私の「環境学」への取り組み

金木亮一

生物資源管理学科


 私と環境学との出会いは、もう20年以上も前になるが、「汚水の農地還元」というテーマの研究であった。当時、汚水を農地に還元するということは、まだ、市民権を得ておらず、学会発表時に於いても、土地改良区に所属する方から「農地が最終処分地として使われるのはけしからん。農地還元は農家に新たな負担を強いるものだ」ときついお叱りの言葉を受けたものであった。私は、もとより、全ての汚水を農地に還元しろと主張したつもりはなく、重金属などを含んでいない生活排水の処理水を対象に考えていたのだが……。その構想は長い間「机上の空論」として見過ごされてきたが、近年、俄然、脚光を浴びるようになってきた。それは、とりもなおさず、農業排水に対する取り組みの遅れによるものである。当初、農業は被害者の立場であったことから、農業試験場を中心に被害状況の把握とその対策が検討された。農業被害は現在も存続しており、日本全国の5ha以上の地区を対象とした調査によると、農業用水の汚濁による被害は1175地区8万6196haに及んでおり、その8割以上が都市汚水や農村の生活排水による被害である。

 しかし、年々、化学肥料や農薬の使用量が増加するにつれて、農業も環境に対する加害者としての一面を有するようになってきた。1992年の農業白書では「病害虫の発生状況、作物、土壌の状態に応じた防除や施肥を行わず、化学合成の農薬や肥料への依存を強めることは、過度に環境に負荷を与えることにつながり、また水田における水管理の不徹底による農薬、肥料の河川等への流出も懸念される。さらに、堆厩肥、稲わら等の有機物の農地への還元の減少は、地力の低下につながるおそれもある」と述べて、現状の農業の姿勢を自己批判している。

 環境に対する国民の関心の高まりに伴って工業・都市排水の浄化対策が進む中で、農業の環境対策とりわけ面源である農地からの汚染物質流出対策については前進しているとは言い難い。工業・都市排水は国の排出規制と都道府県の上乗せ基準によって、その排出量がかなり削減されてきたのに対し、農耕地からの汚濁負荷流出はNon Point Source(非点源)であり個別的制御が行い難いことから、ほとんど野放しにされてきた。農耕地からの汚濁負荷流出は、土壌の物理化学的特性や水文条件・灌漑方式などの地域特性に影響されやすいこと、降雨時に流出が集中するために実態が把握しにくいことなどが、制御を困難にしてきた。一方、農村の生活排水については農業集落排水処理施設において処理されるようになってきたが、これとて、処理水の放流基準が窒素20mg/lと高かったり、脱リンが義務付けられていない施設もあることなどから、下流の灌漑水に悪影響を及ぼしている事例も見られる。これらのことに対処すべく、ようやく、農業集落排水処理施設の処理水の農地還元や、反復利用・循環灌漑による農業排水の再利用が実現可能な手法としてクローズアップされるに至ったのである。10年一昔というが、二昔前の課題がようやく実現しつつあるということは感慨深いことである。

 私は現在、環境に係わる以下の課題について研究している。(1)土壌からの一酸化二窒素およびメタン発生量の制御(オゾン層破壊物質である一酸化二窒素、地球温暖化ガスである一酸化二窒素とメタンの土壌からの発生量を抑制するための技術の検討)、(2)内湖と循環灌漑による水質浄化(野田沼内湖において浄化機能強化のための方策を探り、琵琶湖への流入負荷削減を図る)、(3)土壌による水質の浄化(窒素、リン、フッ素などの土壌浄化能を探る)、(4)用排水路の水質対策(土地利用による水質の差異、集落排水処理施設建設に伴う水質の変化、用排水路の親水機能などの解明)、(5)濁水が琵琶湖に及ぼす影響とその対策(調査船を用いて、愛知川河口などから琵琶湖に流入する濁水の分布状況を把握し、その削減対策を検討する)、(6)ダムの濁水軽減対策(大雨によってダム湖内に発生する濁水の早期解消法と下流への影響の軽減方法の解明)。

 これらは主として、水質浄化と大気汚染防止の2つに分類されるが、その内、特に、農地に施された窒素の変遷が主要なテーマである。肥料にせよ、処理水にせよ、農地に施用された窒素の多くは土壌に吸着され、あるいは植物に吸収利用されたり、土壌微生物によって脱窒されるが、その過程でNO3が地下水に移行して硝酸汚染を招き、N2Oとして空気中に揮散して地球温暖化やオゾン層破壊を招くことになる。ある人は、「人間がいなくなれば、ないしは、人間の生産活動がなくなれば環境は自然に保全される」と言うが、それは自己の否定に繋がるものである。人類の存続を前提としつつ、人が環境とうまくつき合ってゆくためには、やはり、「人間による適切な環境管理」が求められる。その方策を現在検討中である。例えば、農地から流出する汚濁負荷の削減を目的としてさまざまな試みが行われている。節肥や緩効性肥料、被覆肥料の使用、施肥位置の工夫等々の施肥法の改善、土壌の理化学的性質の改善、輪作体系の工夫、地目連鎖の活用などである。農地から流出する汚濁負荷を削減するもっとも有効な方法は、発生源対策即ち施肥量を減らすことである。水田では元肥を半量にするだけで窒素の流出量が半減することが報告されている。収量が若干低下しても、元肥を全量廃止して追肥のみにするなどの思い切った施策が必要であり、水質浄化に要するコストの減少分を水稲の減収の補償に振り向けることを検討すべきであろう。また、施肥田植機の普及によっても元肥量を減少させることは可能である。一方、畑では土壌を被覆(マルチ)したり降雨量の少ない時期に播種すれば、肥料分の流亡を防止することが可能である。さらに、土壌に吸着した肥料分をよく吸収する作物(大豆、小麦、馬鈴薯など)を輪作に導入することも有効である。なお、施肥量の削減は水質環境のみならず、大気環境の改善にも寄与することになる。水田では施肥量の40〜50%が脱窒されるが、脱窒に伴って地球温暖化ガス・オゾン層破壊ガスである2(一酸化二窒素)が発生する。私の研究では、N2Oの発生量は施肥量に比例して増えること、湛水状態の方が非湛水状態より発生量が抑制されることなどが明らかになっている。これに加えて、農地から流出した負荷による水系への影響をできる限り軽減するため、休耕田の活用や排水の反復利用・循環灌漑、溜池や内湖などの貯留スペースの活用も検討されている。排水を再利用する方式としては、上流部の中山間地では排水河川を堰上げて反復利用する方式が、下流の平坦地ではポンプによって循環潅漑する方式が適している。反復利用水量が灌漑水量の約60%に達している地区では、・当たりT-N10kg、T-P1.4kgが浄化されていた。しかし、環境対策として導入された琵琶湖岸の循環灌漑施設では、排水路の水の利用率は灌漑水量の1〜2%にすぎず、汚濁負荷の削減量もha当たりT-N0.2kg、T-P0.03kgと少量であった。このように用水が潤沢にある地区では、排水の利用率を高めることは容易ではない。

 "Think globally、act locally"―――環境研究はまさにこの言葉の通り、地球全体のことを考えつつ、地域を対象にして行う必要がある。従来、農村地域では物質循環系はほぼ閉鎖系を保っていた。糞尿、堆厩肥、緑草肥、沼や水路の底泥、家庭の生ゴミはほとんど全て農地に還元され、環境に流出する量は比較的少なかった。化学肥料・農薬等の大量使用によって失われた、この物質循環システムを再構築することが、今後の地域の水質管理を有効に遂行する上での最重要課題であろう。