生にまでさかのぽるといわれている。環境考古学者によると、メソポタミア都市文明を契機として、それまでの自然と人間が共存して生活を営む「自然=人間循環系の文明」から、人間が自然を開発・管理し自然破壊をもたらす「自然=人間搾取系の文明」に移行したという。その後、人間中心主義に立脚した自然征服型の文明がつぎつぎと世界を制覇していったため、今や地球上には豊かな環境は限られた場にしか残されていない。

 人間生存の「持続可能」な社会の構築のために、過去の都市文明や産業革命など文明の盛衰と環境間題との関わりを問いなおし、人間の営みを再評価することから始めなければならないように思う。環境問題は、私たちが豊かで快適な生活を求める中で多量の資源とエネルギーを消費し、廃棄物を環境に排出してきたことが主な原因である。これは、自然があまりにも広大で寛容であると信じていたからではないだろうか。私たちが共有する空間はそれほど大きくはなく、かつ人間の力に対してそれほどしなやかではないことを認識する必要がある。その意味では、自然と共生して生活する先住民の「自然と人間が共有する循環思想」の智恵を今一度学ぶ必要があるように思われてならない。

 環境問題を解決していくために、私たち一人ひとりが環境問題の重要性を認識し、生活のあり方を見つめなおす必要がある。望ましい人間環境を保持するために次の三つがその方策として重要である。

(1)環境の動態把握とその解析=環境認識

(2)汚染や破壊を防止し望ましい状態に復すための技術の開発と、環境行政の積極的な取り組み=環境改善

(3)環境に対する意識や解決のための力を育成する教育=環境教育

 顕在化した環境問題に早急に対処する「環境改善」は今日的課題として重要である。しかしながら、環境問題を根本から克服するための最も基本的な課題は「環境認識」と「環境教育」であると判断される。

 このような観点から、望ましい姿の「琵琶湖」を未来に託すために、私は琵琶湖とその集水域の「環境認識」と、琵琶湖を教材・素材とした「環境教育」に関する教育と研究を進めている。

 琵琶湖の環境問題はその原因によって大きく次の三つに分けられる。

(1)湖に棲む生物や水を利用する人間の営みに直接影響をおよぽす物質による汚れ(農薬・重金属汚染など)。

(2)水生生物の増殖・成長に影響をおよぽす栄養塩の流入負荷による水質悪化(富栄養化など)。

(3)湖沼開発にともなう水質浄化機能の低下と景観破壊(なぎさの滅少など)。

 その中で「富栄養化」は、克服しなければならない重要な課題である。富栄養化は、湖沼の栄養塩濃度が人間活動によって高められ、生物生産が増大し、水質が貧栄養から富栄養に変化し水域(琵琶湖)生態系が変容し、ひいては生態系の破綻をまねく。

 淡水赤潮、アオコによる水の華、ピコプランクトンの異常発生に代表されるように、琵琶湖は富栄養化にともなって次々と水質汚濁が進行してきた。琵琶湖生態系の変容は、急速で大規模なことから、多くの場合人間に好ましくなく、私たちに大きな影響を与える。

 琵琶湖の環境問題を解決する方法は、急を要する場合は対処療法が用いられるが、生態系を十分理解せずに手を加えると、生態系の破綻をまねき、とりかえしのつかないことになる。したがって、基本的には琵琶湖の水の流れや水質などの「構造」と、食物連鎖などの「機能」を把握した上で湖沼管理を行うことが望ましい。さらに、人間活動との関わりにおける琵琶湖生態系の環境調整能力(緩衝能力)なども把握しておく必要がある。

 一方の重要な課題である「環境教育」は「人間にとって環境とは何か」という命題を科学的に認識し「より望ましい人間環境を創造する担い手としての学習者を育成する」ことにある。

 環境教育は「体験する」「理解する」「創造する」の三つの段階を経て進めていく必要がある。身近な水環境を「観る」「聴く」「嗅ぐ」「味わう」「触れる」の五感を通して直接体験し、自分たちの環境に興昧・関心をもつようにしたい。これらの体験学習により、自分自身も環境の構成要素の一員であることに気づき、よりよい人間環境を創造するために、どのような生活を進めるべきかを身に付けるようにすることが重要である。この中で、閉じた地球生態系は物質系として動的平衡を保っている事実を理解するとともに、無秩序な人間活動が環境破壊を招いたことに気づく必要がある。さらに、望ましい環境の創造に向けて自ら行動できるように育成しなければならない。

 私たちは、環境問題の解決に向けて、私たちの生活のあり方を根本から問い直す必要があり、その心の倫理、すなわち「環境倫理」を自ら構築していくことが可能になるための「環境教育」がますます重要になってくる。その中でも、地球と人類の未来を託す若者たちへの「環境教育」が基本的中心課題である。なぜならば、人間は教育を受けることによって、新たな文明の創造に向かって行動できる動物であるからだ。

 かけがえのない豊かな地球が、取り返しのつかない危機的状況に一歩一歩近づいている。私たちの生き方が今問われているのではないだろうか。46億年かかって育まれた緑豊かな碧い地球を、今まさに私たちは瞬時に破壊しようとしている。私たちは、曾孫に棲み良い地球環境を残せるだろうか。

 このような思いを心の原点にして、水環境に関する教育と研究をさらにすすめていき、碧い豊かな琵琶湖を再びよみがえらせることを私の生きかたとしたい。