保全生物学と行動生態学について

近雅博

環境生態学科


 現在人間の活動が直接、間接の原因となって地球上の生物多様性が急速に失われてきている。これは重要な地球環境問題のひとつとして認識されている。この生物多様性の保全を目的として、この問題に総合的に取り組むのが保全生物学である。

 生物多様性の保全をおこなおうとする場合、まず生物多様性の現状を認識し、必要があるときに具体的保全の方策を提案することが保全生物学に求められている役割である。生物多様性は遺伝的多様性、種多様性、生態系の多様性など生物の世界のさまざまな階層レベルにおける多様性をすべてふくんだ概念である。進化的に生物多様性が形成されてきたしくみ、またそれが現在維持されているしくみ、生物の集団の個体数の減少と絶滅にかかわる要因などを解明することを目的とした進化生物学や生態学が保全生物学の基礎となる。しかし保全生物学は単に生物学の基礎知識だけでなりたつものではなく、生物多様性の保全の必要性についての価値観や保全の方策を実行する場合の社会的手続きなどについての問題にも関係しており、社会科学や倫理学の知識も必要とする学際的な分野である。私はこれまで動物系統分類学、行動生態学(進化生態学)など進化生物学や生態学の一部を専門として研究してきてた。しかし保全生物学をトータルに学ぶためには、今後より広く価値観の問題まで考慮して学んでいかなければならないと考えている。

 生物多様性の保全の必要性についての価値観として大きく分けて人間中心の立場と必ずしも人間中心ではない立場がある。人間中心の立場は理解しやすい。人間の個々の個人の快適で豊かな生活のために生物多様性が必要だからそれを保全しなければならないというものである。ただ人間中心の立場の価値観も実際には多様である。経済的に価値のある未知の遺伝子資源として野生生物を次世代に受け渡さなければならないという場合もあるし、生物として人間が生存していくために不可欠の水や空気の供給のサービスを生態系から受け続けるために生態系の生物的要素も保全する必要があるという場合もあれば、自然の多様な生物に触れることの審美的価値を評価する場合もある。また個々の人間のおかれている立場によって生物多様性のみならずより広く環境というものの価値は異なってくると思われる。そのような価値をなんらかの一元的な尺度に変換して比べることは難しい問題である。実際になんらかの方策を探るとき多様な価値観をひとつの価値尺度についての目的関数(評価関数)にまとめることができれば、問題は単にそれの最適解をもとめることに帰着するかもしれない。つまり目的関数が明確に定義されればあとは最適解達成のための技術をいかに開発するかという応用的問題になるのではなかと思う。これまではなんらかの意志決定をおこなうときの価値尺度は比較的短期的経済的利益だったのではないかと思う(もっとも目的関数の通貨を経済的尺度に一元化できたとしてもそれが誰にとってのものかということは問題として残るが)。しかし今後は我々の子どもや孫世代以降にとっての価値というものも考慮していかなければならないだろう。

 さらに人間中心ではない立場として長い進化をへて形成されてきている生物のそれぞれの種はそれ自体存在価値があり保全されるべきものであるという考え方がある。そしてこの考え方は最近より多くの人々に共有されるようになってきているようである。ただ現在人間によって認識され学名を与えられている種の数はおおよそ150万種にすぎない(現生の種の総数は1000万とも5000万とも推定されている)。また種の認識がまだできていないというだけではなく、もっと根本的な問題として種の一般的定義そのものが生物学において一元的に確立してはおらず、進化的に形成されてきた生物多様性を理解するのに種という単位による分節化の有効性そのものを疑問視する見方すらある。このような現状において、個々の種の存続自体に価値があるという考え方が多様な立場の人間を説得する一貫性のある基準となるにはやや困難があるようにみえる。だが価値観として有効であるかは別として、他の種の生物という人間以外の主体にとっての環境の意味を考慮するという観点は重要なものであると思う。

 行動生態学(進化生態学)は生物の種のそれぞれの生息環境に適応した生活(環境の中でのふるまい)を自然淘汰による適応的進化の結果として統一的に説明することを目的としている。その種の生活を知るということはその絶滅の可能性を評価したり保全策を提案する場合の基礎データを提供するという意義も持っているが、それだけではなく自分(人間)とは異なるものを必要としている他者について理解しようとするよい契機となるのではないかと思う。他の種の生物のふるまいを適応的進化の観点から理解するということは、実際には人間の科学知識の体系に合うように他者のふるまいを解釈しているにすぎない極度に人間中心的いとなみなのかもしれない。しかし少なくとも環境にたいして自分とは異なる要求を持って生きているものの存在について想像してみるということは、今後環境に対する多様な価値観をもった者の間のコンフリクトを解消していかなければならない我々人間にとって不可欠なことではないかと思う。

 また行動生態学ではそれぞれの種の個体のふるまいを自分の適応度(=産仔数×生存率)をなるべく大きくするように進化してきた結果としてとらえる。その観点からは、適応度という尺度で測られる価値に関して他の個体(同種であれ異種であれ)との間にコンフリクトがあった場合、生物の個体はあくまで自分の適応度を高めるように利己的ふるまうはずであると予測される。ところが実際の生物の群集ではそれなりに持続する共生関係(この場合は両者の適応度にプラスになる狭い意味での相利的共生だけではなく、もっと広く他の種と直接・間接の効果を及ぼしあう関係全体を意味している)があるように見える。生物多様性の研究の大きなテーマのひとつとして利己的に進化してきているはずの生物間のこの共生のしくみを理解するということがある。この問題の理解は地球環境において他の種の生物と共生して生きていかなければならない我々人間にとって重要なヒントを提供してくれるのではないかと期待される。