地域環境管理について

石川義紀

環境計画学科

環境社会計画専攻


 ながい間地方自治体で環境管理の仕事をやっていたので、環境についての考え方もついつい行政の方向からの捉え方になってしまっている。最近は企業も環境管理という言葉を使って自分たちの行う環境対策を表現するようになったが、以前はお役所専用の言葉であった。

 地方自治体で環境管理計画が作られるようになったのは1960年代の後半であった。この頃の環境管理計画はその内容から言ってほとんど公害防止計画そのもので、申し訳程度に自然保護の項目がつけられているというしろものであった。大阪府の初代の環境管理計画(BIG PLAN)は1963年のものであるが、この計画は環境容量を数値化した最初のものということでその年の環境賞をとったとはいうものの、主な内容は公害防止計画であった。この少し後に宮城県が作った環境管理計画はABC PLANと呼ばれて、自然保護を重点にしたという触れ込みであった。環境管理計画とはいっても同時に公害対策基本法で義務づけられた公害防止計画が策定されたこともあって、どの自治体でもほとんど内容は同じものとなっている。その内容は事業者に対する規制をどのようにするかが強調されていて、公害もひどかった時代であったからやむを得なかったのかもしれない。

 1980年代の後半には社会の意識が経済的繁栄から快適さの追及に変わってきたとされたことから、新しい環境管理計画の必要がいわれるようになってきた。1985年に作られた大阪府の新環境管理計画(STEP21)でも公害防止と並んで快適環境の創造が掲げられている。この計画もその年の環境賞をとったが、住民(大阪府では府民)の役割が強調されているし、環境管理のツールとしての環境アセスメントの導入がうたわれている。しかし企業に対しては規制基準の遵守と行政施策への協力が求められた程度で、まだ企業の自主的な環境管理について体系的に言及するには至っていなかった。

 最近になって、企業の自主的な環境管理がいわれるようになり、ISO14000などが制度化されて、輸出のためとかいう話はともかく、企業が地域や地球規模の環境に自主的に取り組むようになってきたのは喜ばしい。現在、環境基本法のもとで策定される環境管理計画は環境基本計画という名前になっているが、基本的な考え方は良好な環境の確保を目的としたこれまでの環境管理計画とそれほど変わりないといえる。ただ、やはり最近の風潮を反映して企業の環境管理の努力を評価している。もう一つは環境創造という言葉で積極的に新しい環境を作り出すということがうたわれる点が特徴といえるのだが、中には自然環境の創造という「?」と考えこんでしまうような言葉が出てくるものもある。やはり、規制だけでは環境管理はできないということのあらわれなのか一種の規制緩和の意味をもつのかもしれない。

 これらの環境管理計画に共通するのは、お役所が作ることがその理由なのか、行政施策の羅列になっていることである。環境管理という言葉の持つ意味は何なのかと考えこんでしまう。環境管理という言葉で行われるものはお役所にあっては規制と情報提供や援助が主体であり、企業にあってはISO14000に代表される環境管理であり、一般の住民にあっては環境を汚さないという生活態度ということになるのであろう。つまり、これらの内容から感じられるのは社会の枠組みつまり法律の枠の中での環境管理という考え方である。

 環境管理の重要なツールとされる環境影響評価についても、私自身は大阪府の制度づくりにかかわったが、基本的には現在の社会の意思決定機構の中での枠組みであったことが外から眺めるとよくわかる。また、ISO14000はやはり現在の社会体制の中での企業の行動の一つであり、環境は企業の存在のための一つの要素としての位置づけなのであろう。環境教育も同様で住民の生活を前提にした環境の範囲から出ることはないであろう。人間社会と環境とのコンフリクトが今日の環境問題であると考えれば、人間社会の存在とその継続を前提としない環境管理があるのかを考えておく必要があるといえる。人間社会の存在と継続を全く前提としない環境管理というものを考えられるかどうかはよくわからないが、倫理学の立場からは考え得るかもしれない。これは極端な議論のようにも見えるが、地域環境管理を考える時には行政・企業・住民の三者がそれぞれの立場から考える環境管理を統合しなければならないので、リファレンスとしての環境を考えておくということから、このような極端な議論も必要であろう。

 私自身が環境学というものをまだよく理解できていないので確実なことはいえないが、おそらく環境学を計画という形になおせば環境管理計画になるのではなかろうか。本来あるべき地域環境はどのようなものかを考え、これを実現するための方策、各部門の役割分担、道具あるいは手段、それらの効果といったものを明確にしていくというのが環境管理計画であるとすれば、これはまさに地域環境学ではないか。

 これまでのオーソドックスな環境管理の基本的なツールは、法規制・環境教育・環境影響評価・企業環境管理と情報の流れの円滑化手段であり、行政・住民・企業の三者の役割分担とこれらの道具の使い方を決めてやるのがこれまでの環境管理計画であった。しかし、本来ならば環境管理計画は少なくともこれら三者の環境管理を統合しなければならないのであるが、これまではこれらを行政が考えて並列に示したものであったといえる。並列に示すだけでも膨大な情報を必要とする。それらを調和したものに統合するにはさらにこの膨大な情報に加えて環境と人間社会の両方に対する考察が必要になる。「脱」環境学という言葉これを言っているのかもしれない。

 滋賀県立大学は地域環境に対する研究を行うとされている。地域環境を対象とした観察や分析を行うだけでなく、実際の地域環境管理とはどのようなものであるべきなのかを考えていかなければならないのではないか。先に述べたように地域環境管理は現在の社会体制つまり意思決定のシステムを前提として組み立てられるのがこれまでの方法であっただけに、地域の環境管理のためのシステムも再検討していく必要があるのではないか。社会の意思決定のシステムの再検討といっても別に革命を起こすわけではなく、環境計画を縛っているいろいろな法律の類を取り払って見て、自由な発想での地域環境管理計画を考えて見てはどうかということである。環境管理そのものに対してもいろいろな法律の縛りがかかっていることはあまり知られていない。環境管理計画を作ろうとすれば、たとえば都市計画(法)との調整が待っているし、発電所のアセスメントには電気事業法、埋め立てには公有水面埋立法や港湾法などが控えている。環境管理計画を担当する地方自治体の担当者の腕の見せどころはこれらの法律との調整である。もっと自由に環境管理と言うものを考えることができるようにならないものだろうか。一種の規制緩和を環境管理に対してもやっていかないと。もちろんこれは環境に対する配慮を緩めるという意味ではない。環境学を考えるとすればこの自由な発想での環境管理を考えることなのではないかと思う。