環境保全型農業の経営経済学

小池恒男

生物資源管理学科


 本稿は、「環境保全型農業の経営経済学」の成立に関しての考察の序説であり、またこの経営経済学のグランドデザインの提示である。当面は、以下に示すような内容で研究を進めていきたいと考えている。

1.序論−問題意識と概念−

(1)問題認識
(2)環境保全型農業の概念

2.農業の環境負荷と発生原因

(1)農業の環境負荷
(2)発生原因
(3)農業経営学の課題

3.環境負荷の軽減と環境保全型農法

(1)環境保全型農業の形態分類
(2)環境保全型農業の技術的条件

4.環境保全型農業の成立と市場条件

(1)市場メカニズムと贈与の論理
(2)検査・表示制度の検討

5.環境保全型農業の経営経済の実証的研究

(1)事例1山形市長井市における「地域循環農業」の成立と展開
(2)事例2宮崎県綾町における「自然生態系農業」の成立と展開
(3)事例3岩手県水沢市における「特別表示米」産地の成立と展開
(4)事例4福島県熱塩加納村における有機低農薬米生産の成立と展開

6.日本的特徴と今後の課題

 紙数も限られていることでもあり、ここでは上記のデザインに簡単な説明を加えておくことにしたい。

 環境保全型農業をどう定義するかにもよるが、今仮に環境保全型農業を「農業の環境負荷を軽減する持続可能な農業」と定義するならば、その環境保全型農業の成立を検討するに当たって、大前提としてそもそも農業がどのような負荷原因を有し、どのような負荷結果をもつものであるのかが明らかにされなければならない。しかし、当然のことながらその解明はおしなべて化学分析に負うほかはない。その分析結果が得られたならばつぎなる課題はその環境負荷の軽減を可能にする農法(農業技術)の発見がなければならない。いうまでもなくこの発見は農学研究に負うものである。そして最後に、その農法(農業技術の採用)が経営経済的に成立するものであるのかどうかが吟味されなければならない。

 以上で明らかなように、化学分析、農学研究、経営経済研究と、環境保全型農業の研究にはまさに環境科学の対象にふさわしい学際的研究が求められているものといえよう。

 いうまでもなく農業は、(1)新鮮で安全な食料を供給する機能、(2)就業機会を創出し地域社会に活力を付与する機能、(3)市民の生活文化を豊かにする機能、(4)国土・環境を保全する機能、(5)農耕景観を創造・提供する機能、(6)生活空間を確保する機能等々の多面的機能を有している。また、(1)洪水防止、(2)水資源のかん養、(3)土砂流出防止、(4)都市住民の憩いの場の提供等々の公益的機能を有している。これに対して一方において農業は、(1)流水および湖・海の汚染(水資源の損壊)、(2)地下水の汚染、(3)大気の汚染、(4)生物の損傷、(5)悪臭・騒音の発生、(6)景観の破壊、(7)食料汚染等々の環境負荷を有する。そしてこうした環境負荷の発生は、抽象的に一言で言ってしまえば、他の多くの環境問題と同様、市場の失敗(市場がそもそも成立しにくく、存在しにくく、存在しても十分に機能しないこと)によるということになる。

 ここのところをもう少し農業経営学に引き寄せて論じてみるとどのようなことになるのか。エレボーやブリンクマンの段階までは、農業経営学は「地力の平衡・維持拡大を経営内部のメカニズムとしてどう実現するかという問題意識に基づく土地利用秩序の組み立てを優先する農業経営についての考え方」、つまり農業経営方式論を中心課題として論じられた。20世紀に入ってこの立論は大転換を遂げ、急速に影をひそめていくことになる。

 「市場の変化に対応してどのような作物編成をやっていくのか、その作物選択をどういうふうにやるか、それに対してどう土地利用編成するか。市場対応の作物選択を優先する農業経営についての考え方」、つまり農業経営組織論の台頭である。

 この農業経営学の大転換の背後には、一つには、20世紀に入ってからの都市の形成にともなう農産物市場の顕著な拡大、多様な農産物に対する需要の発生、二つには、自然的な再生産過程のいわば循環を完結させることは、外からいろんなものを持ち込むことによって対応可能という、リービッヒの「きゅう肥からの解放が近代農業を成立させる」とする近代分析科学への信頼、という事情があったとされている。

 わが国における以上の点に関しての論争で興味深いのは、基本問題調査会における59年、60年の経営方式論をめぐっての議論である。経営方式論について若干の議論はあったが、その議論は「そういう問題も大事だが、当面の問題はいかに生産性を上げるかだ。生産性を上げていくという観点で言えば、専作・規模拡大が必要である」という小倉武一先生の一言で終わったという。

 「経済的再生産過程は、その独自的・社会的性格のいかんを問わず、この領域(農業)ではつねに自然的再生産過程を伴う」というマルクスの有名な規定があるが、この点をめぐっての農業と工業の論理の違いについてもみておく必要がある。

 工業の再生産過程のなかに自然が入り込むということはない。むしろ自然から切り離された形で再生産過程を構築するというのが工業の論理で、再生産の結果として環境に大きな負荷をかける要因が出ても、それを全部再生産過程の外に放り出してしまうというのが工業の論理になっている。そしてそれを、公害として社会的費用で処理させるというのが工業の論理ではないか。

 農業においては、自然的な再生産過程それ自体が農業の再生産の条件になっている。したがって、環境に負荷をかけるような要因を農業がつくり出した場合、その要因自体を再生産過程のなかで解決していくというメカニズムを農業がもたないと、自分自身の首を締めることになってしまう。

 一方、環境経済学の議論の水準は、経済の再生産のメカニズムのなかで、環境負荷要因それ自体を解決するというのではなく、公的権力による市場メカズムの規制で環境劣化の要因を増大させないようにする、という水準にとどまっているようにみえる。農業の責任、農業経営学の責任は大きい。

 以上のような問題意識に基づくとき、この研究課題に関して、可能な限り実証的研究に徹すべき、の観を強くする。幸い全国にはすでにすばらしい地域をあげての取り組みが試みられている。ここで例示した事例はその一部であるが、同時にこれらの事例はいずれも、新大陸型農業の模倣ではなく、あるいはまたその模倣、追随にしか見えない農林水産省の「新政策(新しい食料・農業・農村政策の方向)」とは異なる、新しい独自の日本型農業の在り様を示しているようにみえる。