「環境作物学」宣言

長谷川博

生物資源管理学科


 私の担当する講義に「環境作物学」がある。この講義では、作物(本文では栽培植物と同意味に用いる)を中心に植物の環境ストレス反応を述べるとともに、環境保全の立場にたった植物栽培を行うための基礎科学について講義する予定である。この名称について、知人のひとりから作物も生物の一員であり、生物は環境のなかで存在するものだから、「環境生物学」という言葉に違和感があるのと同様に環境作物学という「学」も存在しないのではないかとアドバイスされた。

 この考え方は「環境」の認識のしかたについて重要な問題点を突いている。そこで、アドバイスに対して弁解しながら「環境作物学」の存在意義をこの場で述べてみたい。

 まず、「環境」という言葉を世界あるいは宇宙と同義で用いる限り「生物は環境のなかで存在する」という指摘に対しては反論できない。生きることは環境との相互作用なのだから、環境を無視した生物学は成立しないからだ。そこで、現在用いられる「環境」という言葉は人間の生活に関わる用語であると考えてみたい。こうすれば人間の活動の範囲内における生命現象を理解するための「環境生物学」も成立するし、「環境植物学」や「環境昆虫学」などの分野は非常にわかりやすいものになる。だが、作物とはヒトという動物が遺伝子から生育条件まで管理している植物である。「環境作物学」も無条件に受け入れられる「学」になるのだろうか。

 水田で栽培されているイネを思い浮かべてほしい。もし何らかの原因で生育期間途中でヒトの管理が中断されれば、イネは雑草、野草との競合に敗れてしまい、その年のイネの穂は種子が少なく、非常に貧弱なものになるだろう。さらに種子がこぼれ落ちないように改良されたイネは生存域を自ら広げる能力を失っている。水田が放置されれば、数年の後にはイネはその場から消える運命にある。イネが生き延びるためには生育環境がヒトにより管理されていること、種子の散布がヒトにより行われることが必要である。ヒトが絶滅すれば栽培イネも消えるはずで、作物と人間は運命共同体なのである。作物とはヒトと共生することにより生存できるように進化した植物、あるいはヒトが作り出す環境に適応した植物と定義できる。したがって、栽培植物を扱う作物学は「ヒトとのかかわり」が前提条件であり、「環境人類学」という言葉が成立しないように、作物学に環境という接頭語をつけることもナンセンスであるとする意見ももっともである。

 さて、ヒトが植物栽培を開始してから数千年の歴史しかない。ヒトという動物はこの間に自分の意のままになる植物(=作物)を創り上げてきたが、当初はヒトの移動も非常に緩やかなものであり、作物も自然の法則に従うことが可能であった。しかし、ヒトが大量の物資を遠距離まで輸送できるようになってヒトと作物の関係も事態が一変した。その象徴的な出来事は500年ほど前に新大陸に起源する作物(トウモロコシ、ジャガイモ、サツマイモ、トマト、タバコなど現在なじみの作物も多い)がヨーロッパにもたらされ、ただちに世界各地へ広がったことである。一方、近代生物学の発展によりヒトは自然のままでは決して存在し得ない遺伝子構成をもった作物を作ることに成功した。コムギ、イネそしてトウモロコシが世界の3大穀類であるが、組織的な品種改良事業によりヒトがそれらの遺伝子に手を加えることが可能になったのはわずか100年ほどの歴史である。このように考えてみると、現在の主な作物が成立したのは生物進化の時間の流れにとってはほんの一瞬前のことであり、栽培化された植物は完全にヒトとの共生関係という段階まで進化してはいないと考えられる。

 さらにヒトは植物が育つ環境自体も変化させてしまった。栽培技術の近代化を押し進め、温室に代表される人工環境下での作物生産を始めた。ヒトの生活は植物の生育環境にも大きな影響を及ぼすようになった。しかしながら、ヒトの思考・技術の未熟さは土地の荒廃化を招き、干ばつや塩害が地球上のかなりの地域で生じることになった。植物生育に影響を与える有毒物質が生育地に放出されている。ヒトの都合しか考えない高インプット作物生産(その結果、農地からの環境汚染物質の流出という現象がおこる)が行われている。このような作物生育地は植物が長い進化の過程で経験してこなかった新しい環境であり、しかもその新環境は地球の歴史のほんの一瞬の間に作られたものである。

 以上のことを考えると、作物は今なお「植物」本来の性質を強く持っており、ヒトの作り出す環境にも十分適応していないと考えるのが妥当である。このようにして、作物を中心として「環境」を見るという視点が開けてきた。

 ヒトと共生することにより生存域を拡大する道を選んだ作物にとって、ヒトの移動により生じる環境の変化およびヒトが作り出す環境変化は、これまでどの植物も経験していない急激なものであった。だが、作物はヒトとの共生という生存様式を選んだために普通なら絶滅する環境でも生き延びることができた。温室に代表されるような地球上に突然現れた新環境でも生育できた。けれども、生存環境の変化が種の進化をもたらす時間の流れより早いために作物は常に環境ストレスの下で生きて行かねばならない宿命を持っている。また、ヒトが急激に環境の変化を起こした結果、自然からの厳しい報復(冷害、干ばつなど)を受けることがある。ヒトは作物を利用しなければ生存できないから、これら作物を厳しい生育条件下でもうまく制御して利用する方法を見いださねばならない。そのためには、植物の環境ストレス反応を形態学、生理学、遺伝学といった基礎科学から十分に理解し、ストレスを回避するための作物を育成し、その栽培法を確立しておくことが必要である。ここに「環境作物学」という名の分野を旗揚げする価値がある。

 環境科学部生物資源管理学科では従来は学科が異なる分野の研究者が同じ組織に属している。これまでの学科の垣根が取り払われたから、それぞれの専門分野が異なる研究者が協力した研究体制が作りやすいはずである。環境ストレス抵抗性の作物を育種するという目的遂行のために、遺伝学や植物生理学に基づく植物の環境反応に興味を抱いてきた私には「土」の研究者と同じ敷地内で過ごせることはありがたい。Plant Physiologyをはじめとした世界の植物生理学関係の有力学術誌はStress Physiologyに関連するセクションを設けている。このような基礎科学からの情報をもとにし、従来は異分野だった人たちにも協力していただいて、ヒトと作物との「持続的な」共存関係のありかたを「環境作物学」で展開していきたいと考えている。

補足:ヒトと共生の道を歩んだ植物を作物とすると、両者の関係の隙間に適応することを選んだ植物もある。それが雑草であり、雑草も環境作物学の研究対象の一部である。なお、本稿では作物を中心に述べてきたが、この考え方はヒトの作り出した環境のなか、およびその周辺に生きる他の植物すべてに適用できるものである。