「生活隣接型農業」の視点−基本法論議によせて−

増田佳昭

生物資源管理学科



基本法論議

 昨年9月、農水省に設置された「農業基本法」に関する研究会が報告をとりまとめた。近年の農業とそれをとりまく環境の変化は著しい。とくにガット・ウルグアイ・ラウンドの決着の農業政策への影響は大きい。制定後35年を経た農基法の見直しもむべなるかなである。

 問題は、新たな基本法が農業について、どのような理念なり政策目標を掲げるかである。昭和36年の農基法は、「農業生産性の向上と他産業との生産性格差の是正」、「農業従事者の所得増大と他産業従事者との所得均衡」など、だれにでもわかりやすい明確な政策目標を掲げた。新基本法が農業にかかわるどのような理念を提示するのか、おおいに注目されるところである。

 しかし、新農基法に先行する「新政策」(「新しい食料・農業・農村政策の方向、平成4年)の基本理念は、「大規模化」、「効率性」、「競争力強化」といういわば市場原理の徹底を基調に、「環境保全型農業」と「中山間地域対策」が木に竹を接ぐように付け足されたものだった。新政策理念の延長上に新基本法が構想されるとしたら、農業者にとっても、消費者にとっても、新基本法はそれほど魅力的なものにはなるまい。

アメリカの農業とヨーロッパの農業

 かつて来日したアメリカの農業経済学者と、米市場開放をめぐって議論したことがあるが、そのあっけらかんとした経済観には驚くとともにあきれてしまった。簡単にいうと、「農業の発展は必然的に過疎をもたらす」というわけである。―技術発展は生産性の向上をもたらし、農業経営の耕作規模はかならず拡大する。当該地域の耕作可能な農地には限界があるから、地域内での農家数は必然的に減少する。これは経済法則である―。「農家数が減れば、その地域で何らかの社会問題が生じるではないか」との当方の意見に、「それは農業経済学の課題ではない。社会学の問題だ」との返事である。

 「生産性の向上」のみを政策目標とした場合、このような議論も妥当である。だが、農業の現場はそう単純ではない。それぞれの地域の農業のあり方は、当事者である農業者の生活だけでなく、地域住民の生活や環境などさまざまな要素と、多面的に関わっているのが現実なのである。だからこそ、農業政策はつねに、多元的な政策目標を掲げざるを得ないのである。

 この3年ほど、連続してヨーロッパ農業調査の機会を得た。印象的だったのは農業政策が「農村地域での定住」や「生活環境の保全」、さらには「景観の保全」など多元的な目標をはっきりと掲げていること、そして、実際に人々の生活の中に農業がしっかりと根付いていること、つまり農業と生活が共存していることである。あくまでも相対的なものだが、アメリカの農業政策がどちらかというと競争力や生産性という農業単独の政策目標を設定し、ヨーロッパの農業が生活や環境という多元的な目標設定をするのは、たんに農地の広狭の差にとどまらない、新大陸と旧大陸における「農業と生活との隣接度の相違」によるものではないか、と考えさせられた次第である。

「生活隣接型農業」

 「農業と生活との隣接」という点では、日本におけるそれはヨーロッパの比ではない。森林が国土の大部分を占める中で、住宅と農地とは文字どおり混在、隣接している。農業と生活が隣接しているとはいっても、広大な農地をもち、都市と農村が画然と区別されたヨーロッパのそれとは全く違うのである。わが国の農業は、その意味で高度に「生活隣接型」なのである。

 「生活隣接型農業」の特徴は、一言でいえば、農業と生活とがきわめて多面的な接触軸をもっていることである。アメリカの農業が、極端にいえば「食物の生産」といういわば一点で農業が非農業者の生活と接触点を持つのに対し、ヨーロッパの農業や日本の農業は、広い意味での生活環境として、幅広く人間の生活と接触点を持つのである。

農業と生活 −その多面的な接触軸−

 恥ずかしいことだが、以前過疎化のすすむ村の調査の際、住民の方にしかられたことがある。労力不足で荒廃化しつつある集落周辺の茶園をさして、「いっそのこと雑木林にしたらどうですか」といったところ、「周りが山になったら、むらが暗くなってしまうじゃないですか」と気色ばんで反論された。農地は単なる農業生産の手段ではなくて、文字どおり生活環境なのであった。

 その点では、滋賀県が平成元年からとりくんでいる「集落営農」は、「生活隣接型農業」のあり方を考える上で、もっと注目されてもよいと思う。集落営農(県の政策としては「集落営農ビジョン」事業)は、担い手不足に悩む農業の再生を、集落ぐるみで行おうとするものだが、それだけでなく、農業の改善とともに農村環境の整備もあわせて行っていこうというものである。水田農業が地域の生活と密接な関連をもって営まれている実態に適合した政策として、地元では総じて歓迎され、少なからぬ成果をあげている。

 農業と生活との隣接は、プラス面と同時に多くのマイナス面をもっている。都市農業における農薬散布をめぐるトラブルはあとを絶たないし、農村地域での航空防除はさまざまな問題を生じさせている。肥料散布をすれば「悪臭公害」である。農業サイドからいえば、農地への空き缶やごみの投棄は日常茶飯事で、怒りのやり場に困っているのが実態だ。用水への生活排水の混入もいらだたしいことである。

 だが、都市住民にとって、生活に隣接して農業が存在することが大きなメリットであることも事実である。近隣の農地を利用して家庭菜園を楽しむこともできるし、ちょっと足を伸ばせば豊かな自然と農業を満喫することができる。条件さえ整えば、「生活隣接型農業」は、都市住民にも無限の可能性を与える宝の山なのである。

「成熟社会」における農業の位置づけを

 21世紀を目前にした今日の段階で、新政策のように「効率化」、「大規模化」の論理を農業政策の理念としても、その行く末は自ずと明らかであろう。農業と生活との多面的な接触軸の現実を見据えながら、生活にとってもっとも望ましい農業のあり方を追求することが、「成熟社会」ともいうべきわが国における農業政策の基本的なスタンスたるべきだろう。それはおそらく、従前の「食料供給産業」に加えて、我々の生活を真の意味で豊かにする「生活環境農業」としての位置づけを、積極的に打ち出すことであろう。


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