滋賀県立大学環境科学部における教育の理念と目標

坂本充

環境科学部長



1.はじめに

 滋賀県立大学環境科学部は、4年制大学としてわが国で初めての「環境問題について総合的教育をすすめる学部」である。本学部では、琵琶湖を擁する滋賀県の環境と社会の特性、および環境についての県の研究成果を積極的に生かした教育研究を進める。この教育研究により、環境問題についての総合的理解と、環境問題の解決に必要な専門的知識・能力を備えた人材を育成すると共に、自然環境と調和した人間社会の建設に必要な学問的知見と、論理、技術の確立を目指す。滋賀県立大学環境科学部年報の第1号出版にあたり、ここに本環境科学部の設立理念と教育研究の目標・特色について概説する。本学部が教育研究で目指す方向をご理解頂ければ幸いである。

2.自然環境との調和における人間社会の創造を担う人材育成の緊急性

 公害として知られる環境汚染が大きな社会問題として取り上げられてから、半世紀が経過した。この間、公害対策基本法の制定を手始めに、各種の環境対策が次々と打ち出され、人間の健康に害のある環境汚染は、今日ではまれにしか見られない。これに対して、流域の都市と工場、農地からの排水流入に原因する水域の富栄養化や、増加し続ける生活産業廃棄物など、人間の社会活動に原因する環境問題は、顕著化、広域化の傾向を強めつつある。しかしながら、これら環境問題に対し、これまでに取られてきた対策は、環境変化をもたらす原因物質の除去など技術的対策に重点がおかれ、環境問題発生の真の原因である人間社会のありかたについては、何ら対応が講じられてきていない。

 元来、地球上では、人間と動植物、それを取り巻く各種環境とは密接な相互支配、相互依存の関係にある。それらの働き合いの結果として維持される安定な自然環境の中でのみ、人間と動植物の永続的生存が可能である。しかし、近代科学の発展と繁栄への尽きることのない人間の欲望は、自然環境を無限なものとして利用してきたために、環境・生物・人間の相互作用のバランスが崩れ、各種の環境問題をもたらす結果となっている。とくに、高度経済成長を遂げた地域、また遂げつつある地域では、大量生産、大量消費、大量廃棄の生活様式の一般化が、それぞれの地域で多様な環境問題をもたらす結果となっている。世界的に見ても、開発途上国における急速な経済発展と人口増加等が、安定な環境の維持、食料・水・資源の供給に大きな不安を投げ掛けている。将来世代に亙って、人類の生存と地球環境を維持するためには、地域的そして全地球的に、人間社会を自然環境と調和した持続的なものに再構築することが急務である。

 環境調和型人間社会の建設のためには、その建設を担う環境の専門家が必要である。それらの専門家は、自然環境とともに、経済、政策、民意など社会学的事象、自然環境と調和した都市・農村計画と農業生産のありかた等、環境問題に関わる諸事象ついて、総合的な視野と、問題解決のための専門的な知識、能力、技術を備えていることが必要とされる。環境保全と開発が両立する人間社会の建設には、解明すべき多くの課題が山ほどあり、それらについての重点的研究も不可欠である。

 人間社会の近代化を支えた従来の大学の教育では、狭い分野に分かれて専門教育が推進されてきた。このため、要素分析的論理の科学が大きく発展した反面、環境問題のように自然と人間社会を含む複合事象についての包括的学問の発展がなく、環境問題に対処する総合的視野をもった人材を育てることが出来なかった。

 このような学問の現状をふまえ、滋賀県立大学環境科学部では、その発足準備段階において設立準備委員(吉良竜夫、坂本充、内井昭蔵)と専門委員(依田恭二、末石冨太郎、重永昌二)が顧問(久馬一剛、大島康行)と緊密な連携のもと、環境問題についての総合的視野と専門的知識・技術を備えた人材育成を目指した新教育システムを確立するため、3年余に亙り重点的検討を進めた。以下、その検討で明らかにされた問題と、その問題解決を目指し組み立てられた滋賀県立大学環境科学部の教育の目標と特色について述べる。

3.環境科学部における教育の目標

 滋賀県立大学の発足準備段階において、環境科学部専門委員会において検討された重要課題は、つぎの5つに要約される。

環境科学の学問上の位置づけ(独立科学か、寄せ集めか?)。

学部段階で環境教育は可能なのか?

滋賀県立大学環境科学部の教育研究で対象とする環境は何か(3学科で扱う環境の意味が異なるのではないか)?

滋賀県立大学環境科学部の教育理念と、教育内容、教育方法。

滋賀県立大学環境学部の卒業生への社会の需要。

以下、これらの検討経過について概説する。

3−1.環境科学教育の目標

  環境科学の学問上における位置を理解するにあたり、環境科学の誕生の経過をたどる必要がある。公害に端を発する環境問題の研究は、昭和40年代に入り、文部省科学研究費補助の研究対象として取り上げられ、組織的な環境研究が進められた。とくに、昭和46年にスタートした文部省特定研究「人間生存と自然環境」に引き続き、昭和52年には特別研究「環境科学」領域が設けられた。昭和62年には、環境研究者を統合する学会としての環境科学会が設立され、さらに、平成4年度に文部省科学研究費に「環境科学」の分科が確立され、環境に関わる研究が活発に進められるようになった。

 環境問題は、自然科学から社会科学に亙る多くの側面をもつため、専門分化の進んだ従来の学問体系の個別専門分野でも、環境問題の課題を部分的に取り扱うことが可能である。この理由から、従来、ともすれば環境研究は応用的な学問として位置づけられ、学部を終えた後の大学院における応用研究の対象とされてきた。また、環境と云う言葉が意味する内容の曖昧さの故に、自然環境や社会環境を扱う学問の多くが環境科学に包含され、環境問題解決を目指す学問としての環境科学の位置付けを不明確にしてきた。

 1992年度の環境科学会シンポジウムで論じられたように、環境問題解決を目標とする環境科学は、目的志向性、地域性、総合性の3点で特色づけられる(環境科学、6巻、1993年、175ー184頁)。環境科学は公害問題解決の研究に端を発するように、環境問題の解決が主目標でなければならない。この環境問題への対応にあたり重要なのは、環境問題は地域の人間社会が自然環境との関係において不調和を作り出したことに原因していると云う事である。此の問題解決のためには、自然環境と人間社会の特性の充分な理解の上に、両者の相互関係のバランスがとれる様に人間社会を再構築する事が不可欠である。先に述べた様に、環境問題は、地域問題とともに、全地球的視点での対応も必要となりつつある。以上の理解から、滋賀県立大学環境科学部では、環境科学は、地域的、地球的視点における環境問題の解決と環境調和型人間社会創造を目指す目的志向型学問として捉え、その環境科学の推進に必要な教育システムを組み上げた。

 学部教育を終えた卒業生に対する社会の需要も、学部教育の目標設定で重要な課題である。自然環境と調和した人間社会建設が強く望まれる社会にありながら、環境保全を正面に打ち出している企業は、環境コンサルタントや環境浄化関係を除いては、まだ一般的でない。しかし、環境に配慮した企業経営が不可欠であることから明らかなように、多くの企業において、環境保全型産業の確立に向かい努力を払いつつある。この事情から、社会が希望する人材は、環境問題について総合的視野を備え、かつ専門領域、出来れば複数の専門領域について問題解決能力と技術を備えた人物である。別の言葉で云えば、Τ字型人物よりはπ字型人物に対する社会の要望が強いと判断される。このような社会の要望をふまえ、環境科学部のカリキュラムは、環境と人間社会についての包括的理解の上に、複数の分野についての専門性を備えた人材が育つように組み上げられている。環境科学部の基礎の上に設置予定(平成11年度)の大学院では、更に専門的な教育を推進するべく準備中である。図1には環境科学部におけるこのような社会の出口に向けての教育システムの組み立てを示した。

図1.滋賀県立大学環境科学部の教育で期待される社会へ向けての人物像

3−2.環境の総合的視野を育てる教育システム

 環境問題に対処する教育システムの設定にあたり、最初の課題は、環境問題についての総合的視野を育てる教育システムは、どのようにあるべきかであった。従来の教育体系では、環境ならびに人間社会の関係について十分な理解をうるためには、自然と人間社会の両方について長年の経験と研究の積み重ねが必要であった。幸い、環境科学部専門委員会には、長い教育・研究経験と十分な学識、および独自の環境観と方法論をお持ちの権威者に参加して戴き、厚みのある論議を展開することが出来た。環境の総合的視点の育成には大学院教育が望ましいとの考え方もある。しかし、大学院ではクラスが上に進むほど、学生の興味は狭い課題に向けられ専門的研究が進められる傾向があるので、大学院は環境問題についての総合的視野の育成には必ずしも適してないと判断される。

 環境についての包括的視点の育成を、専門教育を実施する前の学部低学年段階でスタートすることについて、他大学の経験や高校教育の現状を含め検討をすすめた。自然系や社会系の環境教育には、低学年次における実習主体の実地教育が極めて有効である。環境問題は現場の問題であり、環境問題の理解には実際に問題を現場で見て、考えることが不可欠である。環境についての総合的思考能力の育成は時間がかかるので、低学年から始めると高学年に向け完成させる教育システムを組むことが可能である。環境研究の進んでいる滋賀県には、環境教育に適したフィールドと研究成果が多数あり、現場教育を進めるのに適している等の検討結果をふまえ、環境についての教育は学部の低学年から始めるのが適切であるとの結論に達した。

 そこで問題となるのは、総合的環境教育の内容である。高校で理科、社会を講義のみで勉強してきた学部入学生に対して、環境教育を低学年次よりスタートさせるためは、従来の教育経験から考え、環境問題の概況と原因、自然環境・人間社会の関係について、講義と平行して体験的に理解させるのが適切と判断される。そこで、環境科学部では大学全体の教育システムとの調和を考えながら、自然環境から社会に亙る環境問題の理解と広い視野を育てる基礎科目を、1・2年次に組んだ。環境の総合的視野を育てる基礎科目は学部共通必修とし、環境問題を生み出す人間社会の特性についての環境学原論、環境調和型経済システムを考える環境経済学、地球環境や自然環境特性を論ずる自然環境論、自然保護のありかたを考える自然保護論などの基礎講義を配置した(図2)。

図2.滋賀県立大学環境科学部における学科構成と主要教育科目の位置

 学部共通基礎科目で特色あるのは、琵琶湖を取り巻く地域の環境問題をテキストとする現場実地教育としての環境フィールドワークである。1年次では、学生を幾つかのグループに分けて、教員とともに琵琶湖周辺の各地を訪れ、それぞれの地域でどのような環境問題がおきているかについて、原因や、問題発生経過とその影響について、問題を発見し全員で討議する。2年次では大学周辺の水域、町、農地について環境の調査法や解析法の演習をおこない、3年次では教員の提出した複数の課題から選択したテーマについて、環境対策や評価の演習を行い、4年次の卒業研究に発展させる。


3−3.学科における専門教育

 低学年次における環境の総合的教育の上に、環境問題に対処出来る専門性を育てるため、高年次の専門教育では環境調和型人間社会の建設に不可欠な自然環境保全、環境計画、持続的農業生産システム確立の3課題を重点教育目標としてとりあげた。この目標に向かっての人材育成を進めるため3学科(表1)を設置し、専門教育を進めている。詳細については、各学科の教育内容で紹介されるので、ここで全体像のみにふれる。

表1.環境科学部の学科構成と学生定員



 自然環境と自然生態系の特性、人間のインパクトに対するそれらの応答、その理解をもとに自然環境の保全策について、教育研究を進める環境生態学科では、生態系の原理、生態系および環境特性の理解とそれらの解析方法、評価にかかわる専門科目に重点を置いたカリキュラムを組み、卒業研究へつなげている。環境計画学科は、社会経済システムや地域計画など社会環境についての教育研究を行なう環境社会計画専攻と、環境と調和した建築デザイン、景観計画を教育研究する環境・建築デザイン専攻からなる。両専攻を通じて、自然環境との調和における環境計画に必要な環境計画学や環境倫理学、建築職能論等を学科共通必須履修科目とし、そのうえにそれぞれの専攻の専門科目を配置し、卒業研究につなげている。自然環境と調和した持続的農業生産と資源循環システム確立を目指す生物資源管理学科では、生物学など学科基礎科目を学んだ後、専門科目として植物資源管理学、資源流通経済学など持続的農業システム確立に必要な科目を配置、卒業研究につなげている。

  以上の科目名にみられるように、それぞれの学科で扱われる環境という用語の意味する内容は多様である。先に述べたように、環境という用語がカバーする内容は広く、全ての事象にそれぞれの環境があると言って過言でない。滋賀県立大学環境科学部における教育研究では、いわゆる自然的環境から建築物などの人為的環境まで、人間に影響する多様な環境を対象とする。そして環境問題を、自然環境と人為環境、人間社会で構成される環境・人間社会相互作用系の現象として捉える。従って、環境科学部における環境教育にあたっては、自然環境および人為環境と人間社会の特性と、それら相互関係についての総合的理解がまず必要であり、その上に、自然環境と人間社会の持続的維持を可能にする方法論について、自然環境保全、環境計画、生物資源管理の立場より専門教育研究を推進することに重点が置かれる。


4.大学の教育体系における環境科学の位置と課題

 上述のカリキュラムに見られるように、環境科学部における教育の特色は、環境問題についての包括的理解と基礎教育の上に、環境保全、環境計画、環境管理のために必要な知識と技術についての専門教育をすすめる点にあろう。教育対象としては、自然環境とともに、人間社会についての教育を平行して進める必要がある。教育体系におけるこのような環境科学の位置は、自然と社会、理論と技術と云う4つのマトリックスの中央部分に位置していると考えてよい。

 環境科学の教育が、理論と技術の両面を指向するのは、原理的探求が必要であるのと同時に、技術的に問題を解決する必要性に迫られているためである。自然の原理追求型の学問、とくに理学部系の学問は真理探求を目指して、事象のより詳細な解明と、原理追求に主力が置かれる。現実の環境問題解決を指向する環境科学では、理学部系の学問では扱わない多くの実際的課題についても、探求と解明への努力が強要される。他方、人間社会を扱う社会系の学問では、一般に自然の理解は抽象的段階にとどまり、自然環境の教育研究が行なわれるのは稀であった。自然環境と人間の相互関係を扱う環境科学では、社会的性格の強い分野でも、環境人間の相互関係を扱う必要上、生態系の特性や、植生、水質についての自然科学的知見の導入は不可欠である。

 このような視点のなかで、滋賀県立大学環境科学部の教育研究が、環境と調和した人間社会の建設にどれほど貢献出来るかどうかは、教員各位の有機的連携における教育研究の努力に大きくかかっている事は云うまでもない。本学部の教育システムは、わが国で初めての試みである。社会に大きな責任のある環境科学の教育推進のために、教員各位のますますの努力、相互協力とともに、関係各位のご助言、お力添えを願って止まない。



 本稿は、平成5年8月の大気環境学会における坂本充の講演「大学における環境科学教育のありかた」、および同8月の土木学会環境システム委員会・環境システム研究発表会シンポジウムにおける末石冨太郎の講演「環境科学部のあるべき姿」の内容に、滋賀県立大学開設準備委員会の検討結果(滋賀県県立大学設置認可申請書、1992)、および、その他の検討結果を加筆しとりまとめた。